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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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カテゴリ:映画のはなし( 473 )

2008年マイ映画ベストテン

ちよっと遅い話題かもしれませんが、2008年に公開された映画ベストテンを、旅行人のホームページにアップしました。
僕の順位は、

1.潜水服は蝶の夢をみる(ジュリアン・シュナーベル監督/フランス、アメリカ)
2.ラスト、コーション(アン・リー監督/アメリカ、中国、台湾、香港)
3.この自由な世界で(ケン・ローチ監督/イギリス、イタリア、ドイツ、スペイン)
4.そして、私たちは愛に帰る(ファティ・アキン監督/ドイツ、トルコ)
5.ヤング@ハート(スティーヴン・ウォーカー監督/イギリス)
6.シャイン・ア・ライト(マーティン・スコセッシ監督/アメリカ)
7.4ヵ月、3週と2日(クリスティアン・ムンジウ監督/ルーマニア)
8.懺悔(テンギズ・アブラゼ監督/ソビエト(グルジア)
9.アイム・ノット・ゼア(トッド・ヘインズ監督/アメリカ)
10.その土曜日、7時58分(シドニー・ルメット監督/アメリカ)

です。それぞれの作品に関するコメントは、そのHPに書いてあるので、そちらを見てください。
http://www.ryokojin.co.jp/tabicine/2008.html

DVD やケーブルテレビ放映などで見た旧作については、市川昆×石坂浩二の金田一耕助シリーズ全6本と、平成&ミレニアムゴジラ全13作品、黒沢清のホラー作品『回路』『ドッペルゲンガー』、スコセッシ監修のブルースプロジェクト6本、前年から機会があれば観続けているクレイジーシリーズ、若大将シリーズなどのシリーズものを積極的に見た。

旧作ながら昨年初めて観て、おすすめしたい作品は以下の通り(順不同)

洋画
ONCEダブリンの街角で、魔法にかけられて、インドへの道、アポカリプト、バベットの晩餐会、、レミーのおいしいレストラン、ボーン・アルティメイタム、パンズ・ラビリンス、美しい冒険旅行、、幸福(しあわせ)、離愁、Mr.ビーン カンヌで大迷惑

邦画
たそがれ清兵衛、時をかける少女(平成アニメ版)、THE 有頂天ホテル、飢餓海峡、黒い十人の女、運命じゃない人、メゾン・ド・ヒミコ、2/デュオ、アヒルと鴨のコインロッカー

新旧あわせて、昨年見た映画は272本でした。
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by mahaera | 2009-02-02 19:15 | 映画のはなし | Comments(0)

ミレニアム・ゴジラ・シリーズを観る 後編 『ゴジラFINAL WARS』など

続き

4.『ゴジラ×メカゴジラ』 2002 ★★☆
またまた話はリセットされ、1954年の初代ゴジラ以外はなかった設定。併映の「ハム太郎」のため、上映時間が15分ほど短くなっている。
ゴジラ(初代ゴジラとは別の個体)はたびたび日本を襲っているという設定で、その他にもモスラやガイラなどの怪獣が過去にたびたび現れ、
自衛隊はメーサー光線部隊を発達させたという設定もある。

今回は初代ゴジラの骨からDNAを取り出し、生体ロボットであるメカゴジラ(映画では(「機龍」と呼ばれている)を作ってゴジラと闘わせるというもの。
「メカゴジラ」としなかったのは、自衛隊の武器や乗り物のネーミングがふつう日本語だからだろうか。
主人公は釈由美子。上司を自分のミスによってゴジラによって殺され、個人的にもゴジラを恨みに持っている。
現れたゴジラとメカゴジラは対戦するも、ゴジラから作ったロボットなので大暴走して町を破壊し始めるという、トホホな状態になってしまう。
このあたりは「マジンガーZ」大暴走を思い出した。
ゴジラ映画としては、平均点の出来。


5.『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』 2003 ★★★
ミレニアムシリーズでは、唯一前作からの続きになっている。
また昭和の『モスラ』の続編にもなっていたり、カメーバが登場するなど、微妙に過去の東宝特撮作品にも関わり合いがある。

機龍(メカゴジラ)の操縦士たちの確執と、モスラのサイドストーリーが盛り込まれ、これはこれでうまく機能している。
モスラの言い分は、「死んだものを甦らすのは自然の摂理に反すること。ゴジラはモスラが倒すので、(ゴジラの骨から作った)メカゴジラは廃棄してほしい」。
親モスラはゴジラとの戦いで死亡するが、幼虫がゴジラを倒すのは、『ゴジラ対モスラ』と同じパターン。
ラストは、機龍が動けなくなったゴジラを日本海溝へ連れて行き、共に海の底へと消えていく。


6.『ゴジラFINAL WARS』 2004 ★★★
この映画が公開された時、ようやく息子が映画館へふつうに行けるような歳(五歳)になったので、大晦日の昼の回に一緒に行って見た。
息子はビデオではなく、映画館で観るゴジラ初体験。
大晦日の昼間にどんな客が来ているのかと場内を見渡すと、僕のような父子連れが四組、
そしてジージャンズ(もとオタク中年、なぜかいつもジージャンを着ている)らしき男性たちが、ぱらぱと数人。
主演はTOKIOの松岡だが、女性客動員にはまったく貢献していないようだ。

