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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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映画レビュー『ランボー』 イメージのマッチョランボーとは違うニューシネマテイストに驚く

ランボー

実は、ランボーシリーズ、2作目の「怒りの脱出」しか
見たことなかった
。あれはみんながイメージする
ランボーを確立した作品で、筋肉ムキムキのスタローンが、
外国人の悪者(この映画だとベトナム人)を
バリバリ倒して行くヒーロー映画。
そのあまりの強さはいまではパロディにしか見えない。
“強いアメリカ”も、いまでは手放しで楽しめる人は少ないだろう。

そんなイメージで、第1作の「ランボー(英語タイトルはFirst Blood)」を見たら、ずいぶんとランボーのイメージが違う。
スタローンも後年の“明るいマッチョ”ではなく、
まだ体型も痩せていて、陰鬱な表情をした青年
ベトナムから帰って来て7年になるが社会復帰ができず、
鬱屈が溜まっている中、田舎町の保安官に
執拗に絡まれたことから、その怒りが爆発してしまう。
いまのイラク帰りの軍人がPSTDで社会復帰できないのと同じだ。
しかもランボーは、ベトナムでは優秀なグリーンベレーで、
多くのベトナム人を殺したという設定だ。
『アメリカンスナイパー』の主人公が、もし社会になじめず、
銃を持って立て篭ったら、というのと同じだ。
ただ、映画を観ていて現在と違うと感じるのは、
当時の帰還兵は同じアメリカ人にも冷たくあしらわれていたこと。
戦争の是非はともかく、命がけで戦って帰って来たら、
今度は空港で「人殺し!」の横断幕が掲げられていて、
社会に戻っても周囲から白い目で見られたら、
やはり精神が参ってしまうだろう。

映画は、いまのアクション映画からすればけっこう地味で、
死者もはっきりわかるのはひとり。
何しろランボーを追うのが、アメリカの警察や州の軍隊なので、
バリバリ死人が出てはランボーに共感できなくなる。
しかし、ワイドスクリーンの画面構成と、
巨匠ジェリー・ゴールドスミスの音楽は成熟した職人芸
で、
しっかり作ってあるのがわかる。

ランボーは途中からひとり追われる立場なので、セリフがまったくない。
一度死んだと思われたランボーが生きていて、
坑道から現れて“ヒーロー”となるのは神話の解説から
ヒントを得たと、原作者は言う。
この解説本は原作発表当時(1972年)はインパクトがあり、
ルーカスはその神話の骨組みに乗っ取って「スターウォーズ」を作ったという。

さて、死から蘇ったランボーは町に戻り、保安官を追いつめる。
それを思いとどまらせるのが、ランボーを“作った”大佐だ。
この大佐は、途中で登場し、
ランボーは優秀な殺人マシーンで、作ったのは私だ」と豪語する。
映画ではこの大佐の心理がわかりにくいのだが、
最初は誇らしげだったのが、事態がどんどん大きくなっていき、
自分のした行為が恐ろしくなってきたのではないか。
大佐は怪物を作り出したフランケンシュタイン博士といってもいい。

ラスト、「もう任務は終わった。戦わなくていいんだ」
の言葉を聞き、それまでほとんどしゃべらなかったランボーが、
堰を切ったように自分の心情を語り出す場面は、胸を打つ。
戦場では多くの人を殺して優秀と言われ、高額な兵器も扱った。
しかし国に帰れば、自分の居場所はなく、
駐車場の仕事さえもらえないギャップ。
ランボーを作ったフランケンシュタイン博士は、
うまく出世して大佐になったが、
その被造物である“怪物”は、打ち捨てられた
その辛さをここで一気に語るスタローンは、
現在のスタローンと違って、“うまい”!
PSTDの兵士の心を代弁しているのだ。

当初のラストシーンでは、ここでランボーは大佐によって
射殺されてしまうのだが(撮影済)、
そのあまりにもダウナーでニューシネマ的なオチ
反応はあまりよくなく、ランボーは生き延びることとなった。
すでにアメリカは激しい革命の時代に疲れ、
“癒し”の時代に入っていたのだ。

そして「2」以降は、ランボーのキャラクター
(と作品テーマ)が大きく変わってしまうのだが、
それはみなさんの知るところだろう。

確かに90分見て、このオリジナルエンディングだったら、
観客は落ち込むだろうな。
テーマ的には、こちらのほうが正しくても。

こちらにオリジナルエンディングが
https://www.youtube.com/watch?v=GKsJLLaDA-k
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by mahaera | 2015-04-16 18:28 | 映画のはなし | Comments(0)
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