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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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カテゴリ:海外でのはなし( 272 )

2016.08.15ボゴール着。日本は終戦記念日だが、ここインドネシアでは

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日本は今日は終戦記念日だが、インドネシアでは明後日の8月17日が独立記念日なので、ここ一週間、小、中学生が行進の練習をしている姿を各地で見続けてきた。

8月15日、インドネシアの日本軍はほぼ無償で終戦を迎えた。それにより、インドネシア独立派は早急に独立宣言をする必要に迫られ、8月17日に独立を発表。そのあとは、当然ながらオランダ軍が上陸してくるはずなので、独立派は日本軍に武器の提供を求めた。

で、ネトウヨに限らないが、皆さん良く誤解しているのは、「日本軍はインドネシアの独立に協力した」という美談。多分テレビとかでやっている、インドネシア独立軍に加わった日本兵の話とかを見て、日本軍が組織的にしたと思っているのだろうが、それは間違い。軍隊というのは、会社も同じだが、縦が絶対の組織だ。敗戦と同時に日本軍は、連合軍の管理下に置かれた、ということは日本軍の管轄のトップが連合軍になったので、インドネシアで終戦を迎えた日本軍は、連合軍の命令に服従しなければならない立場だった。

終戦は8月だが、イギリス軍がジャカルタに上陸したのは9月、オランダ軍は10月で、日本軍は敗戦後も2か月以上にわたって広いインドネシアで治安を維持しなければならなかった。その隙をついて、各地で独立派が日本軍の武器を奪取しようと襲った。日本軍としては、連合軍が来るまで治安を維持しなければならない。そこで、各地で衝突が起きる。独立派としては、ここで武器を手に入れておかないと、弾圧されるのは目に見えている。おまけに日本軍は、武器の使用を禁止していた。日本軍は、連合軍と独立軍(インドネシア共和国軍)の板挟みになって、早くこの問題を手放したかった。連合軍の方も最初に来たイギリス軍は、オランダ領のインドネシアの独立問題に首を突っ込みたくなかったというのが本音だ。

10月に連合軍が進駐してくると、武器の引き渡しを求める独立派により各地で日本兵が殺される事件が起き、100名あまりが無抵抗のまま殺されてしまう。日本兵は、応戦してはならぬと厳命を受けていたからだ。

そうした中、10月12日に最大の武力衝突がスマランで起きた。インドネシア人による日本人や外国の民間人2000名の拉致を受けて、日本軍治安部隊が独立派と武力衝突した。5日間による戦いで、インドネシア側が1000人以上の死者、日本側は30人あまりが戦死、監禁中の一般人150人あまりが殺された。武器を持っている日本軍にかなうわけはなかった。しかし、こんな戦いに意味があったのだろうか。最終的には敗戦後、インドネシアの日本軍は、復員までに戦死・病死を含み1000人あまりが死んでいる。

日本軍が保有していた武器のうち、最終的に独立派に渡ったのは、2/3ぐらいだと言われている。日本兵からしたら、日本では終戦を迎えているのに、インドネシアでは準戦闘状態がさらに数ヶ月続いた、いや、それまで戦闘状態ではなかったのが、終戦により始まってしまったのだ。本音としては、武器をさっさと渡して引き上げたかったのだろう。できれば、連合軍よりインドネシア独立派に渡したかったのかもしれないが、軍隊という組織ではそれは命令違反なのだ。ということで、日本軍がインドネシア独立軍に協力した、ということはない。むしろ逆なのだ。

では独立軍に参加した日本兵はというと、脱走したり、復員命令に従わなかった日本兵だ。つまり、軍という組織からアウトした、脱走兵だ。なので彼らがしたことの評価は、本来ならばウヨクの人たちからすれば非難されるべきものなのだが、逆になんだか、「日本人は素晴らしい!」と手柄にしちゃっているのが、気持ち悪い。軍の命令に背いたんだから、愛国心をむしろ捨ててるんだから。そのぐらいの覚悟で、日本を捨てて、離脱したはず。むしろウヨクの方々が、愚直に命令に従って戦いたくもない独立派と戦って死んだ日本兵や、またはインドネシア人を殺したりした事件があったことを無視するのが、不自然。

別にどちらも、歴史の中で起きたコインの裏と表なのだが、片方ばかり日が当たり、それを自分の手柄にする風潮が嫌いだ。インドネシア人の手柄を奪うのもね。
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by mahaera | 2016-08-15 23:42 | 海外でのはなし | Comments(0)

