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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

カテゴリ:映画のはなし( 449 )

最新映画レビュー  『聖なる呼吸』『ジャニス:リトルガール・ブルー』 『スーサイド・スクワット』

9月公開の映画で書きそびれたのを3本。
場所によってはまだ公開中かもしれない。

『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』
南インドで現代ヨガを始めた指導者とその後継者たちをドキュメンタリー。
インドといえばヨガというぐらいイメージが強いが、皆さんがしている近代ヨガは20世紀に入ってからのものらしい。
僕はヨガをしないので、詳しくはわからないが、ここで描かれるのもヨガをやる人にとっては、ヨガ大陸の一部らしい。
つまり欧米人が好きなヨガのグループということで、かなりハード。
まあ、勉強にはなったが。


『ジャニス:リトルガール・ブルー』

これまで何本もジャニスのドキュメンタリーが作られてきたが、たいていがシンガーのとしての彼女を追うもので、ライブシーンが見ものだったと思う。
本作はそことは少し視点を変え、家族に出した手紙やデビュー前の様子、彼氏の証言を入れ、オフの時のジャスの姿を浮き彫りにしていく側面が強い。
保守的な南部に生まれたジャニスは、高校の時はいじめに遭い、大学でも“ブス”と悪口を言われ、自由な気風のサンフランシスコに来て、ようやく自分を解放することができた。
たちまちスターになるが、そこはまだ20代なかばの女性。
状況をコントロールすることができずに、破滅への道を歩んでしまう。
少し前に公開され『エイミー』と被る。

『スーサイド・スクワット』
DCコミックスの悪役を集めた囚人軍団を、減刑を与える代わりに生還不可能なミッションを与えるという、「特攻大作戦」的な話。
大勢のキャラを揃えたが、その説明に終始してしまう前半。
そして肝心のミッションや敵キャラがしょぼい。
あと、悪人という接待だが、みんないい人たちで、その設定が生きていないと、期待はずれ。
脚本も緩く、もっともっと練ってから作ればよかったのに。
ウィル・スミスのデッド・ショットなんて、娘思いのいい人にしか見えない。
「ハーレイ・クインだけが良かった」という、大方の意見に賛成。
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by mahaera | 2016-10-13 14:04 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー 『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』  ファンなら劇場で見ないと後悔!

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一ヶ月以上続いた、ドロドロ仕事がようやく終了。最後の一本を書き上げ、メールで送ったので、打ち上げ。ただし一人だけれど。

で、選んだのはこの映画「エイトデイズ・ア・ウィーク」。
ビートルズのドキュメンタリーなんて、今更目新しさはないとノーマークだったのだが、ビートルズはいつ見ても目新しい。
映画館の中は、もうオーバー・フォーティーズ・ワールド。
そして映画ファンというより、もう見るからに
ビートルズファンらしき風体のおじさん、おばさん。
僕のひとり打ち上げ会場には、ピッタリだ。

ビートルズの結成から解散を時系列に追うのは、もうアンソロジーでやっているので、監督のロン・ハワードはどうするのかなと思っていたら、1964年から1966年にかけてのツアー、
特にアメリカに絞って、彼らがいかにハードデイズナイトの生活だったかを綴っていた。
そして、アメリカ視点でビートルズを語るのも、初めての視点もあり新鮮だった。

ビートルズがアメリカに上陸した1964年は、
アメリカでは激動の時期だった。
その前年には、キング牧師のスピーチで有名なワシントン大行進があり、11月22日にはケネディ大統領が暗殺される。
そんな陰鬱な空気を、1964年1月14日にアメリカで発売された
「抱きしめたい」が吹き飛ばす。4週間で250万枚が売れ、
人気の最高潮の2月7日にビートルズはNYへ。
翌々日の2月9日に出演したエド・サリバン・ショーでは視聴率72%、全米の人の半分が見たという。
6月に「ヤアヤア」も公開され、8月からアメリカツアーが始まる。
その頃、トンキン湾では北ベトナム軍と米軍が交戦を始めていた。
この年はキング牧師がノーベル平和賞を受賞し、ソ連が中国を非難し、PLOが設立され、韓国では戒厳令が施行、日本では東海道新幹線が開通した。

1965年、二度目のアメリカツアーが行われる。
初めて知ったのは、ビートルズは黒人のティーネージャーにも人気があったことだ。
当時のアメリカでは、白人と黒人の聴く音楽は分かれ、それぞれ専門のラジオ局でしか放送されなかった。
しかしビートルズの音楽は巷にあふれ、黒人の若者にも届いた。
少女だったウーピー・ゴールドバーグが、シェイスタジアムに行った話を語るが、初耳だったのはビートルズが南部を回った時、当時のスタジアムは白人と黒人の席が分離されていたこと。
記者会見でビートルズのメンバーがそれに対して抗議して、初めて会場で人種の壁が取り払われた。
会場では、白人も黒人も一緒になって声援を送ったが、ある黒人女性はそれで初めて「白人も自分たちと変わらない」と思ったと語っていた。

そうした時代の空気感を、「ビートルズの時代」に入れる試みをするのは、監督のロン・ハワード自身、多感な時期がそこだったからかもしれない。
ビートルズの全米上陸のときは、彼は10歳ぐらい。
赤ん坊の頃から子役としてテレビに出ていたハワードなので、
きっとエドサリバンショーも見ていたことだろう。

