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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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旧作映画レビュー『アマデウス』 僕はサリエリにもなれなかったよ

この映画が公開された年、日本全国で、いや世界中で何人の人が
“サリエリ”とあだ名を付けられたことだろう。
そのとき大学生でバンドを組んでいた僕のまわりでも、
「俺はサリエリだ!」と言っていたものが何人もいた。
昨日も違うバンド仲間と飲んでこの映画の話が出た時にも、
「俺の高校にもいたよ。サリエリ」というヤツがいた。

本当にこの映画は、当時僕らをサリエリ気分にさせたっけ。
生きていると何事も要領よくできるヤツもいるし、
がんばってもまったくのびないヤツもいる。
そんなとき、僕らはサリエリほどがんばってもいないのに、
「俺はサリエリだから」と自嘲気味に言ってみたくなる。

TOHOシネマズで朝10時からやっている「新・午前十時の映画祭」、
『アマデウス』を上映ということで、高3の息子を誘って行く。
いつも一緒にマーベルヒーロー映画を見に行く息子だが、
親の務めとして、たまには名作も見せなくてはならない。
実は息子には3ヶ月ほど前にDVDで3回に分けて見せたのだが、
やっぱりこの映画は大スクリーンでいい音響で見たい
ロードショー、名画座、レンタルビデオ、テレビ放映、
ディレクターズカット、DVDとさまざまな形態で、おそらく10回は見ているほど、僕はこの映画が好きだ。
同じ何回も見ている映画だが、毎回新しい発見がある
「アラビアのロレンス」や「2001年宇宙の旅」ほど難しいわけではなく、
おそらくほとんどの人がサリエリに自分が投影できるだろう。
見終わった後の印象も毎回そんなに変わらない。
でもまた見てしまうのだ。

まあ、若いころに気がつかなったのは、サリエリがモーツァルトに対する憎悪が、実は愛情の裏返しだったこと。
サリエリはモーツァルトに、なりたかった理想の自分を見るのと、
報われない一方通行の愛情に苦しんでいたのだ。
モーツァルトの妻、コンスタンツァの比重が大きいのも、
モーツァルトを挟んでの三角関係の物語だからだろう。
そうしたホモセクシャルな感じは、若い頃は気づかなかった。
最後のレクイエムの写譜のシーンは、サリエリの恋が叶えられたシーンにみえる

ただ、世の中のほとんどの人は、サリエリにもなれない
サリエリは当時の成功者だったのだから。
映画を見終わったあと、息子が「僕はサリエリだ!」と
言いださないかと思ったが、そうは感じなかったようだ。
まだ、なにもがんばってないからねえ。
君は(笑)

http://asa10.eiga.com/2016/cinema/602.html
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by mahaera | 2016-07-14 12:04 | 映画のはなし | Comments(0)
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