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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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映画レビュー『ランボー3/怒りのアフガン』 今となってはアメリカの負の遺産を表すランボー

『ランボー3/怒りのアフガン』

85年の「怒りの脱出」の大ヒットを受け、
88年に作られた完全なジャンル映画
このころがスタローン人気のピーク折り返し地点。
日本はバブル真っ最中の頃だ。僕は最初に就職した会社で、
毎月100時間の残業をしていた。忙しかったが、
それでもまだ残業代は出ていた。

ストーリーはこうだ。1979年のソ連軍の
アフガニスタン侵攻により、現地の人たちは苦しんでいた。
アメリカはムジャヒディン(イスラム戦士)を支援するため、
トラウトマン大佐に密かに武器をゲリラに渡す任務を命じる。
トラウトマンは、タイにいるランボーを声をかけるが断られ、
単身アフガンへ。しかしソ連軍によって捕らえられて、
いよいよランボーの出番となる。
基地へ侵入したランボーは、トラウトマンを救い出すが、
絶体絶命の危機に。そこへムジャヒディンの救援が駆けつけ、
ラスボスであるソ連軍将校を倒してメデタシメデタシ。

前作同様、スタローンは本当に
「ソ連に苦しむアフガニスタンの人々を救う」と
信じていたのかもしれないが、時間が経ったいまから見ると、
その行為があまりにも滑稽で悲しい。
アフガンに介入した現在のアメリカに
そのまま返せるセリフが映画に登場する。

「アフガニスタンには、昔からアレクサンダー大王、
チンギスハン、そしてイギリスが征服を試みたが、
誰も成功しなかった。アフガン人を征服できるものはいない」

「愛国心を持ったゲリラがいる国は征服はできない。
我々はベトナムでそれを知った」。


映画ではソ連兵はあくまで極悪非道な悪役で、
ランボーによる殺され役だ。
「101分の本編で108人の死者が出る」として、
ギネスブックに「最も暴力的な映画」と記載されたが、
今の目から見ると残酷描写ではない。
マシンガンを撃つと敵が勝手にバタバタ倒れて行く
映画内ファンタジーで、「死」は痛みを伴わない記号でしかない。
だから映画も凡庸で、「ランボー2」までは許せたファンも、
この「3」は酷評した。テーマやイデオロギーをおいても、
何ら緊張感のない戦闘シーンが続くだけだからだ。
映像も、ステロイド剤投与で異常な筋肉になったスタローン
上半身の裸体を見せることに終始し、
そこにはPSTDで苦しむ繊細なベトナム帰還兵の影はまったくない。
「ランボー」1作目が好きな人が酷評するのも当然だ。

現実世界では、ランボーが助けたムジャヒディン
(映画ではマスード将軍がモデル)はソ連を撤退させたが、
そのあとアメリカが第二のソ連とし
てアフガニスタンの地に引き込まれたのは、歴史の通りだ。
そして映画も、その公開10日前にソ連軍が撤退を決めたので、
ランボーがソ連と戦う理由は公開時にはなくなっていた。
映画も前作の1/3の興収しかあげられず、
アメリカ国内では制作費を下回る収入だった
(日本では、同年の洋画第2位のヒット。1位は「ラストエンペラー」。邦画1位は「敦煌」とシルクロードブームの年。アメリカでは「ダイハード」がヒット)。

「敵をやっつければ平和が来る」という、
20世紀的な楽観思想。イラク戦争以降、
「相手を倒しても、それは新たな憎しみを生み、
戦争は絶えることはない」
と私たちは知っている。
戦争はランボーが活躍する、そんな単純なものではないのだ。
だが、ほとんどの観客は、この時代、まだそれを知らない。
バブルに浮かれていた時代(音楽でいえば光GENJI、
BOφWY、レベッカ、MTVの時代)、ランボーは役目を終えた。
2008年まで、彼はタイでひっそり暮らすことになる
by mahaera | 2015-05-06 08:50 | 映画のはなし | Comments(0)
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