ゴジラシリーズ最終作と銘打って製作されたこの映画は、閉店セールとばかりに歴代怪獣をじゃんじゃか出し、派手な怪獣バトルを繰り広げる。
今までの設定もリセットされ、舞台も近未来のSFタッチ。
近未来の地球では、怪獣がたびたび現れて人類を脅かしており、それと闘うため組織されたのが超能力を持つミュータント軍団。
かろうじて宿敵ゴジラを南極の氷の中に閉じ込める。
その後、地球にUFOが飛来し、地球の平和のために怪獣たちを退治したというX星人が現れる。
ところがそれはウソで、彼らの目的は地球人を家畜として収穫することだった。
彼らの正体に地球人が気づくと、今度は怪獣たちをコントロールして地球の文明を破壊しようとするX星人。
地球人はゴジラを復活させて対抗する。

基本的な話は昭和ゴジラシリーズの『怪獣大戦争』と『怪獣総進撃』がベースになっており、
それにマトリックスやXメン風の、アメコミ風アクションを取り入れたもの。
話としては平成以降の「リアル志向」ではなく、昭和のSFドラマ色が濃厚。
というのも監督の北村龍平が、一番好きなゴジラ映画として『ゴジラ対メカゴジラ』をあげていることからもわかる。
なので登場する怪獣たちも、ゴジラファンからすると「何で?」というものばっかり。
エビラ、カマキラス、クモンガ、キング・シーサーはないだろと突っ込みを入れたくなる。

正直言って、劇場で見たときは僕は大不満だった。「こんなのはゴジラ映画じゃない!」
まず、ミュータント軍団と宇宙人たちの、アメコミ風アクションシーンが多く(上映時間もゴジラ映画最長の2時間超)、ときどきゴジラ映画であることを忘れてしまう。
あまりゴジラ愛を感じられないのだ。怪獣バトルも昭和に戻ったかのような、ふざけたものもあり。またCGですばやく動く、怪獣たちにも違和感を覚えた。
CGですばやく動くカマキラスに息子が劇場で大きな声で「カマキラス早いっ!」と叫ぶと、場内失笑。ジージャンズ、そうだとばかりにうなづく。
松岡とケイン・コスギのバイクアクションはもういいから、早くゴジラを見せろと場内の男どもはみな思っていたに違いない。
たとえは悪いが、ストリップを見に行ったのに、前座の芸人の芝居がなかなか終わらずに、じりじりしている感じか。
ゴジラファンには、『ゴジラ対ヘドラ』が好きなものが多く、ヘドラには思い入れがあるものも少なくないが、それがあっさり投げ飛ばされて終わりなのもがっかりだ。
ガイガンはいいが、最後のモンスターXのデザイン(変身後のカイザーギドラも)よくない。
ミニラは出すな! くだらないギャグは禁止! と画面にいちいち文句や突込みを入れながら観たゴジラ映画はこれが初めてだ。

ラスト、すべての怪獣を倒したゴジラは、ミニラを引きつれ、また海の向こうへと去っていく。
今度はまたいつ柴又、いや日本に帰ってくるのだろうか。さらば寅次郎。。
そのゴジラの後姿に、息子が場内に響き渡るような大きな声で叫んだ。
「ゴジラ、生きているよ。ファイナルじゃないじゃない!」

時間がたって改めて見ると、そんなに悪い作品じゃなく、これはこれでいいのかなと思えるようになった。
ちょっとシリアスになりすぎた、ミレニアムゴジラ・シリーズとは一線を画したいのだと。
これはこれで番外編と思って楽しむには、いいと思う。現に息子は、ゴジラシリーズの中ではこの映画が一番好きなんじゃないかな。

さらばゴジラ。
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by mahaera | 2009-01-11 19:31 | 映画のはなし | Comments(0)

数十年ぶりに観た「スタートレック・シリーズ」

年末の深夜、隣で寝ていた小学生の息子がハッキリとした声で寝言を言った。その内容が
「スタートレック…。ミスター・スポックとドクター・マッコイが…」
なぜかカーク船長の名前は言わなかった。
僕も子供の頃は、「バルカン星人との混血」という設定のミスター・スポックが一番好きだった。

アメリカでは大人気の「スタートレック」だが、日本ではそれほどでもなく、
僕が子供の頃は「宇宙家族ロビンソン」などと同じような感じでやっていた。
そのころのタイトルは「宇宙大作戦」。
30分番組で、アメリカでやっていた1時間番組を毎回前後編に分けて放映していた。
たしか第二シーズンから放映局も変わり、タイトルも「宇宙パトロール」に変わったと思う。
「人間とは不思議なものです」「私には感情というものがありませんから」
というバルカン星人とのハーフのミスター・スポックの口真似をよくしたが、小学校の同級生にはあまり通じなかったなあ。

で、やはり年末に一挙放送があったので録画し、久しぶりにこのシリーズを見た。
ウルトラマンなどとは異なり、1本約50分の一時間枠なので、そうホイホイと見るわけにもいかず、
二ヶ月ぐらいかかってようやくファーストシーズンの半分、16本を見終わった。
デジタル的に修復された色鮮やかな60年代カラーもうれしいが、特撮部分を新たに(オリジナルの味わいを消さずに)撮り直したのもいい。
話は当時の「本格的SF」で、アクションには(予算の関係もあり)あまり頼らず、人間の心理に脚本の軸を置いている。
うちの子供も時々、観ていて集中力を欠くようで、やはり小学生にはハイブロウかなという感じもする。
まあ、背伸びして観るのもいいが。

