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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教えている世界史・1920年代のヨーロッパ

第一次世界大戦後のヨーロッパ。
途方も無い賠償額を押し付けられた敗戦国ドイツは、
その後、超インフレが進み、1923年にはドイツマルクの価値は1兆分の1に下がってしまった。
戦勝国は、卵を産むニワトリを殺しかけていたのだ。
ドイツが潰れたら、英仏は賠償金を取れない。
賠償金が取れなかったら、英仏は戦争中にアメリカに借りた金も返せない。
しかしドイツもいつまでたっても経済は回復せず苦しい生活だ。
 
そこでドイツは土地を担保にした紙幣のレンテンマルクを発行。
またサボタージュも止めて諸外国に賠償義務を守ることを約束。
それがうまくいき、インフレも収まり、国際的な信用も回復する。
そしてアメリカも積極的にドイツを援助し、
結果的にアメリカにお金が戻るようにした。
1924年のアメリカの提案による「ドーズ案」では、支払期間の延長、そしてドイツの産業に対してアメリカ資本の投下を決める。
つまりアメリカがお金を出してドイツの産業が復興すれば、
ドイツが英仏に賠償金を返すことができ、
それがまたアメリカに返済されるという流れができる。
アメリカが出したお金がぐるりと回ってまたアメリカに帰ってくる訳だ。
この賠償金も1929年にはさらに「ヤング案」により、

1320億金マルクから358億マルクに引き下げられ、
大恐慌後の1932年には30億マルクまで減額に。
最初からそうしておけばいいのに!
 
その間、1922年にはドイツとソ連は国交を回復。
この時点で共産党のソ連を各国とも脅威に感じていたので、
国交を持っている国はわずか。
英仏にいじめられているドイツは、
同じく敵視されて困っているソ連と国交を結ぶ。
これにイギリスはまずいと思った。
いつまでも冷たく接していてはとね。
そこでイギリスも1924年にソ連と国交回復。
同年中にイタリア、フランスもソ連承認。
シベリアに進駐していた日本も1925年にソ連を承認。
一方アメリカは遅く、1933年にようやくソ連を承認した。
 
さてイギリスでは、第一次世界大中に第4回選挙法改正があり、
初めて女性参政権が認められた。
総力戦の最中に男性労働者が兵士に取られたので、
女性の社会進出が進み、イギリスはもはや女性の力を無視できなくなったのだ。
ただし、この時はまだ選挙権は男性21歳以上、女性は30歳以上と年齢に差があった。
しかし1928年の第5回選挙法改正で、21歳以上の男女に普通選挙権が与えられる。
ようやくここで選挙権の男女平等が達成されたのだ。
ちなみに女性の選挙権は、ドイツでは1919年、アメリカでは1920年、意外にもフランスは1944年と遅かった。
 
その他の1920年代の欧州のトピックスとしては、

1919年からアイルランドの独立戦争が始まり、

1922年に独立が達成されたこと。
ただし、アイルランドはその後、内戦に突入してしまう。
また、イタリアでは1922年に早くもファシズム政権が成立。
ムッソリーニが地主やバチカン、都市の中産階級の援助を受けて共産党や労働運動を潰し、1926年にはファシスト党以外の政党を禁止する。
第一次世界大戦が終わったばかりなのに、
早くもファシズムが欧州で力を持つようになった。
このファシズムはできたばかりの東欧諸国にも広がっていった。
東欧でもともと議会制民主主義の下地があったのは、
工業国で中産市民が育っていたチェコスロバキアだけで、
あとは農民、地主、軍人、教会からなる国がほとんど。
ポーランド、ハンガリーなどは独裁体制に変わっていく。
 
ソ連では1922年にレーニンが死去。
そのあとは激しい党内闘争があり、負けたトロッキーは1929年にソ連を追放され、スターリンがNo.1の地位につく。
あー、スターリンの大粛清時代だよ。
読めば読むほど気が重いところ。
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by mahaera | 2016-09-02 11:44 | 世界史 | Comments(0)
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