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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教えている世界史〜ラテンアメリカ諸国の動勢(〜1960年)

子供に教えている世界史〜ラテンアメリカ諸国の動勢(〜1960年)

さて、目を久しぶりにラテンアメリカに向けよう。

ブラジルでは、戦前にファシズムの影響を受けたヴァルガスが
1937年に独裁体制を築く。
彼は第二次世界大戦時には連合国側につき、工業化を推し進める。
1945年にクーデターで失脚するが、国民の人気は高く、
1950年に行われたブラジル初の民主的選挙で大統領に選出。
福祉政策など大衆の支持を基盤にし、右派から左派に転じた彼の政策は「ポピュリズム」を代表するものだった。
ヴァルガスはソフトな独裁者だったが、政権末期には
支持を得るために共産党に近づいたことがアメリカの怒りを買い、独裁政治を糾弾される。
そしてヴァルガスは退陣要求が強まる中、
1954年にピストル自殺を遂げている。
以降の大統領は開発に失敗し、1964年にアメリカが支持する
軍人のブランコ将軍がクーデターを起こし、
親米反共の軍事独裁政権を発足させる。

お隣のアルゼンチンは、戦前に親独のペロンが実権を握り、
中立国でありながら枢軸国寄りの姿勢をとり、
アメリカの非難を浴びた(のちに形ばかりの連合国での参戦)。
アルゼンチンを始め、南米には多くのドイツ系移民がおり、
戦後は多くのナチの戦犯をかくまったことでも知られている。
戦後まもなくの1945年10月、アメリカの後押しで軍事クーデターが起こり、ペロンは拘束される。
しかしペロンを支持する民衆は多く、また、妻のエバ・ペロン(エビータ)がラジオで国民にペロンの釈放を訴えたことから、
クーデターは失敗し、ペロンは解放された。
マドンナがエビータを演じたミュージカル映画『エビータ』は
ここがクライマックスになっている。

ペロンは翌1946年に大統領に当選。
当時のアルゼンチンは、牛肉の輸出も好調で
南米有数の富裕国だった。
ペロンの支持基盤もヴァルガス同様に民衆で、
労働組合の保護や賃上げを認めたり、アメリカやイギリス系の企業を国有化したりなど、資本家の反発を買うものも多かった。
一方、反対者を強制収容所に送るなど独裁的でもあり、
「ポピュリズムに支えられたファシズム」ともいえる。
しかし経済の好調に支えられたペロンも、
1949年にはアメリカやカナダといった食料輸出国のライバルの
増産や、1952年に国民に人気のあった妻エバの病死、
離婚法を認めたことからカトリックの支持を失うなどし、
1955年に軍事クーデターを起こされ、スペインに亡命する。

キューバでは1952年に軍事クーデターで政権を奪取した
バティスタが、独裁政治を行っていた。
バティスタ政権を支援していたのはアメリカで、
アメリカ企業やマフィア(バティスタはアメリカ亡命時代にカジノを経営して裏社会につながりがあった)が、
キューバの経済を牛耳るようになる。
これに対抗して革命運動を行ったのがカストロだ。

アメリカから貸与された最新の武器を持っていた
バティスタ政府軍だが、国民の支持を得られず、
カストロ兄弟やチェ・ゲバラらによる革命軍により打倒され、
1959年バティスタは亡命し、キューバ革命が成功する。

当初カストロは、アメリカとの協力を模索しており、
革命成功の4か月後にはワシントンD.C.を訪問し、
革命政権の承認を求めた。しかしアイゼンハワー大統領は
「ゴルフに行く」という理由で会いもせず、冷遇。
この当時、カストロは共産主義に影響は受けているものの、
自分を共産主義者とはまだ表明していなかった。
ソ連の援助は受けてはいたものの、できれば米ソの対立をうまく利用して、独立国家として認められたかったのだろう。
しかし、アメリカはそれを許さなかった。

カストロは帰国後、キューバの農地の7割を占めているといわれた
ユナイテッドフルーツ社関連の土地を接収して、
アメリカ企業の資産の凍結や国有化を推し進めた。
1960年にはソ連と粗糖と石油をバーターで取引し、
さらに武器の提供を受けることも約束。
アメリカとの対立が鮮明になる。
CIAはカストロの暗殺計画を立て始める。
10月には対キューバ輸出が禁止された。

こうした中、2期続いたアイゼンハワーは退任する。
次期大統領は、ニクソンとの選挙戦に勝った
ジョン・F・ケネディに決まった。
アイゼンハワーの退任演説は、軍産複合体がアメリカの歴史上、
かつてないほど力を持ち、自由や民主主義を脅かすことに警鐘を鳴らすという異例のものだった。
冷戦を推し進め、アメリカの国家予算の半分を軍事費に費やした
アイゼンハワーだったが、退任時になってようやく自分がしてきたことに冷静に向き合えるようになったのかもしれない。

ケネディが大統領になったとき、アメリカの軍事力は、
大統領でさえコントロールの効かないものになっていた。
by mahaera | 2016-12-19 18:36 | 世界史 | Comments(0)
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