このドキュメンタリーでは、エピローグとしてアップルの屋上でのライブを映し出す。
そこにはすっかり成長して、大人になった彼らの姿が映し出されていた。

劇場用のおまけで、本編終了後に、「シェイスタジアム」のライブ映像が30分あるので、これも必見。
まるで昨日撮ってきたかのようにリストアされている。
最後の「アイム・ダウン」はサイコーだ!
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by mahaera | 2016-10-02 23:48 | 映画のはなし | Comments(0)

子供に教えている世界史・番外編『トラ!トラ!トラ!』

世界史の副教材として休憩時間に見ている映画。
今回は1970年の日米合作映画『トラ!トラ!トラ!』だ。
往年の名作なので、テレビでも何回も放映し、
年配の方は見ていらっしゃる方は多いと思う。
これは1941年12月7日の日本軍による真珠湾奇襲を描いたもので、
作られた1970年がベトナム戦争の最中だと思うと、
かなり日米に「公平」に描かれたものだと思う。
日本側は日本が、アメリカ側はアメリカ側でそれぞれ監督を立てて別々に撮影したことにより、2001年の『パールハーバー』のような珍妙な日本も出てこない。
なんでこの映画を見せたかと思うと、やはり子供にはイデオロギーや陰謀論に関係なく、あの戦争の始まりを知ってほしいからだ。

日本は日米開戦に向けて周到な準備をしていたが、
アメリカ側の組織はまだ戦時体制になっておらず、
いくらでも察知するチャンスはあったのに、
緊張感に欠け、情報を逃してしまった。
真珠湾攻撃は、アメリカが知ってはいたが自国を参戦に導くためにあえてハワイに伝えなかったという「陰謀論」が有名だが、実際には日本軍の接近を知るには幾つものソースがあったので、そのすべてに陰謀が働いていたことはありえない。
「まさか、ハワイが攻撃されることはないだろう」という、
異常事態にそれを否定してしまうという人の心理が、
アメリカ政府や軍全体に及んでいた。
つまり、「ひとりひとりのミス(油断)が重なって」というのが、
本作のように正しい視点だと思う。

また、日本側の宣戦布告が遅れたのも陰謀ではなく、
作戦事態がもともと余裕がないギリギリのものだったので、
すべてが順調にいった場合に伝わることが前提だった。
緊急性がわからない外交官が1、2時間遅れただけで
破綻するような机上の空論のようなものだった。
(わかっていれば送別会なんてやっていない)
また、真珠湾攻撃は日本側には大戦果だったが、
当初の目標である空母が一隻もいなかったので、
本当は大失敗だったとも言える。

日本では大ヒットしたこの映画だが、
アメリカでは興行的には惨敗だった。
理由はアメリカがメタメタにされて終わるからだ。
そして、奇襲を察知できなかったのは「アメリカ側が無能だったから」、と感じられる内容なので、
見終わった後はアメリカ人は怒り心頭だったのだろう。
その反省を踏まえて、2001年の『パールハーバー』では、
ドゥリトル爆撃隊が復讐で日本本土に爆撃するのがクライマックスになっている。
最後には一矢報いないと、映画的にはスカッとしないわけだ。

子供が驚いたのは、CG登場以前の特撮。
特に、“本物の”戦闘機が大挙して飛ぶシーンには、「これはすごい」と言っていた。
今じゃ、手前以外はCGだしね。あと、低空飛行。
当時のアメリカの飛行名人たちが雇われて、撮影に臨んだという。
片足着陸とか、実写で実際に撮影している。
CGだと何を見ても驚かないが、
本物はやはり迫力が違うと感じたようだ。
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by mahaera | 2016-09-03 10:29 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー 『みかんの丘』 アブハジア紛争中、辺境の村にも戦争の波が押し寄せる

みかんの丘

Mandarinebi

2013年/エストニア、ジョージア


監督:ザザ・ウルシャゼ

出演:レムビット・ウルフサク、ギオルギ・ナカシゼ

配給:ハーク

公開:917日より岩波ホールにて(同時公開『とうもろこしの島』)

公式HPwww.iwanami-hall.com/contents/next/about.html


アブハジア紛争の中、辺境の村に残った老いたエストニア人

傷ついた敵同士がその家で暮らすうち、心を通わすようになるが…


●ストーリー

ジョージア(グルジア)西部にあるアブハジアで、独立を目指すアブハズ人と、それを阻止するジョージア人との間で紛争が起きていた。そして戦場から遠く離れた山地の小さな集落にも、戦火が迫りつつあった。移住したエストニア人たちが暮らしていたこのみかん農園が広がる集落だが、紛争のため住民の多くは帰国し、残ったのは二人の老人、イヴォとマルガスだけだった。

マルガスは実ったみかんの収穫が気になるが、イヴォはどこか上の空だ。ある日、彼らの家の前で戦闘が起き、イヴォは生き残った2人の兵士を自宅で介抱する。ひとりはアブハジアを支援するためにやってきたチェチェン人の傭兵アハメド、もうひとりはジョージアの若い兵士ニカだ。二人は快方に向かい、互いに相手への憎しみを抱きつつも、恩人のイヴォの家では決して殺し合わないことを約束した。しかし数日後、そこにアブハジアを支援するロシアの小隊がやってきた。


