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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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昭和ゴジラ・シリーズ

昭和30年代生まれの他の男子同様、子供のころ、僕はゴジラにハマっていた。
時は怪獣ブーム。テレビではウルトラマンやウルトラセブンが、怪獣を倒して活躍していたが、
映画館ではヒーローの代わりに怪獣たちが主役で暴れ回っていた。
子どもながらにマイナー好きな僕は大映のガメラを応援していたが、
やはり質・量ともに東宝のゴジラ・シリーズが勝っていることは、小学生でもわかっていた。

今回、ケーブルの日本映画専門チャンネルで、ゴジラ一挙放送というのをやっていて、子どもと一緒に何本か見直してみた。
ゴジラこの一本となれば、大人になった僕は初代ゴジラ登場の『ゴジラ(昭和29年)』をあげるが、当時の僕のお気に入りは、歴代の怪獣たちがほぼ勢ぞろいする『怪獣総進撃』だった。
リアルタイムで劇場で見たゴジラ映画は、たぶん『ゴジラ、エビラ、モスラ南海の大決闘』だったが、怪獣登場シーンが少なくて、いまひとつ。
その次に見たのが『ゴジラの息子』で、着ぐるみとは異なるカマキラスとクモンガの「吊りぐるみ」に胸ときめいたが、「ミニラ」という、女子どもに迎合するキャラが不愉快だった。自分も子どもだったが。

『怪獣総進撃』は、「単に怪獣たちがたくさん出てくる」というだけでなく、SFチックでスピーディなドラマ展開も好き。当時、ドラマが入った朝日ソノラマのソノシートを買い、セリフを丸暗記するほど聞いた。音楽がかっこ良く、いまもあのテーマを聞くと、胸ときめく。

ゴジラ・シリーズに幻滅したのは次の『ゴジラ、ミニラ、ガバラ、オール怪獣大進撃』。今までのフィルム使いまわしに、子どもながら映画業界の衰退を感じた。また「夢オチ」という禁じ手を、ゴジラでも使われた失望感。これもソノシートを買ったが、もはや『怪獣総進撃』ほどの興奮がなかった。僕も小学2年生に突入していた。

もはやゴジラともおさらばか、と思いながらも見にいった最後の作品は1971年の『ゴジラ対ヘドラ』。しかし予想に反して、この作品のインパクトは大きかった。これはもはやゴジラ映画ではなかった。「かえせ!地球」の主題歌、ゴーゴークラブを襲うヘドラ、ヘドロの中で泣く赤ちゃん、死んでいく雀荘のサラリーマンたち、光化学スモッグで倒れる子どもたち。夢の世界のゴジラが現実世界に降りてきたようなリアルな恐怖が、子供心に大きなインパクトを与え、いくつかのシーンはトラウマのように、大人になって鮮烈な映像となって思い出された。

たぶん、もう大人の世界をかいま見るような歳になっていたのだろう。
その時、僕は小学五年生。
その翌年、ガイガンなる怪獣がゴジラと対戦したが、もう映画館には行かなかった。テレビで胸ときめかせ、興奮して見るのは怪獣映画ではなく、『大脱走』とか『荒野の七人』。
ソノシートの代わりに、テープレコーダーで映画を録音し、マックイーンやブロンソンのセリフを僕は覚えていた。
ヒーローはゴジラやウルトラマンではなく、映画スターになっていたのだ。

そして最近、『ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ対メガロ』『ゴジラ対メカゴジラ』などを見たが、完全に人間の味方になっているゴジラにはまったく魅力がなくなっていた。
荒ぶるロッカーが、歳とともにディナーショーが活動の主体になってしまったかのようなドサまわりぶり。
映画のスケール間も、まるでテレビのスペクトルマン並み。
でもこれは僕が大人になってしまったからか。いや、違うと思う。

来週からケーブルでは、平成ゴジラ特集をやる。
全部見たことがあるが、また見てみよう。
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by mahaera | 2008-11-30 16:04 | 映画のはなし | Comments(0)