時は23世紀、人類はいくつかの宇宙人と同盟を結び、恒星間飛行にも成功している。
宇宙の各地にも植民星を持っている。
物語の主役は、そうした植民星を回りながら、時には未知の星域に踏み込み調査する宇宙船エンタープライズ号の乗組員たち。
主人公はそのエンタープライズ号の船長であるカークだが、回によっては副船長のミスター・スポックやドクターのマッコイが主役になる時もある。
宇宙SFなので当然宇宙人は毎回のように登場するが、CGなどない時代のドラマなので、ヒューマノイド(人間型)が多い。
話はシンプルな骨格をふくらますものが多く、
「もし、宇宙人に育てられて超能力を身につけた少年が現れたら →精神的に未熟な人間が強大な力を身につけたら何をするか」
「もし美女に変身する薬があったら →老けた三人の女性にこの薬を飲ませ続けることを条件に、船の乗員たちをたぶらかす」
「もし星で研究を続ける博士の奥さんが吸血鬼だったら →星に上陸した乗員たちが奇怪な死を遂げる」
「もし星で滅んだ宇宙人の文明を発見したら →その成果を独占したい博士が登場する」
こんな感じで話は進んでいく。

昔のドラマだから、主要キャスト以外は案外簡単に死んでいく。この勢いだと、すぐに乗員がいなくなってしまいそうだが、
回と回の間に欠員を補充しているのだろう。
日本のこの手のドラマだと女性は添え物的だが、アメリカ製なので女性乗組員も多いし、ラブロマンスも盛り込んでいる。
しかし子どもにとっては、船長の元恋人や、船長を好きになる乗組員との話は確かにまだるっこい。

始めの10回ぐらいはほぼすべてセット撮影で(宇宙の話だから当然か)、日本の特撮ドラマ「キャプテンウルトラ」を連想した。
このスタートレック・シリーズに熱烈なファンが多いのは、登場人物のキャラクター設定が、まねをしたくなるほどよくできているからだろう。
とくにミスター・スポックは、子どもなら絶対そのセリフをまねしたくなるだろうなあ。

「人間とは不思議なものです。なぜ感情というものがあるのでしょう。私には理解できません」
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by mahaera | 2009-01-09 19:32 | 映画のはなし | Comments(0)

ミレニアム・ゴジラ・シリーズを観る 前編

アメリカ版ゴジラの失敗によって、日本にゴジラが戻ってきた。
その第一弾が『ゴジラ2000ミレニアム』で、以降のゴジラは便宜上「ミレニアム・ゴジラ」と呼ばれている。
「平成ゴジラ」と大きく違うのは、話がほぼ毎回完結で、シリーズといっても続いていないこと。
「平成ゴジラ」のゴジラは同じ個体で、シリーズを通じて登場する人物キャラクターもおり、新作は前回のエンディングを受けて始まっていた。
しかし「ミレニアム・ゴジラ・シリーズ」は、唯一『ゴジラ×メカゴジラ』と『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ』が続いているだけで、
あとは話も世界観も毎回リセットされている。
唯一の共通項は、「1954年にゴジラが現れ、人類が何とか撃退した」という歴史観があることぐらいだろうか。
そして自衛隊(ネーミングは作品によって異なるが)とゴジラの対決が、かなり物語の軸になっていることだ。

1.『ゴジラ2000ミレニアム』 ★☆
1954年に続き、再び日本に現れたゴジラと、はるか昔に地球に飛来して眠っていた宇宙生命体との闘い。
当時、2000年になると世界中のコンピューターが狂って大パニックになるという危機が叫ばれていた。
それをヒントにしているようだが、逆に今となっては「ミレニアム」という言葉が古臭くなってしまった。
「ミレニアム・ゴジラ・シリーズ」の中でも、もっとも魅力のない一本で、どういうゴジラ映画を作ろうかと焦点が定まっていない感じがする。
俳優たちの演技も揃っておらず、阿部寛の「ぐぅおじぃらぁ!」は演技過剰で失笑モノ。
でもこのシーンだけ、何度も観たくなる。いや、それしか印象がない。
宇宙怪獣の造型も、おもちゃメーカーの依頼を受けて作ったとしか思えないほど、格好悪い。
観なくてもいい一本。

2.『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』 ★★☆
前回の反省を受けてか、今回は最初からゴジラ対自衛隊の軸を鮮明に出している。
1954年にゴジラによって東京は壊滅させられ、首都は大阪になっているというSFチックな出だしだが、
その後はとくにその設定が生かされることはない。
今回、ゴジラを倒すのにブラックホールを作ってその中に放り込むしかないという無茶苦茶な作戦を立てるが、そのくらいのほうが映画っぽくていい。
そのプログラムを作るのがアキバのおタクというのが、当時のトレンド。扮するのは『ハンサムスーツ』のハンサムの人。
でも、この作戦最初から失敗続き。で、新たにトンボ怪獣のメガギラスが登場するが、やはりデザインがよくない。
ゴジラとは、当時のトレンディスポット(笑)お台場で戦うがあっさり、やられてしまう。
つまらなくもないが、印象薄い作品。