2016.08.13 バンドンからチルボンに移動

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バンドンから列車でチルボンへ。

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仕事疲れか食べ過ぎか、下痢がひどくて昨日は夕食抜いたら、
ようやくお腹の調子が戻りました。今回は都市中心に回ってるので、
レストラン取材が多い。よって食べ過ぎで、
単なる屋台飯が食べたい!と何度思ったことか。

チルボンは海沿いの町なので、シーフード。
ということでカニを注文したのだが、とっても食べにくい。
カニと格闘しているうちに、満腹になってしまった。
これでビールがあればなあ。。
(チルボンはムスリムが多いのと田舎町なので、
ビールを置いている店がほとんどない)
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by mahaera | 2016-08-14 11:39 | 海外でのはなし | Comments(0)

2016.08.12 バンドゥンのブラガ通り

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おととい、飛行機でジャワ島の東端バニュワンギから
スラバヤ乗り継ぎで、西ジャワのバンドへ移動してきました。
ジャワ第3の都会なので、町中渋滞で嫌になります。

さて、ここのブラガ通りは、夜になると各店で生演奏が行われる
歓楽街(と言ってもタイのに比べると、ムスリムの国なのでかなり大人しい)。
毎夜、音楽を聴きに繰り出したいところなのだが、
そんな場所に来た時に限って、お腹の調子が悪い。
風邪かもしれぬと、初日は大人しく寝て、
昨夜ようやく、夜に外へ。

100メートルぐらいの間に、ライブ演奏がある店は8軒。
しかし、ほとんどが洋楽のカバー。
インドネシア歌謡が聞きたいところだけれど、
わざわざ町の中心部ではやっていないか。
最初の写真のように、ドラムはなく、カホンで代用しているグループが多い。
人気は、80年代MTV時代のポップス。
しかし中には、バリバリのハードロックの店もある(笑)

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いまだに「移民の歌」とか「BURN」とか。
客席にスカーフの女性がいたりするのも、
また酒じゃなくてコーヒーでハードロック鑑賞しているのも、
違和感があるが。まだお腹の調子が悪くて、
昨日は1軒ビールの小瓶1本ずつで退散しました。
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by mahaera | 2016-08-14 11:34 | 海外でのはなし | Comments(0)

2016.08.10 細い人、太い人 at バニュワンギ

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ガイドブックには絶対に掲載しないネタだが、
インドネシアの交通標識が気になっている。同じ町でも、
歩行者の形が太めの人と細めの人がいるのだ。
太めの人は、どう見ても人間というよりは、ゴリラのようにしか見えないのだが。。。


今朝は5時に起きて、バニュワンギからスラバヤ乗り継ぎでバンドンまで移動。
雨も降ってきたことだし、そろそろ限界。
夜遊びは明日にして、もう寝ないと、明日ダウンしてそう。
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by mahaera | 2016-08-12 13:34 | 海外でのはなし | Comments(0)

2016.08.09 インドネシアのバニュワンギから

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8月9日 バニュワンギにて

東京は炎天下らしいが、ここバニュワンギも炎天下。
それ、どこ?と思うだろうが、ジャワ島の東端の町で、
バリ島へのフェリーが出ているところといえば、なんとなくイメージが浮かぶだろうか。
「観光客が通り過ぎるだけじゃもったいない!」と思ったのか、
近年、バニュワンギ県が大々的に観光客誘致に乗り出している(らしい)。

 日本の旅行業関係者を招いてツアーを行ったりはしているが、
まだまだの状況。「歩き方」にも掲載していない。
そこで今回、僕が来て、町の見所や地図を作っているのだが、、、、。

そもそも街中に観光名所がない(笑)
ここに来る観光客の目的は、車で1時間ほどの山の中(上?)に
あるイジェン火口湖なのだが、それは素晴らしいので見る価値あり。
しかしそれ見てしまうと、特にやることがなくなる。
この火口湖へ行くツアーは、深夜1時発、戻りは8時ぐらいだから、前日にバニュワンギにいる必要がある。
深夜のツアーなので、急がない欧米人はたいてい2泊するが、
「町は見るところないよ」と口を揃えて言う。
バリの対岸なので、周りは海なのだが、町に近いところは大してきれいじゃない。
で、オススメのビーチというと、車で片道2、3時間かかるので、
ちょっと行ってこようということにはならない。