●レヴュー

仕事柄、ジョージアやアブハジアについては、知っている方かもしれないが、映画を見て原稿を書こうと調べ出すと、知らなかったことばかりだった。

まず、本作の主人公とも言えるイヴォはエストニア人だ。

バルト三国の一つとして知られるエストニアの人間がなぜアブハジアに?というところから始まるが、19世紀末から20世紀初頭に、エストニア人がバルト海沿岸から移住してきたという歴史があることに驚いた。

それもロシアがアブハジアを征服した際、イスラム教徒のアブハズ人たちの半数近くがオスマン朝に移住を余儀なくされ、その結果、ロシア帝国内の様々な民族が移り住むことになったという。

アブハズ人はジョージアの中では少数民族だが、その中にさらに少数民族が住んでいたのだ。


また、なぜチェチェン人のアハメドが義勇軍としてアブハジア側で戦っているかというと、アブハズ人はもともと北カフカス系の民族で、イスラム教徒が多かった(のちにキリスト教徒に転向したものもいたが)。

ということで、イスラム教徒が多数であるチェチェン人が義勇軍としてくるのだが、映画を見ると、実際にはロシアとの戦いで実戦を積んだ傭兵としてのスカウトされたようだ。


少数民族の中の少数民族であるアフハジアのエストニア人からすれば、今回の紛争に対しては冷ややかな目で見るしかなかったのかもしれない。

それに幾多の政変や戦争を見てきた老人にとってそれは一時的なものだが、大地の実りは毎年やってくるものなのだ。

そして戦争は、いつでも若者が死ぬことで続けられる

老人からすれば子供か孫のような兵士たちが、家の前で撃ち合い、死んでいく。

勝ち負けなどなんの意味もない。

将来があったはずの人間が無駄に死んでいくだけだ


怪我の治療を受けるうち、最初は横暴な振る舞いをしていたチェチェン人のアハメドだが、自分を助けてくれた老人シヴォに恩義を感じ、故郷にいる家族を養うために傭兵になっていることを告げる。

一方、ジョージア人の若者ニカは、劇団で役者を目指していたが、志願してここにやってきたことを告げる。

戦争が終わったら、また舞台に立ちたいという。

最初は共に憎しみを感じ、老人イヴォのために嫌々協力していた二人だが、イヴォの家で過ごすうち、お互いがそれぞれ家族もいる血の通った人間であることに気づいていく。


この町からも戦場からも離れた人がいない集落というのが、戦争という生々しい現実の中にありながら、次第に話が寓話的色彩を帯びていくのだが、僕はそこに小学生の頃に読んだ手塚治虫の反戦短編マンガや、小川未明の童話「野ばら」を思い出した。

国境に配置された老人と若者の兵士の話を覚えているだろうか。

映画は最後に大きな転換点を迎える。

「野ばら」と違って、戦争はこの地にもやってきたのだ。

それもあっという間に。

映画が終わった時、生き残ったものも、死んだものも、

いっとき幸せでいられた瞬間があったことを思い出す。

大義だろう、自己防衛だろう、自由だろう、いろいろあるだろうが、死んでいく人たちにも、それぞれの家族があり、人生がある、私たちと同じ人間であることを忘れてはいけない。

これは世界の「辺境」での物語だが、それは世界のどこにでも起きる(起きた)話なのだ。

★★★☆前原利行


■関連情報

2013年ワルシャワ国際映画祭最優秀監督賞、観客賞

2015年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート


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by mahaera | 2016-08-26 11:01 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー 『ソング・オブ・ラホール』 パキスタンの伝統音楽は世界に通用するのか!

ソング・オブ・ラホール
Song of Lahore

2015年/アメリカ

監督:シャルミーン・ウベード=チナーイ、アンディ・ショーケン
出演:サッチャル・ジャズ・アンサンブル、ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラ、ウィントン・マルサリス
配給:サンリス、ユーロスペース
公開:8月13日よりユーロスペースにて公開中
公式HP: senlis.co.jp/song-of-lahore/


20年ほど前にパキスタンのラホールに行ったことがある。
バックパッカーで世界を回っていた頃のこと。
当時はパッカーの間では「ラホールの泥棒宿」の話は有名で、
僕はちょこっと滞在しただけで、インドへすぐに国境を越えた。
惜しいことをした。

ラホールは今はパキスタンの都市だが、ムガル帝国時代はデリー、アグラと並ぶ帝国三大都市のひとつで、
英領インド時代にはパンジャーブ地方の中心都市だった。
インドとパキスタンが分離独立するまでは、かつての宮廷文化の名残で、ラホールには多くの楽士が住んでいたという。
パキスタン独立後も、映画産業の伸びとともに音楽家の需要は増えていた。
しかし、それが大きく変わったのは、近年の事。
イスラーム原理主義の浸透により、娯楽としての音楽は肩身が狭いものになっていった。

