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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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『ブレイブ・ワン』と『デスノート』

先日DVDでジョディ・フォスター主演の映画『ブレイブ・ワン』を見た。

ニューヨークに暮らす女性が、恋人と公園で暴漢に襲われる。
恋人は殺され、彼女は大ケガ。以来、恐怖が離れない彼女は、銃を持つようになる。
ある日、別の暴漢に襲われた彼女は、男を射殺。
以降、町のゴミを殺していき、市民の中には喝采を送るものも出てくる。

この話を知ったとき、「ああ、70年代にあったブロンソンの映画みたいだな」と思って、
別に新鮮味は感じなかった。

映画はその後、彼女が犯人ではないかと疑う刑事がでてきて、彼女の行動を探るのだが、このあたりで、「ああ、デスノートか」と思った。
『DEATH NOTE』はみなさんご存知だと思うが、世の中の悪を憎む青年が、
偶然手にしたノートに悪人の名を書き込んで、私的制裁を下していくのが発端だ。
映画してみていないが、途中で「個人が人を裁く」というテーマはどうでもよくなり、
青年が追跡を逃げ切れるかという展開が主軸になってしまう。

この『ブレイブ・ワン』もその辺りはあいまいで、刑事は「裁くのは法だけ」というが、
あまりつっこんではいない。
監督は名作もとっているイギリスのニール・ジョーダンなので、期待はしたが、
できはどうも中途半端なものになってしまった。
社会派エンタテインメントとしては、内面描写がおろそかで、
『フライトプラン』程度の低いできばえだ。

で、一個人が、銃でも、デスノートでも、超能力でも、人の生死を自由にできる力を持ち、なおかつ、正義を実行したいと思ったとしよう。
しかし正義とか悪とか、を個人の基準で決めて制裁すること自体、
(自分にまったく因果関係がない人)、ナンセンスだということを、
一番よく僕にわからせてくれたのは、これらの映画ではなく、
子供のころに読んだ藤子不二雄の短編マンガ
「スーパーデラックス~マン」(タイトル忘れた)でした。
つまり、善悪の基準は、往々にして「自分の意思に従うか、逆らうか」だということ。
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by mahaera | 2008-06-12 23:14 | 映画のはなし | Comments(0)
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