3.『ゴジラ×モスラ×キングギドラ 大怪獣総攻撃』 ★★★★
1954年のゴジラ第一作以外はなかった設定にリセットして、ゴジラ自体も単なる巨大生物ではなく、太平洋戦争で死んだ人たちの霊の集合体という新解釈を打ち出しての番外編。
監督は、平成ガメラシリーズで、特撮ファンの大きな支持を受けた金子修介で、タッチも他のゴジラシリーズよりも、ガメラシリーズに近い。
ゴジラはなぜいつも日本、とくに東京を目指すのかという毎回の疑問の解答から、きっとストーリーを思いついたのだろうか。
日本を破壊するのは、その霊は日本兵だけでなく、死んだアジアの人々や米軍兵士の霊も合わさった集合体という理屈だ。
映画の中で明示されないが、目指すのは明らかに皇居。戦争責任を追求するということだろう。
歴代ゴジラの中でももっとも凶悪で、目は白目になってかなり怖い感じだ。体型はずんぐりむっくりの昭和ゴジラに近い。
そのゴジラと闘うのは、古来より「やまとのくに」に住み、危機存亡の時に「やまと」を救うために立ち上がるという、護国怪獣たち。
バラゴン、モスラ、キングギドラだ。
焼津に上陸したゴジラは、箱根でバラゴンを撃破。小田原を破壊し、東海道を進み、横浜みなとみらいでモスラとキングギドラとの決戦になる。
ゴジラシリーズにしては珍しく、人間ドラマも充実しており、新山千春のリポーターとその父で自衛隊の将校である宇崎竜童の話もうまく物語に絡んでいる。
モスラとキングギドラは何度もやられるが、しつこいぐらいに復活。
しかしゴジラに止めを刺すのは人間、宇崎竜童だ。宇崎が交信で娘に別れを告げるのは、ちょっと『アルマゲドン』。
ゴジラは自ら吐き出そうとした熱線で自爆してしまう。
見ごたえのある作品で、金子監督でもう一本ゴジラ映画を観たかった。
ミレニアム・ゴジラシリーズを観るなら、まずこの1本を観るといい。
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by mahaera | 2009-01-06 19:34 | 映画のはなし | Comments(0)

アメリカン・ゴジラ2本 『GODZILLA』と『クローバーフィールド』

平成元禄時代、日本映画動員数において、年間ランキングで常にベスト3に入っていて安定していた人気を持っていた「平成ゴジラシリーズ」だが、
アメリカ側のリメイクが決まってたので、前述した『ゴジラVSデストロイア』で終了。
そして期待のうちにアメリカ版ゴジラが、『GODZILLA』となって公開された。
監督は『インデペンデンス・デイ』などの大味の大作映画を得意とするローランド・エメリッヒ。
『スターゲイト』『パトリオット』『紀元前一万年』など、彼の他の作品を見れば、出来は何となく予想がつくだろう。

CG満載、「サイズがモノを言う」などのキャッチコピー、そして当時流行っていた「ジュラシックパーク」を仮想的にした予告編(巨大な足がティラノサウルスの骨格標本を踏み潰す)と、期待に胸をふくらませて劇場に行ったのだが…。

出来は期待を大きく裏切るものだった。
まず、姿かたちはどうみても巨大イグアナで、ゴジラにはほど遠い。
そして最後はあっけなく火力兵器にやられてしまうただの生物で、「怪獣」ではない。
ニューヨークの町を走り回るという設定は、まあ面白かったが、映画の中盤からどんどんテンションが下がってきてしまい、
マジソンスクエアガーデンで発生した大量の小ゴジラの場面などは、まるで「ジュラシックパーク」だった。
つまり、ゴジラ映画に期待されるものがまるでない、「怪物」映画だった。

アメリカでも評判は悪く、ゴジラを愛する映画人はこの映画をけなした。
スピルバーグも『GODZILLA』を観たかと聞かれ、「デブリン(製作者)のイグアナ映画は観ない」と言ったという。
映画以上に期待された大量のキャラクターグッズは売れ残り、ゴジラと他の怪獣が対決する続編の話も流れてしまった。
もし、この『GODZILLA』が成功していたら、アメリカで続々とシリーズ化されていたのだろうか。
『GODZILLA』の日本での興行収入は20億ほどで、それまでの平成ゴジラシリーズとそう変わらなかったという。

アメリカとの契約で、その間ゴジラ・シリーズが作れなくなっていた東宝では、モスラ・シリーズ三部作を製作。
しかし評判はあまり良くなく、ゴジラ復活が待望されるようになる。

すっかり、消えてしまったアメリカ版ゴジラだが(『ゴジラFINAL WARS』ではZILLAとして脇役出演)、最近、「ほぼゴジラ映画」が作られた。
それが今春封切られた『クローバーフィールド HAKAISHA』だ。
予告編でも、これが怪獣映画であることを示していないが、内容は『GODZILLA』+『ブレアウィッチ・プロジェクト』。
ニューヨークに上陸したナゾの怪獣を、一般人の視点で撮った一夜の話だ。
製作はテレビシリーズ「LOST」で人気を得た人。
最初の20分はだらだらした人間模様だが、途中から怪物に襲われて逃げるパニック映画になる。ホラー映画テイストもあり。
肝心の怪物の造型だが、ゴジラともGODZILLAとも似つかないエイリアン風だが、そこまで似せてしまっては「盗作」と言われても仕方がないだろう。
造型はともかく、コンセプトはゴジラ。怪獣に寄生する吸血怪獣も平成ゴジラの『ゴジラ』に出てきたフナ虫怪獣ショッキラスに似ている。
ただしデザインは『スターシップ・トゥルーパーズ』のバグ似。
製作者はこの映画のアイデアは、「日本へ行ったとき、おもちゃ屋で見たゴジラのおもちゃにインスパイアされて考えた」と言っているが、たぶんウソだろう。
アメリカ版ゴジラを「ゴジラ」の名と使用権料を払わずに何とかリメイクしようと考えたのではないか。