そんな風潮の中、危機に瀕している伝統音楽を救おうと、
一人の実業家が音楽家たちを集めて“サッチャル・ジャズ・アンサンブル”を結成。
古典楽器を使って「テイクファイブ」を演奏する彼らの姿がYouTubeで世界に流れ、
やがて彼らは、世界最高峰のジャズミュージシャンである
ウィントン・マルサリスからニューヨークに招かれる。
ウイントン率いるビッグバンドとの共演だ。
ニューヨークに着いてリハーサルを始めた彼ら。
しかしそこには、大きな壁が立ち塞がっていた。

最近はニュースで解説もよく流れるからご存知だと思うが、
イスラーム教には、多数派のスンナ派と少数派のシーア派がいる。
両者の教義の違いは自分で調べていただくとして、
シーア派が多いのはイランとイラクと知っている方はいると思うが、実はインド亜大陸にも少数だがシーア派の人たちがいる
例えばインドではラクナウの藩王はシーア派だったので、
町で一番盛大なモスクはシーア派の建築だし、
バングラデシュのダッカでも、シーア派のモスクがある。
サッチャル・ジャズ・アンサンブルの中でも、
おそらく最も実力のあるミュージシャンで
バーンスリー奏者のバーキル・アバースがカメラの前で、
人にわからないように防音の効いた部屋で、練習しなければならないことを語った時に、
音楽家という下に見られるカーストとというだけでなく、
さらに自分は少数派のシーア派で、パキスタンの中では
二重に肩身の狭い思いをしなければならないと語っていたのに、
驚いた。
パキスタンはイスラムなのでカーストはないのかという先入観があったが、調べてみると、身分制度はちゃんとあるらしい。これはイスラムというより、インド亜大陸の習慣なんだな。

さて、映画について。
前半の成功物語の部分は、苦労があってもそのあとに成功が
待っていることを知っているので、ちょっと気楽に見ていられるのだが、そんなこちらの気楽な気分を凍りつかせるのが、
ニューヨークに着いてからのリハーサルシーン。
半ば浮かれ気分で、観光さえ楽しんでいたメンバーたちだが、
ウイントンの楽団のリハーサルで、世界トップレベルのジャズメンたちの高い壁に当たり、
また、音楽の進め方の流儀の違いに戸惑う。
リハで曲のキーが変わり、サッチャルのミュージシャンが
対応できなくなってしまう
ところだ。
まちがいなく本作のハイライトとなる大ピンチ
もうあの時のメンバーたちの緊張の顔、そしてウイントンたちをまともに見られない気まずさ。

ちょうど僕のバンド仲間と試写に行ったのだが、見終わった後で、
「あのシーンは、自分も何度も夢で見てうなされたのと同じだよね」とお互いに言った。
楽器をやっている人の方がわかりやすいと思うのだが、
打楽器の人たちは、最初こそ戸惑うものの、
勝手がつかめれば、うまくビッグバンドに入り込める。
また、先に書いたバーンスリー奏者のバーキルは、単音楽器というのと、ビックバンドの人たちが微笑むほどうまいので、問題ない。
しかしシタールは、楽器の性質上、ドローンを鳴らしていることもあるので、
チューニングが難しいんだろう(シタールをしたことがないので詳しくはわからないが)。それでも不可能とわけではなく、やはりこのシタール奏者(YouTubeの人とは別人)のレベルが合わなかったのだろう。
いや、あれが自分だったら、本当に辛いなあ〜。

単なる感想になってしまったが、でも自分の親戚とか知り合いが、
出ているような親近感を持って見てしまうのだよ。最後には。
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by mahaera | 2016-08-16 23:44 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 自分にドンピシャな脚本家。こうありたいもの

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 

2015年/アメリカ

監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン、エル・ファニング
配給:東北新社
公開:7月22日よりTOHOシネマズシャンテほかにて公開中


以前、映画レビューでも書いたことがあるが、ダルトン・トランボは若い頃の僕にとって最も気になるハリウッドの脚本家だった。
今と違って、ネットもwikiもない1970年代。
知りたい作家の経歴を知りたくてもわからず、
モヤモヤとしたものを感じていた。
知ってるのは、1950年代に共産主義者として赤狩りに遭い、
“ハリウッドテン”の一人して、自分の名前で脚本が書けない時代があったということ。
『ローマの休日』のオリジナル脚本は彼の手になるが、
他の脚本家イアン・マクレラン・ハンターの名義を借用し、
アカデミー賞を受賞したこと。
『黒い牡牛』でもアカデミー賞を受賞したが、彼が偽名で書いた作品のため、オスカーを受け取ることができなかったこと。
そして、『スパルタカス』でようやく自分の名前で脚本を発表できたということだ。
もちろん『ローマの休日』は好きな映画だし、
『スパルタカス』『パピヨン』『ジョニーは戦場に行った』は、
僕がリアルタイムで名画座通いし出した頃の大好きな作品なので、それらが皆同じ脚本家によるものだと知った時は、うれしかった。
ただし、『スパルタカス』『パピヨン』は何度も見ているが、
『ジョニーは戦場に行った』は辛くて一度しか見ていない。
多感だった?高校生には、あの主人公ジョーの姿は、ホラー映画以上の恐怖だった。
もっともその頃は、物語の裏に隠されたいろいろな意味がまだ理解できていたわけではない。

