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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教えている世界史〜キューバ危機・中編(1962年)

つづき

10月24日水曜
キューバへの海上封鎖が始まる。
フルシチョフはソ連からの貨物船のほとんどを
Uターンさせることにした。
もしアメリカ軍の臨検を受けた場合、突発的なできごとで、戦争が始まってしまうことを恐れたためだ。

10月25日木曜
国連の安全保障理事会で、
アメリカの国連大使がソ連の国連大使に
「ミサイルは存在しない」と言わせた後で、
偵察写真を見せる。
この駆け引きでソ連が隠していたことを世界に知らしめた。

10月26日金曜
封鎖線での最初の乗船臨検開始。
このときは何事もなく通過させる。
しかしキューバでのミサイル建設は続けられていた。
一方、アメリカ軍はデフコンを3から2に上げた。
ソ連の主要都市をいつでも核攻撃できる爆撃機が、
空中給油を行いながら常に上空を飛び続けた。
もちろん日本にあるアメリカ軍基地も、
戦闘準備態勢に入った。
そしてソ連がそれに気づくように、
わざと暗号文を使わないようにした。
アメリカでは、国民が食料品の買い込みにスーパーに殺到。

一方、フルシチョフは秘密裏に書簡を公式に1通、
非公式に1通ケネディに届けた。
それは「もしアメリカがキューバに侵攻しないと確約するなら、撤去に応じる」という取引の提案だった。

10月27日
のちに「暗黒の土曜日」と呼ばれる、
人類史上もっとも危険な瞬間が訪れる。
ワシントンのソ連大使館では、
朝から職員が書類を焼却しはじめた。
フルシチョフはアメリカが何もしないことにより自信を持ちはじめ、前日の書簡にプラスして、トルコにあるアメリカのミサイル撤去を求める内容をラジオで放送する。
この時代には、トルコにあるミサイルは旧型で、
アメリカにとってはあまり意味がないものだった。
しかし撤去に応じるとソ連に屈したように見え、
同盟国の信頼を失うのではないかとケネディは考えた。

昼頃、カリブ海では、キューバに向かう船籍を護衛しているソ連の4基の潜水艦に向けて、海軍が爆雷を投下した。

冷戦後の2002年に判明したことだが、
この4基の潜水艦は核魚雷を搭載していた。
そして、攻撃されたら核魚雷を発射する権限も持っていた。
少し前から通信は遮断され、潜水艦内では米ソが戦争に入ったのかもわからなくなっていた。
攻撃を受けた潜水艦内はパニックになり、
艦長は核魚雷の発射命令を出す。

艦長はすでに米ソが開戦したと判断したのだ。
しかし、核魚雷の発射には、
同じ権限を持つ他の2人の同意がなければならない。
政治将校は賛成したが、もう1人の副艦長であるアルヒーポフは同意を拒み、ふたりを説得しはじめた。

おなじ昼頃、アメリカのU2偵察機が
キューバ上空で撃墜される。
これでソ連の核ミサイルが、発射台に備え付けられたかどうがわからなくなった。
すぐさまミサイル基地を破壊することがエクスコムで決まったが、ケネディはそれを拒否した。
不用意な攻撃が、戦争を誘発するかもしれないと。
しかし撃墜により、参謀本部は一気に空爆と侵攻準備に入る。25万人の兵士が動員される。

カストロはキューバが侵攻される前に、
ソ連がアメリカを核攻撃するように要請した。

その中で、ケネディはフルシチョフから別な手紙を受け取る。
それは「キューバへの不侵攻とトルコのミサイル撤去を求めるもの」だったが、前回の私的な雰囲気のものと違い堅苦しいもので、軍事クーデターでフルシチョフが失脚した可能性も浮かんだ。
ケネディはトルコを失うことを恐れ、
ミサイルの相殺撤去の取引を拒む。

さらに運が悪いことに、同じ頃、アラスカ飛行中のU2偵察機が機器の故障で、ソ連領空内を侵犯してしまう。
何とか引き返したが、両軍共に戦闘態勢に入っているときに、爆撃機と誤認されかねないことは、ヒヤヒヤものだった。

続く
by mahaera | 2017-01-03 15:49 | 世界史 | Comments(0)
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