この『クローバーフィールド』、アイデアは悪くないと思う。
日本の怪獣映画の弱点は、登場人物たちがいつも自衛隊や閣僚、科学者など体制側で、一般人の視点が欠けている。
もし日本にゴジラが現れたら、逃げ惑う人たちの分だけドラマがあるはずだ。
『クローバーフィールド』の欠陥は、登場人物たちに魅力が欠けていたこと。
あとは、途中もハラハラさせるために寄生生物を出したのは余計だったかと思う。
良かったのは怪獣の姿が常に、主観ショットということかな。
でも、あの造型はあまりよくない(『エイリアン4』の新種エイリアンみたい)。

評価は
『GODZILLA』 ★★
『クローバーフィールド』★★

この項「ミレニアム・ゴジラ・シリーズ」に続く(予定)
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by mahaera | 2008-12-28 19:50 | 映画のはなし | Comments(0)

平成ゴジラ・シリーズを観る その2

4.ゴジラVSモスラ(1992)★★★
冒頭の別所哲也の墓泥棒のシーンは、まるっきりインディ・ジョーンズのパロディ。
そのかつての妻が小林聡美、大竹まことがワル社長ということで、けっこうコミカルな面も。
前年から、観客が母子が多いのでファミリー向けにシフトをという要請があったらしい。
しかしそのおかげで、動員数は400万人超と大幅アップ。
本筋はモスラとバトラの話で、ここではゴジラは単なる悪役。ゴジラ抜きでも話は造れた感じ。
みなとみらいのセットがカッコ良かった。
そういえば、平成ゴジラが昭和ゴジラとちがうのは、都市のセットをふんだんに壊していること。
末期の昭和ゴジラに比べて、予算が増えたことがわかる。

5.ゴジラVSメカゴジラ(1993)★★☆
今回はバブル期の代表的な建物、幕張メッセが決戦場。
ふんだんに金のかかるセットが造れたのも、やはり日本はバブルだったから。
主役は高島(兄)、高島(父)も登場。佐野量子は懐かしい。
とくした気分は、タイトルにないラドンの登場だが、ベビー・ゴジラの登場には「ミニラ再び」の悪夢が。。
このあたりから、かなりファミリー色が強くなり、次の展開が危ぶまれる。
昭和ゴジラがロッカーでなくなったのも、家庭を持ったからだし。。

6.ゴジラVSスペースゴジラ(1994)★☆
「ゴジラ同士の夢の対決!」らしいが、平成ゴジラシリーズの中では魅力に乏しい。
というのも、リトル・ゴジラ(前作のベビー)という子どもを持ったゴジラは、昭和ゴジラの二の舞のように魅力半減。
かわいい怪獣とか、子ども思いの怪獣とか、もう劇場に来ている母子連れに迎合しまくっている。
スペース・ゴジラも、魅力が薄いというか。
見どころは自衛隊の新しいマシーンMOGERAが意外によくできているのと、柄本明がゴジラ映画でも同じテンションの演技を見せていることか。

7.ゴジラVSデストロイア(1995)★★★☆
アメリカでゴジラのリイメクが決まったことから、平成ゴジラはこれで打ち止め。
そしてゴジラが死亡する。
ゴジラが映画の中でハッキリ死亡するのは、第一作目の『ゴジラ』以来で、感慨深いものがあった。
ゴジラの中で核融合が進み、最後は自身の熱でメルトダウンしてしまう。
第一作目のオキシジェン・デストロイヤーで生まれた怪物デストロイアが出てくるが、こっちはあまり造形的に魅力がない。
リトル・ゴジラがデストロイヤーにやられ、涙を流すゴジラ。
そして最後は、体が溶けて消えていく。
さらばゴジラ。懐かしい友人が消えていくような気分だった。

しかし米国版リメイクの失敗により、ゴジラは数年後、復活する。
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by mahaera | 2008-12-22 19:53 | 映画のはなし | Comments(0)

平成ゴジラ・シリーズを観る その1

録画してあった平成ゴジラ・シリーズ、子どもに見せながら全7作品を見た。
すでに昔見たことがあるので、「ながら見」だけれども。

この平成ゴジラシリーズは、ゴジラ復活!の機運が高まる中、始まったもので、
すでにその数年前からオールナイトで「ゴジラ待望」の雰囲気はあり、若き佐野史郎やみうらじゅんは通いつめていたとか。
(★で点数をつけました。最高は『ゴジラ』(1954)の★★★★★として)