映画『トランボ』は、第二次世界大戦が終わり、
アメリカで赤狩りが始まった頃のハリウッドから始まる。
“共産主義者”は国の敵となり、ハリウッドでも“アカ”の思想に染まった者探しが始まる。
それまで脚本家として名声を得て、裕福な暮らしをしていたトランボだが、議会での証言を拒否し、有罪を宣告されてしまう。
この時、仲間たちの名前を挙げて、有罪を免れた者たちもいた。
もちろん政府側は証言を待つまでもなく、疑いがある者たちを割り出していたことだろう。
わざわざ証言をさせる理由は、彼らの不和と裏切りを世間に知らしめ、さらに仲間を売った屈辱を味あわせるというためだった。
ハリウッド内でも、ジョン・ウエインやロナルド・レーガンのようなタカ派は、“裏切り者”を積極的に炙り出そうとする。
なかには反骨精神を持つ者もいたが、
世の中がいわば大衆ヒステリーのような状況では、どうしようもなかった。
また、共産主義者にはユダヤ人が多かったことから、反ユダヤ的な運動もあったようだ。
“仲間を売った”者の中には、のちに『エデンの東』でアカデミー賞を取る名監督エリア・カザンがいる。
そのため彼は仕事を得ることができ、多くの名作を残したが、
仲間を売った汚名は一生ついて回った。
この赤狩りは、仕事を失った者に大きな痛手を与えたが、ハリウッドに生き残った者にもまた、大きな心の傷を残したのだ。

出所したトランボには仕事がなくなる。
そんな彼を拾ったのは、B級映画専門の映画会社だ。
高給取りの一流脚本家をタダ同然で使えるのだから、
こんなにうまい話があるわけはない。
その間、トランボは偽名で多くの作品を書く。
ここで、「上訴して法廷で闘おう」と一緒に仕事を失った友人がトランボに言う。
しかし、トランボは「書き続けることが私の闘いだ」と断る。
同じ有罪を宣告された仲間たちの間にも、赤狩りは大きな亀裂と傷を生んだ。

友人の名で発表した『ローマの休日』(1953)
そして偽名で書いた『黒い牡牛』がアカデミー賞受賞(1956)
自分の名前を公表できないトランボだが、大きな心の支えになったに違いない。
この映画の中で、観客が大いに湧くシーンがある。
ジョン・グッドマン扮するB級映画会社社長のオフィスを訪れた赤狩りの調査員が、バットで撃退されるシーンだ。
こうした男気のある者がいたからこそ、トランボは作品を書き続けることができたのだ。
しかし、おおっぴらにはできない作家活動は、家族に負担を強いる。そのあたりも『トランボ』は丁寧に描いている。
特に娘のエル・ファニングとの関係の変化は、
二人の俳優の好演もあり、いいシーンになっていると思う。

やがて、時代が変わり、「赤狩りで追われた脚本家だろうが、
構わないじゃないか
」という映画人も出てくる。
カーク・ダグラスがトランボを訪ねて『スパルタカス』(1960)の脚本を依頼するくだりや、同時にオットー・プレミンジャー『栄光への脱出』(1960)の脚本を急がせるシーンは、見ていて痛快。
とくに『スパルタカス』は、今だとカーク・ダグラスが筋金入りのリベラル派だと知っているので、彼がトランボに依頼した意図もよくわかる。
有名なラストシーン、奴隷軍を捕まえたローマの将軍が「スパルタカスは誰だ。知っているものは名前を言え。そうすれば残りの者は、はりつけにしないでやる」と言う。
しかし奴隷たちは、一人ひとり立ち上がり
「俺がスパルタカスだ!」と叫ぶ。
このシーンは、「仲間の名前を言えば許してやる」と言った赤狩りの公聴会にかぶる
実際には、「俺がスパルタカスだ!」とならなかったが、そこにトランボの願いが込められ、名シーンとなったのだ。
映画は、そのあと、トランボが名誉回復してスピーチをするシーンで終わる。
そこで、「この赤狩りには誰も勝者はいない」と、転向して仲間を売った者も傷ついたことをトランボは言う。

「俺は負けねえぜ」
この映画では触れられていないが、
映画『パピヨン』のマックイーンのセリフだ。
好きな映画だが、あの映画で不思議だったのは、
マックイーン扮するパピヨンが本当に人を殺して有罪なのかはハッキリと語られないことだった。
もともとこの映画は他の人物が書いた脚本で進められていたが、予算が膨れ上がり、急遽もう一人大スターが必要だということでダスティン・ホフマンがマックイーンの相手役に選ばれた。
ところが、ホフマンの役ドガは元の脚本では出番は少ししかない。
それを大きく膨らませるために、トランボが急遽雇われた。
彼は速書きで有名だったからだ。
トランボが書いた主人公パピヨンは、実際に何を犯したかは重要ではない。
パピヨンが見る奇妙な夢のシーンがあるが、そこでパピヨンが糾弾されるのは、「人生を無為に過ごしてしまった罪」だ。
これはトランボの実体験から来ているシーンではなかろうか。

『ジョニーは戦場へ行った』
では、戦争で四肢を切断され、目も耳も口も使えなくなってしまった青年ジョーが、その中でなんとかして生きていこうとする物語だ。
これはリアルタイムで観た当時、単に「戦争は残酷だ」と思って見ていた。しかし今では、
すべての自由を奪われてしまっても、それでも表現せずにはいられない」ことのメタファーに見える。
原作は、トランボが唯一書いた小説で、アメリカでは何度も発禁処分になっている。
そしてトランボ自身が監督した唯一の作品でもある。