それでも観光案内所に行ったら、日本語を勉強していた
若い職員が2人もいるところに、日本への期待度が感じられた。
彼らも日本語が使えてうれしそうだったな。

さて、町なかの見所の、ブーム・ビーチへ歩いて行ってみるが、
地元の若者がバイクでやってきて、屋台でスナック食べたり、
お茶したりするところ。対岸にバリが見えるのだが、
黒砂のビーチはゴミが多く、まあ外国人がわざわざ来るところじゃない。
まあ、夕涼みに来るといったところか。

あとは道教寺院。これも現在、再築中で立派なのだが、
なんでわざわざ、という感もある。それでも、そこにいた
中国系の老人が話しかけてきて、こちらが簡単な中国語を話せると知って大喜び。頼まないのに、バイクでホテルに送ってくれたよ。

炎天下の中を歩いて地図作りしていたら、食欲がなく、
遅い昼はフライドチキンを買って部屋でビールを飲みながら食べ、昼寝をすることに。そもそも暑くて地元の人で歩いている人なんかいないよ。


一気にビールを飲んで、エアコンの効いた部屋でベッドに倒れ込み、1時間ほど寝た。で、夢を見た。
夢の中で僕は食事をしている。そこでもビールを飲んでいて、
酔っている。場所はインドネシアの食堂か。
気がつくと店の主人も意気投合しているらしい。彼も酔っている。
支払いの段になって、酔っているし、夢の中なので余計に計算ができない。
どうも料理2品とビールぐらいで、3つ足せばいいのだが(25+28+44ぐらいの計算)、夢の中で暗算ができない。店の主人も酔っているのか、何度やっても計算できない。
そこで見かねた主人の奥さんが出てきて、代わりに計算する。
計算はできたようだ。しかしその奥さんは、下一桁だけ教えて「いくらだったでしょう?」と、僕に答えさせようとする。あー、もう面倒だから、大きいお金を渡して、お釣りをくれと言う。
そこで目が覚めた。
 こういう夢、見ませんか? 
僕はたまに見るけれど(笑)
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by mahaera | 2016-08-12 13:31 | 海外でのはなし | Comments(0)

ただいま、インドネシア取材中です。まずはスラバヤから

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2016年8月2日

スラバヤ取材1日目。といっても2日しかないんだが。
たいてい取材の1日目はバテる。

歳のせいだけではなく、環境がまだ慣れていないから。
まず暑い。昼間はずっと31度。
日本なら夏の炎天下の中を歩くことはそうないだろうが、iPhone6のヘルスメーターを見ると、15.32km歩いたことになる。日本だと、いつもは5〜6kmぐらいだろうから、倍以上だ。
あとは、まだ現地の言葉や雰囲気に慣れていないこと。
インドネシア語を使うのは1年半ぶり。
それでも飛行機の中で指さし会話帳を読みかえしたぐらいだ。時々、スペイン語が混じってしまう。
あとは、スラバヤ、歩く人のことを考えていないので、
道路の横断が大変。歩行者用信号がほとんどない。
もっとも、歩いている人は、東京の1/10もいないけれど。

いつも、取材中の夜は一杯呑むところだが、
スラバヤ、飲む場所もほとんどないぞ。
今日は散々歩いて、呑める場所は、高級ホテルのバーぐらいしか見かけなかった。中級ホテルじゃダメ。
そしてアルコール類を売っているところもほとんどない。
やっと外国人向けのスーパーでビールを購入。
部屋に冷蔵庫がないので、近くにそのスーパーがあってよかった。

そんな訳で、今日はさっさと寝ることにします。

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8月3日

スラバヤ取材2日目終了。
と言っても、明日は別の町なので、スラバヤが終了ということになる。
日本からのガルーダ航空の中で、アニメ映画「バトル・オブ・スラバヤ」を見た。
全編インドネシア語なので、詳細は間違っているかもしれないが、映画は日本への原爆投下から始まる。
日本の敗戦とともに、インドネシアでは独立戦争が始まった。
日本はインドネシア占領中に独立を約束したが、
それを果たす前に連合国に降伏してしまった。
降伏した軍隊は、戦勝国の軍の前に武装蜂起しなければならない。日本が武器をオランダに渡してしまうと、独立の道は遠くなると、独立勢力が日本軍と戦闘して武器を奪うという事件も起きる。

アニメの主人公は、MUSAという靴磨きの少年。
それに日本の忍者にさらわれて殺し屋としての訓練を受けた少女。
独立軍に武器を渡して協力しようとする日本軍兵士、
独立軍、忍者部隊、イギリス軍兵士、オランダ軍将校らが、入り乱れるという、話。
史実に沿っている部分もあるが、基本的な路線はもちろんフィクションだ。ただし、史実通りの部分もある。

