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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル著 を読む

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仕事とはいえ旅行中は、いまだに文庫本を持ち歩く。
前ほど読む時間はなくなったが(どこでもネットが通じるせいだ)、それでも1週間に1冊ぐらいはなんとか。

行きの羽田で買ったマイケル・サンデルの講義録のような本。
いわゆる「ナントカ論」ではなく、これは大学の哲学の授業なので、過去の哲学者の意見を上げ、果たしてそれは正しいのかを検証するのだが、例えばAという意見も筋が通っているし、それと対抗するBという意見もなるほどと(当然、一流の哲学者の説の引用なので理解はできる)思えたりするわけだが、要は、単純に結果を求めずに、いろいろ試行錯誤して自分の答えを見つけようよ、学生たち、ということ。部分的には、何度読んでも理解が難しいところもあるが(デカルトとか)、ところどころ、「そうだよね!」と読んでモヤモヤが晴れる部分もあり。

近代以降の世界史を息子に教えている。その中に近代国家の国民の権利と義務の問題があるのだが、例えば「兵役」は国民としての権利を発揮するために必要な義務なのか。それならば応募制ではなくて徴兵制の方が正しく反映しているのではないか。お金で兵士を雇う傭兵制は、本来の民主主義を反映していないのではないか。突き詰めれば戦争は民間に委託するという方法はどうなのか、などはちょっと考えてしまった。

実際、今のアメリカは徴兵制ではないし、イラク戦争などは、以前は軍がやっていたかなりの部分を民間に委託している。つまり、汚れ仕事をお金で解決しているわけだが、それが逆に国民の戦争への無関心につながっていく。遠いイラクの人たちが死んでも実感がないし、アメリカの兵士も民間の警備会社の人間も、それが職業の人たちだから、一般人は自分たちのこととして捉えにくい。ベトナム戦争のときにあれだけ反戦運動が盛り上がったのは、大学生が徴兵されるという、「自分たちの問題」だったからだ。

 あとは、「人は自分の行動だけに責任を持つべきか、それとも自分の所属しているグループ全体に対して責任を持つべきか」。
 お金が儲かっている人は「それは自分の努力の結果で得たものなので、たくさん税金を取られて福祉に使われるのは、個人の自由の権利を侵害している」と考える。貧しい人が貧しいのは、本当にその人の自己責任で、助ける必要はないのか。国が保護を与えるのではなく、自助努力をさせるようにするのか。そもそも金持ちが富を独占するのは、その人がそれだけの働きをしたからではなく、システムがおかしいのか。

 別な話では、過去の戦争責任や迫害や差別を、現代の人々を負わなければならないのかという問題も難しい。日本では、過去の戦争責任の話は地雷のようなもので、僕も曖昧な態度をとると両翼の人から責められるが、個人の感情的な部分と組織の部分は切り離して考えなくてはならない。日本の中国侵略に対して、「俺たちは関係ない」という日本人だって、戦時中の日系アメリカ人収容所問題で違法な拘留をしたことを謝罪したアメリカ政府に「謝らなくていいですよ」とは言わないだろう。

 本当のリバタリアンは、「国のやっていることと自分のやっていることはすべて無関係」なので、戦争責任も関係ないとするが、国の社会福祉も期待しないし、自分がのたれ死んでも自分のせい。が、そんな人はあまりいない。たいていの人は、人の手柄を自分のことのように誇りに思うが、人の失態に対しては他人のように振る舞う。まあいいや。こうした討論は、若い人にやってほしいな。

by mahaera | 2016-08-28 14:00 | 読書の部屋 | Comments(0)
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