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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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映画レビュー「ランボー/最後の戦場」 カタルシスなき暴力がランボーの生きた世界

『ランボー/最後の戦場』

 すっかり忘れられていたランボーだが、
20年ぶりに第4作目の『ランボー/最後の戦場』が2008年に公開された。
もう誰も期待していないランボー。
しかしこれがまさかの傑作だった!
スタローンはランボーシリーズで初めて監督をしている。

ランボーは国に帰ることなく、あれからビルマ
(映画ではそう呼ぶ)国境近いタイ北部で、
ボートの運搬やコブラ狩りなどをしてひっそりと暮らしていた。
ある日、ランボーの前にキリスト教系NGOの一団がやってきて、
ビルマに住む少数民族への支援に行きたいという。
一度は断るが、彼らを無事送り届けるランボー。
しかしその後、政府軍がやってきて村人を皆殺しにし、
NGOの一団は捕らえられる。
救出のため米政府から傭兵軍団が送られ、ランボーが案内するが、
彼らは軍による村人の殺害を見逃そうとする。
しかしランボーはそうはしなかった…。

ストーリーをこう書くと、今までのランボー映画と同じだが、
ランボーの雰囲気は第一作目に近い。
ここにいるランボーは、隠遁生活を送りながらも、
PSTDに苦しむ男だ。そして、全身から虚無感を漂わせている。
しかし、今までと格段に違うのは、激しい暴力描写だ。
日本ではR-15指定だが、欧米ではほぼ成人指定。
政府軍による村人の殺戮シーンは、
ほぼスプラッター映画といってもいい、人体破壊シーンが続く。
撃たれれば手足が手足が飛び、手榴弾や地雷で身体が四散する。
女子供が殺されるシーンも、逃げないで撮る。
ランボー2と3で見せたエンタメとしての暴力はここにはない。
単なる暴力があるだけだ。
もちろん、最後は、政府軍をランボーらが倒すのだが、
それも同様の暴力がふるわれる。
それは激しすぎて、カタルシスは皆無だ。

NGO団体の善意は、暴力の前には通じない。
それでも、ランボーはそこにかすな希望を見いだすが、
それは敗北に終わる。彼らを助けるために、血が流される。
暴力には暴力でしか対抗できない。
しかし、敵を倒した後のランボーのむなしさはなんだろう。
暴力に暴力で対抗しているうちに、こちらが怪物になってしまう。
そこには勝者はいない。そんなジレンマがそこには出ている。

勝手な想像だが、スタローンは良かれと思って作ったランボー2と3が叩かれ、しかも自分が信じたベトナム未帰還兵問題がウソであり、またランボーが助けたアフガンゲリラがアメリカと戦うことになり、傷ついたのではないか。
強いアメリカを体現したつもりだった、自分がいかに道化師だったのか、さすが2000年代になって気づいたのではないか。
そして、忘れていた第1作の「ランボー」での、心に傷を負った帰還兵のランボーを思い出したのだろう。
戦争も暴力も、単なる人殺しであることを、
この『ランボー/最後の戦場』では描いている。
ランボーがおそらく惚れていたNGO女性も、
ランボーによる殺戮の前におびえてドン引きだ。

ラスト、ランボーはシリーズで初めて故郷に帰る。
これがはたして「最後の戦場」になるかはわからない。
しかし、この作品でシリーズが終わってもいいと思う。
さらに続編があるとしたら、
もうランボーの“死”しかないだろう。
by mahaera | 2015-05-22 11:49 | 映画のはなし | Comments(0)
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