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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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映画監督フランクリン・J・シャフナーについて思う その2 自由への渇望「パピヨン」

フランクリン・J・シャフナーのつづき

中学3年になる春休みだったか、親にせがんで
北千住の三番館に「パピヨン」を観に行った
ネット検索しても出て来なかったが、小学生の時、
パピヨンの物語は少年マガジンかなにかに連載していた。
アンリ・シャリエールの原作はそれほど世界で人気だったのだ。
なので、それが映画になり、「荒野の七人」の
マックイーンが主演とあらば、是非みたい。
映画館に入ると、なぜか映画は始まってから
10分ぐらいのところから映写を始めた。
いきなり囚人がギロチンで首を切られるところだ。
小学生の僕はビビった。

パピヨンとはフランス語で「蝶」
胸にパピヨンの刺青をした囚人シャリエールが、
殺人の罪で仏領ギアナの刑務所に送られ、
そこから何度も脱獄を試みるのがストーリー。というか自伝だ。
先週、ちょうどギアナ三国の原稿を書いていて、
「パピヨンの刑務所」や「悪魔島」が観光名所に
なっていることを知り、久しぶりに借りて見た。
で、シャフナーらしい、男臭い重量級の作品だった。
150分のうち、最初の90分近くはまったくなごむシーンがない。
音楽も最小限。ずーっと緊迫している。
とくに最初の独房シーンは、マックイーンの鬼気迫る演技と共に忘れらない。
体力つけるためにゴキブリ食ったりね。
で、何回も観ているのだけれど、今回腑に落ちたことがあった。
それは「なぜパピヨンは、自由をあきらめなかったか」だ。

注意して見ていると、何の罪で刑務所に入ったかを囚人たちが話していても、パピヨンだけは「オレは人を殺していない。ハメられたんだ」を繰り返す。
昔は、いちおう主人公だし。そういうことで」ぐらいにしか思っていなかったのだが、パピヨンは別に話したっていい同じ仲間にも、修道女の院長にも繰り返す。
そして一緒に脱走した仲間は捕まり、心折れて脱走を諦める。
つまり、「オレは無実だ」という叫びが、
パピヨンを最後まで諦めない、不屈の男にしているのだ。
これは映画の中で最重要だった
映画を見ているものにとっては、別にパピヨンが殺人を犯していても、このストーリーの中ではとくに問題にしなかったろう。
しかし、映画を作る側からしたらそうではなかった。

脚本のダルトン・トランポは、1947年の赤狩りで捕まり、仲間を売らずに証言を拒否して、実刑判決を受けた共産党員だった。
仕事はなくなり、メキシコに移り住み、
貧困の中、偽名で脚本を書き続けた。
「ローマの休日」と「黒い牡牛」でアカデミー賞原案賞を受賞したが、謎の作家はハリウッドに姿を現すことなかった。
彼の作風は「権力への不信と反抗」で、キューブリックが監督した「スパルタカス」やケネディ暗殺の陰謀を描いた「ダラスの熱い日」、自身が1939年に書いた小説とそれを元にして監督した「ジョニーは戦場に行った」によく現れている。
そのトランポが晩年に書いた脚本が、この「パピヨン」だ。
非人間的な扱いを受ける主人公をうまく描けないはずがない。
独房に差し入れをした仲間の名を言えと言われ、拒否する男。
そこにかつての自分を重ねたに違いない。

映画はパピヨンの不屈を描いたが、観客が一番共感したのは
ダスティン・ホフマン演じる囚人仲間のドガだ。
一度受けた恩は忘れない、友情を大事する男。
しかしパピヨンほど強くはなく、最後は脱獄を諦める。
それは観客自身だ。ドガはパピヨンが口を割って自分の名を出しても責めないという。
しかしパピヨンは口を割らなかった。

DVDの吹き替えでは、TV放映時の愛川欽也版で「あたしゃ」というセリフがちよっとおかしかったが。映画観てすぐに買ったEP版、親に捨てられて残念。
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by mahaera | 2015-06-21 23:20 | 映画のはなし | Comments(0)
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