ムンバイの同時多発テロに思う その1

今朝のニュースを見る限り、ムンバイのトライデント・ホテルではまだテロリストが人質をとって立てこもる状況が続き、事態は収束していない。
新聞記事によれば、ムンバイでテロリストが襲ったという場所は10か所。
テロリストの数は20人ほどで、立て籠ったタージ・マハル・ホテルとトライデント・ホテル以外は、「襲撃して移動」という感じだったのだろう。

タージ・マハル・ホテルが襲撃されたのは夜9時半。
日本人が亡くなったトライデント・ホテルが襲撃されたのは翌2時。
この間、4時間以上もテロリストはムンバイ市内を移動し、暴れ回っていた。
インド政府の対応は早いか遅いかわからないが、テロリスト側はできる限り、市内の施設を襲撃するつもりだったのだろうか。

みなさんもご存じのようにインド人の大半はヒンドゥー教徒だ。
しかし13%を占めるイスラム教徒も大きな存在だ。
全体の中では少数派とはいえ、その人口は日本の人口と同じぐらい。
地域によっては、イスラム教徒の割合がぐっと多くなるところもある。

イギリスがインドを植民地化する以前、北インドの多くは何百年にも渡ってイスラム系の王朝が支配していた。ムガール帝国がその代表的なものだ。
インドを代表する建築タージマハルも、そのムガール帝国時代の廟だ。この時代、インド社会にゆっくりとイスラムが浸透し、
あるものはヒンドゥーからイスラムに改宗した。
イスラムは原則的には「神の前の平等」を説いているので、カースト制度を嫌った、低いカースト層のものが多くイスラムに入信したという。
また、当時のイスラム王朝に仕えるため、入信した者もいたろう。
しかし、当時はとくに「宗教紛争」はなかったようだ。
王朝や王国同士の戦いも、宗教同士の戦いではなく、戦争の際には双方にそれぞれの宗教を信じる領主たちが参戦していた。

ヒンドゥーとイスラムの戦いが、表面に現れ、激化したのは、インド独立の時だ。
インドと東西パキスタンに分かれて独立する際、それぞれの国に住む少数派の信者が、国を出ざるを得なかった。このとき、住民同士による無益な殺し合いが続いた。
次は197080年代、インドをヒンドゥー至上主義が席巻し、
イスラム教徒とだけでなく、シク教徒などを含め、激しい対立を生んだ。
寺院やモスクの爆破事件が相次いだ。ムンバイでも住民同士の激しい争いが続いた(映画『ボンベイ』で描かれている)。

僕がインドを初めて訪れた1990年代半ばのインドでは、こうした対立はひとまず落ち着いてきたころだった。インド人自体が、激しい対立の高揚から冷め、「しらふ」に戻りつつあるようだった。カシミールではまだパキスタンとの対立が続いていたが、ちょうどインド人の関心が「経済」へと大きく転換しようとしていたころだったと思う。
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒は、仲良くなったわけではないが、
お互いに干渉しなくなった。対立やテロを繰り返しても、何も生まなかったし、それにより社会も変わらなかったからだ。

(続く)
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by mahaera | 2008-11-28 16:06 | 海外でのはなし | Comments(0)

ムンバイの同時多発テロに思う その2

この10年でインドは大きな経済発展をした。
新聞でもテレビでもそう書かれている。もちろん、ほぼ毎年インドを訪れていれば、僕だってそれを肌で感じる。
金持ちと貧乏人しかいなかった社会に、中産階級と呼べる人たちが、年を追って増えていると。
テロ組織に入るのは経済格差が原因という人もいる。
もちろんそれも理由の一つだろう。
でも、インドでは昔から経済格差はあり、全体的に言えばイスラム教徒の方が低所得者が多いのだろうが、ヒンドゥーだって貧乏な人はいる。
社会に不満な人は、どんな社会にだっている。
そんな人の不満のはけ口が「テロ」という手段になっているような気がする。インドのイスラム教徒たちに、直接聞いたわけではないが、1億人におよぶイスラム教徒がインドからの独立を望んでいるわけではないだろう。

