帰国したので、再び子供に世界史を教えている。
3日間でようやく、ウイーン体制からその崩壊、19世紀のヨーロッパ諸国の発展まで来た。
ここ、教科書でも長いところだよね。100年あるから。
さて、自分が高校生の頃だったら、まるで関心がなかった「選挙」の歴史。
我々日本人は、当たり前のように男女共に普通選挙の恩恵を受けているが、そこに至るまでが実に大変だったかを、世界史は教えてくれる。「選挙権=国政に参加できる権利」を求めて、フランスでは何度も革命が起きて多くの人が死んだ。今回、注目したのはイギリスの3回にわたる選挙法改正だ。イギリスは革命も産業革命も他の国より1世紀早くすませてしまい、19世紀はまさに発展の時期。ただし工業化の発展とともに、今までいなかった都市労働者が増え、1850年代になると、もはや選挙権の拡大は不可避となってくる。地主から都市の富裕層へ選挙権を広げた、第1回の選挙法改正で腐敗選挙区(人口の移動により増減した選挙区)は一掃されたが、いまだ有権者は人口の4.5%。これを放置していると、フランスのように革命が起きて流血の惨事になりかねない。ならば先に選挙権を与えて懐柔してしまおうというわけ。
1867年の第2次選挙法改正では、都市労働者や小市民に選挙権が広げられた(所得による制限あり)。しかしまだ人口の9%。しかしこれは大きな出来事だった。基本的にそれまでは国政に参加したり、興味を持つのはある程度、教育を受けた人たちだった。「中流階級」と言っても、今の中流とは違い、自分たちが国を担う自覚のある層。彼らが恐れるのは、選挙権をどんどん広げてしまうと、教育も国政に関して自覚もない人たちが、その数によって議会を支配し、「数による専制」を行ってしまうことだった。しかし時代の流れには逆らえず、恐怖を払拭できないまま、選挙法の改正が進む。ある議員は、「今や我々は、我々の主人である大衆を教育しなければならなかった」という名セリフを残している。
これは上から目線かもしれないが、義務教育がない時代では、仕方がない。読み書きもできず、ニュースだって伝聞しかわからない人たちに、正しい情報を与えて選挙に臨んでもらうのは難しい。労働者は忙しいしね。そこで、この67年の選挙法改正後、70年に初等教育法が作られる。これが義務教育の始まりだ。先の議員なら、「選挙権を与えてしまった以上、主人に教育もほどさなければならない」ということだろう。
つまりここで現代の私たちも考えなければならない。
「なぜ、勉強しなければならないの?」「教育は何のためにあるの?」という子供の疑問に答えられるきっかけが、このイギリスの選挙法改正の歴史にあるかもしれない。議会民主制の国では、国民が国の主人なのだから。1984年の第3回選挙法改正では、参政権は農民などにも広げられ、有権者は19%に拡大する。しかし女性が普通選挙権を獲得するのは、1918年まで待たねばならなかった。