1.ゴジラ(1984)★
復活ゴジラ一作目。僕は初めてアメリカへ行くなど、ロックバンドに熱中していた時期。また大学卒業が一年遅れた。
当時は興味なく、見ていなかった。
平成ゴジラシリーズの中でも出来がいまひとつだと思う。
大人のドラマとして作りたかったのはわかるが、登場人物に魅力がない。沢口靖子の棒演技も問題。
災害パニック映画のように作っているが、ならばゴジラである必要はない。
ゴジラ自身も何で復活させられたか戸惑っているようで、
30年ぶりに東京へきたら、自分の背よりもみなビルが高くなっており、途方に暮れた感じ。
自衛隊の秘密兵器スーパーX(ひどいネーミング)も魅力薄。
伊福部音楽がまったくないのも、ダメな理由のひとつ。


2.ゴジラVSビオランテ(1989)★★★
大森一樹脚本は新しいゴジラシリーズの方向を示した。ファンの中では評価が高い一作。
大人のゴジラシリーズを踏襲し、当時流行っていたシュワルツネッガー風のアクションや、
バイオ生物などのSF要素を取り入れている。
ただし個人的には、ビオランテがゴジラとバラと沢口靖子の合体怪獣というのはセンスがないと思う。
最後はうやうむやのうちに、ゴジラは気を失い、ビオランテは空へ消えていく。

3.ゴジラVSキングギドラ(1991)★★★★
この映画を観ていると、当時日本はバブル真っ盛りだったんだなあと感慨深い。
日本が世界の超大国になっているという23世紀から、未来人が日本の発展を阻止するためやってくるという話がベースなのだ。
未来人がゴジラを生まれないようにし、その代わりにキングギドラが誕生し、日本を襲う。
ゴジラは太平洋戦争中、結果的に日本軍を助けて米軍を退けるが、被爆して怪獣になり日本を破壊しつくす。
タイム・パラドックスものになっているのは、当時流行っていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の影響だという。
しかしこのころの日本って、本当に「アメリカを凌いで世界一の経済大国」って意識があったんだなあ。
じゃなきゃ、未来からわざわざ日本を壊滅させにこない(笑)
シリーズ中の異色作だが、平成ゴジラの中ではこれが一番好きかもしれない。
子ども向け化が進むと感じたのは、のちにキングギドラに変身するドラットというかわいいキャラ怪獣がでてきたこと。これはいらない。

続く
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by mahaera | 2008-12-21 19:54 | 映画のはなし | Comments(0)

グレアム・グリーンの『おとなしいアメリカ人』と、映画『愛の落日』

グレアム・グリーンというイギリスの作家を知っていますか?
僕が彼の名を知ったのは名作映画『第三の男』の原作者として。
この映画はサスペンスだが、政治や国家に翻弄される人間ドラマがきっちりと描かれ、
単なる娯楽映画には終わっていない。いまや名作映画の代表ともいえる作品だ。
グリーン原作ではその他にも当時『落ちた偶像』が映画化され、やはり高い評価を得ている。

10年ほど前にグリーンの『情事の終わり』が、ジュリアン・ムーアとレイフ・ファインズの共演で『ことの終わり』として映画化され、
数年前には『おとなしいアメリカ人』が『愛の落日』としてマイケル・ケイン主演で映画化された。
ともに、傑作とはいえないまでも、どこか心に残る佳作だった。
しかしグリーンの小説自体は読む機会がなく、今回、ようやく図書館で『おとなしいアメリカ人』を借りて読んだ。

舞台はフランス植民地時代のヴェトナムのサイゴン。
北部ではホーチミン率いる共産軍との戦いにフランス軍が次第に劣勢になっているころ、
イギリスの特派員である主人公ファウラは、サイゴンで若い現地妻フウオングと暮らしている。
初老の彼は本国に妻がいるが、長い間別居生活。
フウオングとの正式な結婚に向け、妻に離婚したい旨の手紙を送るが、妻は応じてくれない。
そんな彼の前に、若くて"おとなしいアメリカ人"パイルが現れる。彼はアメリカの通商団のメンバーだ。
ヴェトナムにやってきている他の騒々しいアメリカ人と違い、
パイルは知的で物静かで、生真面目であり、そして信念に燃えている青年だった。
パイルはやがてフウオングに恋し、律儀にもファウラにそれを打ち明け、彼女と結婚したいと許可を求める。
家柄や収入も良く、何よりも若さを持っているパイルに、彼女を盗られることに嫉妬する主人公ファウラ。
ファウラは妻と別れることもできず、いつ本国へ帰されるかもわからないのだ。

そんな中、ファウラは政府軍でもなくベトコンでもない、第3勢力の将軍の陣地を取材した時、パイルを見かける。
プラスチックを売りに来た通商団のメンバーが、どうしてここに?
2人は陣地から帰る途中、ベトコンの攻撃を受け、ファウラはパイルに命を救われる。
やがて「離婚しない」という妻からの手紙をフウオングが発見し、ウソがばれ、彼女はファウラの元を出て行く。
老いたイギリス人は、若いアメリカ人にヴェトナムという恋人を奪われたのだ。
ある日、広場で爆弾テロが起きる。その場で爆弾が爆発することを事前にパイルは知っていた。
ファウラはやがて真実を知る。

パイルは通商団のメンバーではなく、アメリカの特殊工作員のひとりなのだ。
敗色濃いフランスに代わり、アメリカがヴェトナムを支援する下地を作りに来ている一員で、
広場での爆発も、共産ゲリラのせいにする自作自演のテロだった。
そしてパイル自身には悪意はなく、それが「アメリカや自由主義社会のため」と本気で信じている。
その理想に燃える青年は同じような想いで、若いヴェトナム人女性フウオングをこの世界から救い出したいと思っている。