日本降伏後のインドネシアに上陸した連合軍は、英軍だった。
オランダ軍が間に合わなかったこともあるが、
まずは日本軍を武装解除させ、日本へ送り返さなければならない。
その役目できたのに、独立戦争に巻き込まれてしまう。
イギリスからしたら「それはオランダと独立派の間で。うちは知りません」ということなのだが、独立派としては、日本軍にそっくり武器と兵器を置いていってほしい。
そこで、武器庫を襲い、戦闘になってしまう。

オランダもオランダで、ナチスドイツにメタメタにされた直後なががら、「断固独立阻止」と強引に戦争を始めてしまう。
今村を焼き討ちしたりと、部分的に虐殺事件も起こす。
独立軍はゲリラ戦だから、疑わしき村は焼けということだ。

スラバヤはその独立戦争の発端となる戦闘が行われた場所。
1945年10月25日、スラバヤ港に上陸した英軍と独立軍の間で戦闘が行われたのだ。
その激戦地区となった旧市街の赤い橋(ジュンバタンメラ)は、今では小さな川を流れる橋だが、多くの死者を出した場所だという。
一ヶ月にわたる戦闘で、インドネシア側が1万人とも言われる死傷者が、英軍側も1000人余りの死傷者が出たという。

まあ、今のスラバヤからは想像できないけれど、
今の東京を見て、東京大空襲前の東京が想像できないのと同じかな。
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by mahaera | 2016-08-03 22:56 | 海外でのはなし | Comments(0)

2016.05.15 バルサのリーグ優勝パレードを見に行く at バルセロナ

 
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さて、ブルースのカンプノウのライブが始まる数時間前、
バルサの優勝が決まったようで、翌日は通りでパレードが行われるとのこと。
昼はダニー・エルフマンを見て、夕刻、街に出てみました。

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通りで待つこと1時間。警備が厳重な割には、
やってきたのは2階建てバス2台、
うち、選手が乗っているのは先頭の一台と地味。
しかもそんなファンでもない僕が知っている選手は、
メッシとネイマールしかおらず、メッシはバスの逆側にいたようで見えず。

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ネイマールはサングラスをかけて、一番後ろに座っていたので気がつかず、
ぼんやりと終わってしまいました(笑)
後でニュースで確認して、ようやく二人がいたことに気づいたぐらいです。

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by mahaera | 2016-05-25 02:00 | 海外でのはなし | Comments(0)

2016.05.15バルセロナでダニー・エルフマンのコンサートを見る

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日曜日、ブルースのライブが終わってから10時間後、
今度は映画音楽家のダニー・エルフマンのコンサートへ。
 これは日本でもライブがあった、ダニー・エルフマン自身が手がけた
ティム・バートン作品を演奏するコンサートで、
数十人からなるバルセロナのオーケストラ、30人以上の合唱隊による演奏。
「ピーウィーの大冒険」から、「ビートルジュース」「バットマン」
「ビッグフィッシュ」「スリーピーホロウ」などの曲が、
スクリーンに映った映画の名シーンやティム・バートンによる
スケッチ画などを背景に流れる。
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休憩を挟んだ二部での「シザーハンズ」の生演奏は感動的。
そしてハイライトは「ナイトメアー・ビフォー・クリスマス」。
ここで主人公のジャック・スケリントンの歌を
映画本編で歌っているダニー・エルフマン自身が登場し、
ジャックと同じ振り付けで歌う。初めて見るエルフマンは、
例えて言えば “痩せているエルトン・ジョン” か。
好きな曲をたっぷりやってくれて、最後の曲はボーイ・ソプラノの
少年が登場して「アリス・イン・ワンダーランド」を歌う。
アンコールは「ナイトメアー〜」のブギーの歌を、
ダニー・エルフマンが再登場して歌い、大喝采。

 観客は前日のスプリングスティーンとは異なり、大人しめの人が多い。
隣の席のスペイン人が前を通る時、「すいません」と
日本語でいうぐらいなのでオタクが多いのかな(笑) 
あと、バートン作品のキャラのコスプレイヤーたちも10人ぐらい来ていた。
いや、これはこれで楽しいコンサートだった。
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by mahaera | 2016-05-18 11:46 | 海外でのはなし | Comments(0)

