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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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映画レビュー「ハンナ・アーレント」「思考停止は人間を放棄することと同じ」は今だからこそ重みを増す。

『ハンナ・アーレント』

DVDで観ました。

 映画的にはそんな上手な演出ではなく、
ぶつ切り感があって流れもいまひとつだが、
ラスト8分間のハンナの演説は別格で迫力があり、引き込まれた。
「アイヒマン裁判」そのものの話ではなく
(映画のテーマはそこではない)、軸はそれを取材して、
自分の考えを寄稿したハンナが、批判に立ち向かう姿だ。
「イスラム国人質事件」や「愛国無罪」的なネトウヨ?
の書き込みにウンザリしていたころだったので、
(もちろんすべて政府のせいにするのもゲンナリだ)
この映画からも「いまの日本の空気」を感じた。

 ユダヤ人を“効率よく”収容所送りにしたアイヒマンを、
「悪の凡庸さ」「彼は役所の人間」と評したハンナは、
同じユダヤ人から猛攻撃を受ける。
「お前は奴の味方か」と。生き残ったユダヤ人にとっては、
アイヒマンは何百万ものユダヤ人をガス室に送った
極悪非道の怪物でなくてはならない。ところが、
裁判を受けているアイヒマンはただの小役人にしか見えない。
アイヒマンはユダヤ人が憎かった訳でもなく、
ただ命令を何の疑いもなく実行し、
しかもなまじ有能だったからか“効率よく”仕事をしてまった。
そこに、憎々しい極悪人の姿はない。つまりそれこそが全体主義で、
ひとりひとりの「思考」はない。
ハンナはそれを20世紀以前にはなかった新しい「悪」の姿とした。
学生を前にしたハンナの最後の演説では、「思考」するのが人間で、
それを捨て去ることは罪であると
いうような(あいまいですみません)ことを言う。

さて、ネットの書き込みや「いいね」を見てわかるのは、
いまも「思考」することを自ら捨てさっている人
が多いということ。あまりにも短絡的に結論を求め過ぎている
自分が考えるより先に、「正解」を求めている。
そして、一度その「正解」を手にしてしまうと、
ほかの考えや選択肢を求めないように見える。
現代も誰か凶悪な極悪人が大量虐殺を引き
起こしているわけではない。家族を愛するような

ふつうの人が、“疑うことを放棄”すれば、
大勢の死を黙認するのだ。
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by mahaera | 2015-02-11 21:58 | 映画のはなし | Comments(0)
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