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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教えている世界史。テキサス共和国の独立と併合

子供に教えている世界史。テキサス共和国の独立と併合

 中学生の時、ジョン・ウエイン主演の西部劇「アラモ」を見た。メキシコの圧政に立ち上がったテキサスの男たちが、アラモ砦に立てこもって玉砕する話。それ以来、「アラモを忘れるな」が標語になり、テキサスはアメリカの援助もあり、独立を勝ち取る。映画ではジョン・ウエインが主人公のデイビー・クロケットなので、当然メキシコ軍は悪者の勧善懲悪モノだ。映画としてはそれでいいが、現実の世界史となると、そうもいかない。

 テキサスがメキシコから独立したのは1836年。このころのアメリカは初の西部出身の大統領ジャクソンの時代で、アメリカが西へ西へと膨張している頃。彼は男子普通選挙など民主主義の発展に努めたが、一方、先住民強制移住法が成立し、奴隷制が強化された時代だ。強制移住の途中で先住民の1/4の4000人が死んだ「涙の道」事件もこの頃。そして、奴隷制をめぐって、北部と南部の対立の萌芽が始まった時代でもあった。

 南部の奴隷制プランテーションが強化されたのは、1820年代からだ。
イギリスの紡績工業の原料供給地として、アメリカ南部は空前の景気だった。1800年と南北戦争の始まる1858年を比較すると、綿花の生産量は何と60倍に伸びている(インドの綿産業が衰退したのもこの頃)。農園主は生産品をタバコから綿花に切り替えたが、綿花を積むには豊富な人的資源が必要で、多くの労働者(奴隷)が必要だった。1800年代の前半の南部人口の約半数が、黒人が占めていた。北部では奴隷制はもう廃止されていたが、南部の景気が続き、さらに南部が西へ西へと膨張してくと、奴隷州が増えていくのは避けられなかった。

 その過程の中で、メキシコ領だったテキサスにアメリカ人が入植しだし、奴隷制プランテーション農業を始めた。増え続けるアメリカ人移民を警戒したメキシコ政府は、1829年に移民の禁止と奴隷制の廃止を宣言(メキシコはすでに奴隷制を廃止していた)。しかし移民たちはそれを無視する。やがて移民たちはアメリカへの併合を求め、ジャクソン大統領はメキシコにテキサスの買収を持ちかける。しかしそれがメキシコに拒否されたため、アメリカ人移民を中心にテキサスは独立を宣言する。そしてアラモの戦いになる。

 テキサスの独立は1936年だが、アメリカ合衆国への併合は1944年。
時間がかかったのは、併合によって奴隷州が増えることを北部が嫌がったこと。そしてテキサスの併合は当然ながらニューメキシコやアリゾナといったさらに西への奴隷州の拡大を意味し、またメキシコとの戦争も予想されるものだったからだ。
しかしこの時点では、まだ「奴隷制廃止」が法案で討議されるまではなく、南部への譲歩が行われる。奴隷州問題は解決しないまま、持ち越されるが、それは建国当初から対立していた、強い政府を求める連邦派と、弱い政府強い州権の反連邦派の問題が何ら解決しないことを物語っていた。
連邦政府が決めたことを、州が拒否できるのかということだ。
by mahaera | 2016-04-18 15:43 | 世界史 | Comments(0)
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