映画『トランボ』の題材は興味深いが、映画自体は傑作というほどではないかもしれない。
しかし、こういう人間がいたことをハリウッドが描くことは、意味のあることだろう。
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by mahaera | 2016-08-08 09:51 | 映画のはなし | Comments(0)

子供に教えている世界史・番外編 映画『ドクトル・ジバゴ』でロシア革命を学ぶ

20世紀最初の大事件に、「ロシア革命」がある。
教科書でも数ページにわたって説明があるのだが、
ちゃんと覚えている方は少ないのではないか。
世界史的には、1917年の2月革命と10月革命、内戦、
戦時共産主義、NEP、第1次五カ年計画、第2次五カ年計画あたりの
流れは必須だが、息子はぼーっとしている。
そこで、新・午前十時の映画祭で『ドクトル・ジバゴ』が上映されるというので、7月の第2週目、劇場に息子を連れて行った。

『ドクトル・ジバゴ』は、監督のデビット・リーンが名作
『アラビアのロレンス』の次に撮った、1965年の大作映画だ。
原作はソ連の作家ボリス・パステルナーク
しかし「ロシア革命を批判する内容」としてソ連では出版もされず、またノーベル賞を受賞したが、国家によってその辞退を強制された。
国家としては、『革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しない
ということを証明しようとした無謀な試み
(wikiより)』ということだが、「無謀な試み」以外はその通りだ。

幼い頃に両親を亡くしたユーリ・ジバゴ(オマー・シャリフ)は、
モスクワの裕福な親戚の家庭で育てられ、医学の道を志す。
ある夜、ユーリは中年女性の自殺未遂の治療に訪れ、
そこで女性のパトロンのコマロフスキー(ロッド・スタイガー)
女性の娘ラーラ(ジュリー・クリスティ)と出会う。
ラーラにはボリシェビキ革命を目指す恋人パーシャ(トム・コートネイ)がいたが、
コマロフスキーに惹かれ、母の愛人と関係を結んでいた。
やがて、ユーリは自分を育ててくれた親戚の娘
トーニャ(ジュラルディン・チャップリン)と結婚。
しかし第一次世界大戦が始まり、軍医として戦地へ向かう。
そこで看護婦として戦地に来ていたラーラと再会。
その間、帝国軍は総崩れになり、国内では革命が進行していた。
やがて革命政府はドイツと講和し、モスクワに戻ったユーリだが、
自宅は“革命同志”に接収されていた。
ユーリは残った家族を連れ、別荘のあるウラル地方へと移る。
その隣町でユーリは、ラーラと再会。
パーシャと結婚したラーラは、娘と2人で暮らしていた。
夫のパーシャは戦地で行方不明となっていたが、
実は赤軍指揮官ストレルニコフとして、
白軍とその協力者を冷酷に追い詰めていた。
ユーリとラーラの間に愛が生まれるが、別れる決心をしたその日、
ユーリは赤軍パルチザン部隊に拉致され、前線へと送り込まれる。

上映時間3時間20分という超大作
前奏、休憩、間奏ありの、オールドスタイルの大河ドラマだ。
原作は読んでいないが、やはり人間関係が複雑で長いはずで、
ストーリー的には連続ドラマの方が向いている作品かもしれない。
しかし、映画だからこそ可能な群衆シーンやスペクタクルもある。
ただし出来からいうと、『アラビアのロレンス』にはおよばない
これは、どうしても「主人公であるユーリに魅力的がない」という大きな欠点を抱えているからだ。
「ロレンス」は、主人公が一筋縄ではいかない複雑怪奇なキャラで、周りの人間が振り回されるのだが、
「ジバゴ」では主人公ユーリはブレない堅物。
翻弄される役柄なので、周囲のキャラばかり目がいってしまう
もちろんそれは監督の意図なのだが、見ている方は主人公が
ほとんど活躍しないので、フラストレーションが溜まっていく。
オマー・シャリフもインタビューで、「損な役柄」と語っていた。
とはいえ、クオリティ的には申し分なく、
「重厚で格調高いドラマを見た」という充実感は得られる。

戦争や革命という個人を無視する体制の中では、唯一自由を感じられるのは個人の愛情のみ
しかしそれを貫くことは、体制に「NO」を突きつけることと同じになるのだ。
だから、ソ連政府は原作を「反革命的」としたのだろう。

世界史的には、映画はロシア革命の数年前から
おそらく第二次世界大戦後のスターリン時代までの30年あまりを描いている。
「血の日曜日事件」を連想させる、市民デモを襲うコサック兵。
第一次世界大戦、続く、赤軍と白軍による内戦、
NEPによる成長期、そして第二次世界大戦が終わり、今や大国になったソ連まで。
そのあたりのロシアの時代の流れを、ざっくり掴むにはいい作品だろう。