老いた主人公ファウラはがとった行動は、パイルを共産ゲリラに「売る」ことだった。
ファウラとの待ち合わせ場所に向かったパイルは、川に死体として浮いて発見される。
フウオングはファウラのもとに何事もないかのように戻ったが、ふたりに未来はない。

僕は先に映画『愛の落日』(それにしても酷い邦題だ!原題はそのままのクワイエット・アメリカン)を観て、
まったく期待をしていなかったこともあり、けっこう面白く観れた。
映画が製作されたのは、ちょうど9.11のテロのころ。そのため、反米的な内容の本作の公開は延期になったという。
日本で公開されたのは、アメリカ公開よりもさらに遅れた2年後ぐらい。
地味な俳優、政治映画ということで嫌われ、まるでラブ・ロマンスのような扱いでひっそりと公開された。

今回原作を読んでみて、映画がほぼ原作に忠実なことがわかった。
映画を観たときは、ちょうどアメリカのイラク占領が問題になっていた時で、かなり原作をいま風に脚色したものかと思っていたからだ。
映画のほうがよりわかりやすくなっているのは、視覚的に「老人と若者」の対比がわかるからだろう。
文章だとしばしば、登場人物の年齢を忘れてしまうからだ。
映画では名優マイケル・ケインが老人であるファウラを演じ、没落していくイギリスを体現。ケインは本作でアカデミー賞候補になった。
アメリカ人青年パイルには、ふだんは健全な役が多いブレンダン・フレイザー(『ハムナプトラ』シリーズの主人公)。
年老いていく男にとって一番怖いのは、若さだ。
どんなに経験を積み、仕事や技術が優れていても、
「恋」という不確かなものの闘いの場合、「若さ」にあっさりと打ち砕かれしまうこともある。
ファウラがパイルに嫉妬し、またパイルが自信に満ちて挑発できるのも「若さ」がそこにあるからだ。

しかし「若さ」は良いことばかりではない。
理想に燃え、親切心からヴェトナムに進出する「おとなしいアメリカ人」。
彼は自分のしていることが、多くの人々を不幸にすることを疑いもしない。
「多くの幸せのためには、少しの犠牲は仕方がない」と考えるようになる。
爆弾テロの後、パイルがヴェトナム語が堪能だったことがわかり、靴についた血を吹くシーンは、ゾッとさせられる。
彼は死なねばならないが、それはアメリカのヴェトナム進出を押しとどめるものにはならないことは歴史が証明している。
ちなみに原作が書かれたのは、ヴェトナム戦争以前だが、アメリカがやっていることは半世紀たった今でも変わりない。

戦争を起こすアメリカ人の黒幕は老人で、自分たちは善意でそんなことをしているのではないとは知っているだろう。
しかしそれを実行に移し、命を落とす若いアメリカ人たちは、「いいことをしている」と思ってやっているのかもしれない。
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by mahaera | 2008-12-20 15:55 | 映画のはなし | Comments(0)

まだまだ観ているクリスマス映画 『恋におちて』『天使のくれた時間』ほか

前回書いたように、クリスマスとニューヨーク映画についてまだ原稿を書いている。
ニューヨークでロケされた映画についてはけっこう詳しいサイトがあるので、場所は問題ないのだが、観ていない映画については、何ともコメントできないので、今回TSUTAYAの半額キャンペーンを利用して(笑)、まとめて観ているわけだ。

『恋におちて』はもちろん前に観たことがあるが、やはり公開ちょっと後だったので、細かいところは覚えていなかった。
印象的なピアノのメロディーのデイヴ・グルーシンの音楽、最近も聞いたことがあるような。
たぶん、FMの交通情報のバックで流れていたのかも。
映画は「不倫もの」だが、派手さがない中年の男女が主人公というところが共感を呼ぶ。
メリル・ストリープって、このころから老けてたんだ。
彼女がデ・ニーロに逢いに行く時に、部屋で服を選んでいるが、ある服はどれも地味なものばかりというところに、この女性の地味さが出ている。
デ・ニーロは、今から思うと「中年の危機」の時代に突入しているみたい。
子どもも少し大きくなり一段落、家庭も仕事も順調。
しかし、「これが、本当に望んでいた俺の生活なのだろうか?」と疑いを持ってしまう年頃(笑)だ。
意外に忘れていたのが、ラスト。
ハッピーエンドになるのか、そのまま別れてしまうのか、覚えていなかった。
今観ても、どっちにころんでもいいように作られている。
これがメグ・ライアンだったら、ハッピーエンドは疑いもしないのだろうが。

『オータム・イン・ニューヨーク』は、ダメな日本映画をリチャード・ギアとウィノナ・ライダーでリメイクしたとしか思えない作品。
お金もあり、女にモテモテでの48歳男ギアは、まるで田村正和。
ちょっとつきあって女はポイという男だが、かつてつきあっていた女性の娘、ウィノナが不治の病と知り、入れ込んでしまう。
不治の病を映画に使うのはもう禁止! 大沢たかおじゃないんだから!
で、心臓病だったかな。余命1年以内と医者に聞かされた後、なぜかギアはウィノナを早く死なせたいとしか思えないように、激しいセックス、さらにスケートに連れ出す。
観ていて「やめろ!」と思った瞬間、ウィノナはスケートリンクに倒れている。
病院にかつぎこまれたウィノナ。
主治医に「余命はあと一か月」と言われ「一年って言ったじゃないか!」と逆ギレのギア。
「お前が寿命縮めてんだろ!」と映画を見ている僕がつっこみたくなところ。
その後、退院したウィノナと二人のギア。クリスマスツリーをベランダに飾り付け。
「まだ見ちゃだめだよ。ちょっと待って…。ほうらもう見てもいいよ。。ウィノナ!」
と次にウィノナが倒れているのが見え見えの展開。ベタすぎる! 
話もひどいが、ふたりがとても恋人同士に見えないのが最大の欠点か。
どうも、やっつけ仕事で演じているようで、人物像が軽すぎる。
この映画見るなら、友達と突っ込みながら笑い飛ばしてみるしかない。