2016.05.14 バルセロナでブルース・スプリングスティーン「ザ・リバー・ツアー」を見た

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おとといの土曜日、カンプノウスタジアムにブルース・スプリングスティーンを見に行ってきた。
今回の旅の目的はこれ! バルセロナにしても遅いと思う夜9時10分、
6万5000人の観客の前にブルースとEストリートバンドが登場。
先月までのアメリカツアーとはセットリストを若干変え、
1曲目は「Badland」。観客はスペインにこんなブルースファンが
いるのかというぐらい、もうハイテンション。とにかくどの曲も歌う、歌う。
英語の歌詞なのに、もう暗記しているのかというほどのファンばかりなのか。

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 北米ツアーでは前半は、「ザ・リバー」全20曲を立て続けにやったようだが、2週間ほどの休みの間にセットリストを替えたようで、「ザ・リバー」からは12曲に減り、代わりに「ボーン・イン・ザ・USA」や「ライジング」からの有名曲が入る。
やっぱり、外国だから有名曲を増やしたのか。
驚くのが、曲間の休みが全くないこと。前の曲のエンディングに被り、
ブルースが「ワン・ツー・スリー・フォー!」と掛け声をかけてすぐ次の曲に。
観客が席に座るようなスローな曲が登場したのは、
始まってから1時間を過ぎてから。
それまではずっとコンサートのハイライト状態が続いているようなものだ。
ポールの時も思ったが、「歳何だからそこまでやらなくていいよ」と
こっちが思ってしまうが、お構いなしの体力だ。
66歳とは思えない

 
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この曲で終わりかと思わせて、すぐ次の曲に入る。
前半のハイライトは「ハングリーハート」か「ザ・リバー」
スタジアムの斜面に観客のライトがつくと、まるでLa Pazの夜景。
本編が終わったのは11時半すぎ。そこからようやくアンコール。
と言っても6曲。最初はプリンスの「パープルレイン」
「ダンシン・イン・ザ・ダーク」では観客の女の子を上げて踊らせる。

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ルルのカバー「Shout」では観客みんながジャンプ。
2度目のアンコール(たまにしかやらない)では、「ツイスト&シャウト」
永久に終わらないかと思うコンサートが終わったのは、0時45分。
3時間半、ほぼ休憩もMCもなし。
来てよかった最高のライブだった
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by mahaera | 2016-05-17 00:26 | 海外でのはなし | Comments(2)

2016.05.02ニューオリンズから日本へ帰国しました

今日は帰国日。
朝、空港前のモーテルで起きたら、フライトキャンセルのメールが…。
代案がヒューストン、デンバー乗り継ぎで帰国日が一日ズレる。
おまけに空港で12時間。それは嫌なので、
カウンターで何とかしてもらい、シカゴ経由で同日中に帰れるように。


ということで、ヒューストン空港でシカゴ行きに乗り継ぎ待ち中。

まだ乗り継ぎのシカゴ空港です。
そういえば、昨日、雨でフェスが中止になって帰るとき、
満員のバスの中で黒人女性が大声で何かを言った。
すると、前の方の黒人客が反応して、「迷信」を数人で歌い出した。
乗客は大いに沸いた。みんな、スティービーを見たかったんだ。

で、さっきツィッターを見たら、出演がキャンセルになったスティービーが、
夜のバーボンストリートのライブハウスに突然現れたという。
150人のキャパの店だが、ツィッターであっという間に拡散して、
店の周りを2000人が取り囲んだらしい。
ああ、そばにいたのに気がつかなかった。。。。

http://www.nola.com/jazzfest/index.ssf/2016/04/stevie_wonder_snoop_dogg.html#incart_river_index

行きのヒューストン便が満席だったのに、帰りのシカゴ発便はガラガラで、
久しぶりに4席横になって寝て帰ってきました。
機内映画は、日本公開しなさそうな「ズーランダー2」と、
イルファン・カーン主演のインド映画「TALVAR」。
後者は実際に起きた殺人事件を基にした捜査もので、
歌も踊りも笑もなく、ビターなエンディングというシリアス作品。
冤罪を告発するような作品で、こうしたドラマのみの社会派作品も作られるようになったんだ。

 雷雨でフェスの公演中止になったスティービーワンダーが、
その夜にダウンタウンのフレンチクォーターのライブハウスにひっこり登場して、ラッキーな人々を驚かせたことを先に書いたが、今回はその賑わうフレンチクォーターで同じ頃にBECKが目撃された模様。
BECKのステージもスティービー同様中止になったので
、ふらりと遊びに出てきたのだろう。
でも、この人、地味だから、みんな気がつかないのがおかしい。
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by mahaera | 2016-05-07 19:23 | 海外でのはなし | Comments(0)