まあ、息子には「戦争だろうが革命だろうが、
結局は死ぬのは一般庶民。理想を語るのはいいが、
革命の名の下に多くの人々が不幸になった。
自由を奪うという意味では、ある意味、革命の方が戦争よりも悪質。そんな中で、自由に生きたいなら、どうすればいい?」
と感じてくれればいい。
映画は意図的に戦闘シーンは少なくされ、
むしろ戦闘が終わった後の悲惨さが強調されている。
ロレンスのように勇壮な感じはなく、戦いも「やれやれ」感のみ。
特に「赤軍のパルチザンが白軍を機銃掃射で皆殺しにしたら、
死んだ兵士たちはみな少年だった」

というシーンはものすごく嫌ーな印象を残す。
あとは、赤軍に送り込まれているボリシェビキの思想指導者たちは、みな嫌な奴に描かれているとかも。

この映画で何が一番いいかというとモーリス・ジャールの音楽
特に「ラーラのテーマ」はおそらく彼の最高傑作だ。
音楽がいいと言ってしまうと、「映画はダメなの?」と思うかもしれないが、そんなことはない。
ただ、こんな素晴らしいメロドラマ大作のスコアはそうはない
もう前奏曲のイントロが聴こえてきただけで、
ロシアの大地とそこを流れる大河、白樺林が浮かんでくるはずだ。

ちゃんと眠ることなく。息子は耐えて鑑賞していたようだが、果たして面白かったのかな。
奥さんと子供がいるのに浮気しちゃう、正義心はあるが、優柔不断な医師が主人公なんで共感できないかもねえ。
むしろ、結婚するまで童貞を貫き、その鬱憤を革命に捧げ、
いざ結婚して過去の妻の不貞を許さず、人民殺しまくりでウサを晴らす冷血漢、ストレルニコフあたりに共感したりして。
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by mahaera | 2016-08-07 18:12 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー 『ラサへの歩き方 祈りの2400km』 遠い別の人生を見ているうちに幸せを考えた

ラサへの歩き方 祈りの2400km

2015年/中国

公式HP : moviola/lhasa
公開 : 7/23からシアターイメージフォーラムにて公開中


すでに7/23からシアターイメージフォーラムで公開中だが、
公開が終了しないうちにオススメしておきたいのが、
この映画、 『ラサへの歩き方 祈りの2400km』だ。

チベットのカム地方(四川省や雲南省に近い)の村に住むある老人が、ラサへの巡礼を思い立つ。
それを知った親戚や村人たち11人が集まり、皆でラサへ旅立つ。
距離は1200km。
それを五体投地で向かうのだ。
途中で出産、車の事故、水が流れる道での五体投地などもあるが、
彼らは黙々と前へ前と進んでいく。
ようやくラサに着いたが、お金が尽きた彼らはそこで働き、
さらに聖山カイラスを目指すことにする。

この映画はドキュメンタリーではない。
大まかなストーリーやキャラクター設定があり、
それに沿って理想のキャスティングがなされている。
また、巡礼の様子の撮り直しも行われている。
しかし、カメラに映る巡礼のメンバーは全員素人だし、
自分の役を演じているだけだ。
監督はメンバーへ方向性を示しているだろうし、
いろいろな出来事からストーリーを作る部分を切り取る。
しかし、映し出されている風景や、
登場人物の感情は、作り上げられたものではない。

2時間あまり、ただ、ただ、歩いて、美しい景色とドラマがある。
この長い一本の道は人生と同じで、ただ進むしかない。
赤ん坊が生まれ、子供は成長し、老人は死んでいく。
僕は大のチベット好きというわけではないし、
チベット自治区へも行ったことがない。
しかし、丁寧に描写される彼らの生活は、
どこか自分の遠い記憶の中にありそうなものだし、
あの黙々と続く道のりは、肉体的には大変なのだろうが、
その多幸感はわかりそうな気がする。

僕が旅に出た理由のひとつに、自分と接点のないような、
よその国の人たちの生活を垣間見たいことがある。
その点、この映画は、まさしく、自分がこの巡礼者たちに
寄り添っているような気分にさせてくれるのだ。

シンプルな生き方がしにくくなっている自分からすると、
彼らの迷いがない生き方は清々しい。
見終わった後、ちょっと羨ましくなった。
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by mahaera | 2016-08-03 23:44 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー 『AMY エイミー』 音楽は素晴らしいが、ダメになっていく友達を見ているようで辛い

AMY エイミー

2015年/イギリス、アメリカ

監督:アシフ・カパディア
出演:エイミー・ワインハウス、ミチェル・ワインハウス、マークロンソン、トニー・ベネット
配給:KADOKAWA
公開:7月16日より角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷で公開中


もう公開が始まっている、ドキュメンタリー映画『AMY エイミー』。
今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した力作で、
それまで歌手であるエイミー・ワインハウスのことをほとんど知らなかった僕だが、かなり大きなインパクトがあった。
2003年、20歳でデビューしたエイミーは、そのジャージーな歌声でたちまち注目される。
23歳で出したセカンドアルバム『Back To Black』は大ヒット。
25歳でグラミー賞受賞という歌手としての頂点を極める。
しかしその裏側では、アルコール依存症、結婚相手からハードドラッグを覚え、プライベートは破綻していった。
そして2011年7月、エイミーは27歳の若さで亡くなる