『天使のくれた時間』は、かつて恋人を振り切りロンドンへ渡り、現在は株のトレードで成功を収めた男ニコラス・ケイジが主人公。
金は持っているが孤独で嫌な男が、クリスマス・イヴの夜に出会った男(なぜかドン・チードル)により、別の人生に送られる。
その人生では、ロンドンへ行かず恋人と結婚するが、ローンに追われ郊外暮し。
子どもは三人、日々の暮らしに追われ、贅沢なんてできない。
ケイジは最初は、そこから逃げ出そうとするが、次第にそのもう一つの人生が好きになって行く。

 クリスマス・イヴの夜には天使が現れ、別の人生を見せてくれるというのは、ディッケンズの「クリスマス・キャロル」。
この『天使のくれた時間』もそれがたぶんベースで、嫌な男が善人に生まれ変わるというパターン。
クリスマス・イヴの夜に善人が自殺しようとすると天使が現れ、彼のいない世界がいかに味気ないかを見せるのは『素晴らしき哉!人生』。
話は予想がつき他愛無いが、ニコラス・ケイジの困った顔、うきうきした顔、ぼーっとした顔を見ているだけであきない。
この人、本当に変な顔の人だ。


今日はこれからライブです。
結果は、また報告します
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by mahaera | 2008-12-12 15:59 | 映画のはなし | Comments(0)

メグ・ライアンは今どうしているか?『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』を今さら見る

[ スライドショウ ]
ここ数日、『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』
『恋人たちの予感』『恋におちて』と恋愛映画ばかり、観ている。
別に恋をしたくなったわけではない。
さてこれらの作品の共通項は?

実は現在「ニューヨークとクリスマスと映画」というお題で、原稿を書いている。
「クリスマス映画」とされている映画は少なくないが、改めて見直してみると、クリスマスシーンは全体のごく一部だけということも。
「gooが選ぶ、面白いと思うクリスマス映画ランキング2006」では、上記の映画はそれぞれ6、7、8、12位だった。そして4本ともロケ地はニューヨーク。それでまとめて借りてきて観ているのだ。
『恋人たちの予感』『恋におちて』はかなり前に観たことがあるが、ほとんど忘れていたので見直した。

話がクリスマス・イヴに始まりクリスマス・イヴに終わる『恋におちて』は、まあクリスマス映画といってもいいが、あとの3本のメグ・ライアン映画は、クリスマスのシーンはわずか。しかし、アンケートで上位に選ばれたと言うことは、きっとその少しのクリスマス・シーンが観た人には印象的だったんだろうなあ。

『恋人たちの予感』では、主人公のハリーとサリーがニューヨークで再会して仲良くなり、一緒にツリーを買いに行くシーンがある。その後すぐに大晦日のニューイヤー・イヴ・パーティーになる。翌年、いろいろあってハリーと疎遠になってしまったサリーはひとりでツリーを買いに行く。クライマックスはご存じのようにニューイヤー・イヴ・パーティーでの告白で、クリスマスではないが、印象がごっちゃになっているのかもしれない。

『めぐり逢えたら』では、最初のほうにメグ・ライアンが婚約者を実家のクリスマス・イヴ・パーティーに誘い、その帰りに妻を亡くしたトム・ハンクスのことをラジオで知るシーンがある。しかしそれから映画が進むに従って、もうクリスマスは出てこず、バレンタイン・デイに映画はおわる。この映画に出てくるパソコン、まだ文字ばかりでMS-DOSの時代みたい。電話も大きいし、結構時代を感じる。

『ユー・ガット・メール』は、クリスマスシーズンの飾り付けをしている小さな絵本屋から話が始まる。でもとくにクリスマスで話が盛り上がるわけではないが、冬のニューヨークのイルミネーションが、ちょっとクリスマス映画っぽいのだろう。翌年の春、メグ・ライアンはトム・ハンクスがメル友であることを知る。
映画はふつうの出来だが、地図にこの映画のロケ地を落としていくと、映画に出てくる店がちゃんと二人の通勤ルートの途中にあったり、実生活の中から出てきた背景に関心。
あと、当時はまだ「スタバ」はとてもおしゃだったことが分かる。「コーヒー一杯に決断を迫られる(メニューも多いしサイズも決めなければ)」というセリフも、「あのころはそうだった」と注文に困っていた頃を思い出す。パソコンはチャットができるぐらいに進化。「映画に見るパソコン進化の歴史」なんて記事も面白いかもしれないなどと考えた。

さて、今晩は『オータム・イン・ニューヨーク』でも見ようか(笑)
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by mahaera | 2008-12-10 16:01 | 映画のはなし | Comments(0)