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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教えている世界史・1929年、そして大恐慌が始まった

子供に教えている世界史・1929年、そして大恐慌が始まった

意外に息子は世界史の中での経済の話が好きらしい。
むしろ政治の話が続くと堅苦しいようだ。
ということで、今回の世界恐慌については面白く聞いていた。

1929年10月24日、ウォール街でGMの株価が下がると、
USスティールの株価が下がった。
それにつられて、他の企業の株価も次々と下がっていった。
「暗黒の木曜日」だ。
第一次世界大戦が終わると、
アメリカは世界一の債務国から債権国へ変わっていた。
1920年代、産業が順調に伸びているアメリカに投資しようと、
世界中から資本が集まった。
株価はどんどん上がり、額面、実力以上の金額になっていく。
余計にどんどんお金が集まってきた企業はどうするか。
社員の給料も上げるが、さらにそのお金で
どんどん生産を上げていく。
つまりどの企業も、過剰生産状態に。
実際は品物はたいして売れていないのに(儲かっていないのに)、
株価だけはどんどん上がっていった。
1980年代後半の日本を知っている人は、
「ああ、あん時の日本だ」と感じるだろうか。

それに対する予兆はなかった訳ではない。
まず、1920年代に入りヨーロッパが徐々に復興していくと、
アメリカの農業や工業が次第に不振になっていった。
欧州に輸出していた農産物が売れなくなり、
農業の機械化により労働者が解雇され、
干ばつや砂嵐により不作が続き、中西部の農民は土地を捨て、
西へと向かった。スタインベックの『怒りの葡萄』だ。
欧州、とりわけドイツの工業の復興は、
アメリカ商品の輸出の減少につながった。
そして第一次世界大戦中に欧州の工業が停滞した間、
アジア諸国の工業、特に日本、中国、インドの民族資本が
飛躍的に伸びた。
アメリカにとっては、安価な労働力を持つこれらの国の商品は
脅威で、アメリカの商品はさらに売れなくなっていった。
アメリカ国内では、上記の理由で農民・労働者の購買力が下がり、また品物も国外でも売れなくなって、商品がダブついていた。

大恐慌が起こると、アメリカでは町に失業者が溢れ、
企業が倒産し、銀行も支払いができなくなった。
物価は下がり続け、32年までに工業生産は37%下落。
銀行の破産は4500社、失業者は33年には1500万人に、
労働者の給料も時給25セントから10セントへと半額以下に。
各地で農民の暴動が起きた。

このアメリカの恐慌は、すぐに世界中に広まった。
世界中の資本家はアメリカから資本を引き上げる。
アメリカも世界各国への投資や資本を引き上げる。
まず、欧州で一番打撃を受けたのは、アメリカの資本の投下で復興が順調に進んでいたドイツ、オーストリアだ。
たちまち両国の経済は行き詰まり、
今度は英仏への賠償金が返せなくなる。
英仏も賠償金がもらえなくなるから、今度は戦争中にアメリカに借りていたお金が返せなくなる。つまり一周してしまったわけ。
1931年にフーヴァー大統領は、関係国で賠償や戦債の支払を1年間猶予する「フーヴァーモラトリアム」を行うが、
これはあまり効果はなかった。
また、アメリカへ一次産品を輸出していたラテンアメリカ諸国も、それが売れなくなったから、生産過剰になり、不況が訪れた。

アメリカはさらに自国産業などを守るために、
外国からの輸入品に40%の高関税をかける法律を制定するが、
これも裏目に出て、かえって状況を悪くしてしまった。
だって他国も同様に、
「俺たちもアメリカ商品に高関税をかけるよ」ってなるからね。
さらにアメリカ商品も売れなくなる。
こうして大恐慌の1929年からたった4年で、
世界貿易は1/4に縮小してしまう。
「自分だけは助かりたい」と、どの国も思った結果だった。

長くなるので、次回は、各国がその世界恐慌にどうやって対処したか。って、さらに悪くなって、第二次世界大戦へまっしぐら。
by mahaera | 2016-09-22 19:48 | 世界史 | Comments(0)
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