このドキュメンタリーは、14歳の誕生日を祝うエイミーからその死までの歩みを、ほぼ時系列に沿って、当時の映像とインタビューなどによって構成している。
まず一番驚いたのは、デビュー前から多くのプライベード動画や音声が残っているということ。
僕が親しんできたミュージシャンたちとは時代が違う。
2000年代は、もうデジタルの時代だったのだ。
ライブ映像はともかく、友人たちと遊んでいるプライベート映像、留守電に残した音声がこんな形で、映画に使われるとは。
彼女の歌には確かに魅力がある
僕はこの映画を見たすぐ後CDを購入し、いまも繰り返し聴いている。(「You know I’m no good」「Love is a Losing Game」「Valerie」はとくにいい)
そして歌詞カードを読むと、人生にリンクしたそのあまりの内容に痛々しさを感じる
きっと彼女の心境に自分を重ね合わせることで、
多くの人たちが「共感」して、癒されたのだろう。

摂食障害、アルコール依存、セックス依存、
ドラッグ依存、ファザコン、、
もし自分の身近に彼女がいたら、
関わり合いを持ちたいとは思わないだろう。
ダメな男に惹かれ崇拝し、自分のことを思って注意してくれるような人物を遠ざける、
人に迷惑をかけ、それをまた繰り返す。
ドキュメンタリーにも出てくる、彼女の夫であり、ヒモであり、ドラッグを教え込んだ、
誰が見ても本当に最低の男に惚れ込んでいる、哀れな女
誰かを求めていながら、それを拒否し、いつでもダメなカードを選んでしまう。

最終的には音楽も彼女の救いにはならなかった。

いくら優れた才能があっても、中身は所詮20代前半の子供なのだ。
女子大生ぐらいの年齢の子が、富と名声を手にし、
いきなりいろいろな人から言い寄られたら、
うまく対処して生きていくことができるのか。
大好きだったが自分を捨てていった父親さえ戻ってきて、
ちやほやする。
娘を食い物にする最低な父親だが、それでも喜び、信頼するエイミーが悲しい。

もうこの子は、小さな頃から周辺にいい大人がいなかったんじゃないか。
そうした孤独や絶望感が、彼女の才能を支えていたとしたら、
不幸なことだ。
あとは、もしもっと長生きできたら、そうしたものから解放され、
人気は落ちても自由に音楽を楽しめたのではないかと思う。
最後の録音となったトニー・ベネットとのデュエットの映像を見ていると、いつかはベネットのような存在になれたかもしれないと、思うのだ。

映画のハイライトのひとつである、グラミー賞を受賞した時のあのエイミーの表情。
無防備な喜びの表情は、結末を知っているがために惜しくも悲しい。
映画を締めくくる彼女の死は残念というより、
「仕方がなかった」という感じに思える。
死ぬつもりはなかったのだろうが、彼女はこれで楽になったのではないかと感じてしまうのだ。

エイミーの曲を1曲も知らなくても、この映画はおすすめできる
僕のように見終わった時は、すっかりエイミーの歌声のファンになっているはずだから。

いまも毎日、僕の頭の中ではエイミーの曲が流れている。
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by mahaera | 2016-07-28 16:34 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー 『帰ってきたヒトラー』 ヒトラーはいい人だったと思えたら、自分はヤバい?

帰ってきたヒトラー

2015年/ドイツ

監督:デウィッド・ヴェンド
出演:オリヴァー・マスッチ、ファビアン・ブッシュ、クリストフ・マリア・ヘルプスト
配給:GAGA
公開:6月17日


拡大公開でもミニシアターでもはないぐらいの公開だが、
そこそこヒットしているらしい『帰ってきたヒトラー』。
こういう映画、作るのにはかなり勇気がいったろう。
何しろ日本と違って、ドイツではヒトラーやナチスを賛美するのは絶対にタブー。
前にミャンマーに行った時、地元のバカな若者が、
ドイツ人女性にナチス式の敬礼を冗談のつもりでやったら、
彼女にひどく怒られていたっけ。

 もうあちこちで書かれているがこの映画、フィクションとしてのコメディとしてはイマイチだが、何しろヒトラー役のオリヴァー・マスッチさんの熱演はすごい。
正直言って似てないが、映画を見ているうちはそんなことを忘れて、彼を好きになってしまう。
そして、ドッキリ式で彼に応対する町の人たち(実際の町の人)から、次々と偏見や差別的な本音を引き出してしまうのは、つられて笑ってしまいながらも、自分が嫌になる。
民衆なんて、自分も含めてほとんどがクズかもしれない
だから、「理想」に向かって生きているわけだし、
「良き人」になりたいと思って生きている。
そんな心を逆なでするのが、このコメディだ。

 「ヒトラーっていい人じゃない」
昔の人もそう思っていたろう。
いや、すべてヒトラーのせいにするのはフェアじゃない
ヒトラーは死んではおらず、いまもこの世界で脈々と生きている。
自分の不甲斐なさを人のせいにするために。
世の中や他人のせいにしているのは、自分が全体の一部になれば楽だろう。
でもね、生きていればいい時も悪い時も、みんなに訪れるもんだ。
不満だってあるだろう。それをいちいち人のせいにしていれば、
あなたのところにもヒトラーはきっとやってくる。

いや、でもヒトラーいい人だなあと思ってしまうところが怖い。
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by mahaera | 2016-07-15 16:03 | 映画のはなし | Comments(0)