インドは世界最大の民主主義国家だ。
それがうまく機能しているかは別にして、いちおう「選挙」によって選ばれた政治家が国を運営している点では、日本と同じだ。
いくら閉塞感があるとはいえ、そうした政策をとる政府を選んでいるのは国民なのだ。
しかしテロは絶えない。
今回のテロによってインド国内のイスラム教徒たちは「スカッ」とするだろうか。きっとしないだろう。

9.11のニューヨークで起きた同時多発テロの時、僕はインドのバナーラスにいた。インド人たちはみな不安気にテレビを見ていて、崩壊したツインタワーの映像を見ながら、「あの中には多くのインド人がいる」と僕に言った。

アフガンに援助に行ったインド人たちがタリバーンに殺された時、
インド人たちは「俺たちは中立なのに。奴らは狂っている」と憤っていた。

イラクで日本人の若者3人が誘拐された時、僕は南インドにいた。
そのニュースは現地でも新聞の一面を飾り、「大変だな」と現地のインド人が僕を慰めてくれた。(日本へ帰国した時、バッシングされていることを知り、驚いた。インド人は同情し、同国人はバッシングかと)

今回の同時多発テロをニュースで見ながら、
僕にはそんな思いがよぎっていった。
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by mahaera | 2008-11-28 16:05 | 海外でのはなし | Comments(0)

バンコク新国際空港(スワンナプーム空港)閉鎖 まいったなあ

仕事柄、タイには年1回は行っている。
今年は4月と9月に2回タイに行った。

9月にタイに行った時に、現地のマスコミ専攻の大学生にインタビューを受けた。「タイの政情不安を日本人はどうみているか」と。

ほとんどの日本人は、タイの内政を知らないし興味はない。
それに政治対立といっても、テロのような過激な行動にはあまり出ない。
そもそもタイ人が暴力を嫌う。死者を出すような行為をしたら、そっぽを向かれ、支持を得ることは難しい。だから、まあ平和的と言うか、それほど過激ではないので、ニュースになることも少ない。それにタイで対立する派閥も、「保守VSリベラル」というわかりやすい構図でもないため、感情移入しにくい。

僕が答えたのは
「多くの日本人は残念ながら関心はない。ただし観光にはイメージダウンだろう。
僕個人の考えとしては、たとえ現政権が腐敗していても、
選挙で選ばれた政府なら、選挙で白黒つけるのが民主主義。
一度クーデターを起こして選挙をしたのに、
やはり前の政権が返り咲いたのは、クーデターを支持した側にも問題があるから。
選挙の結果を不法な手段で阻止しようとするのは、選挙の否定と同じだ」

今回、バンコクのスワンナプーム空港が反政府側によって占拠され、
閉鎖になっている状況をタイ人の多くはやり過ぎだと思っているだろう。
スワンナプーム空港は、たしかにタクシン派(現政権側)の肝いりで作り、いろいろ批判も浴びた。しかしここを閉鎖すれば、観光業をはじめ、タイの産業は大打撃を受ける。人々の仕事にも直結しているのだ。

日本人の感覚だと、現政権が保守で、それに反対するのがリベラル派というイメージだが、タイではそうでもなく、むしろ反対しているほうが保守(旧支配層的なポジションの連合体)なのだ。北部に基盤を持つタクシン派は、低所得者層や農民に受ける政策で、根強い人気を持つ。

この9月、チェンマイのトレッキングの会社の人と話した時、
「チェンマイ周辺には、トレッキングで楽しめる少数民族の村がほとんどなく、この仕事もそろそろ終わり」と彼が言っていた。
タクシン政権になり「どの村にも電気を通す」という政策で、
山の上の少数民族の小さな村にも発電機が置かれるようになった。
半日歩いて苦労していった先の村で、電気が通っていれば、
トレッキング客はがっかりする。
しかし村人にとっては、電気が通り、道路もできることは大歓迎。
実際、北部の山道はここ数年でかなり良くなった。

だから、どっち側がいいかなんて、部外者の僕には言えない。
ただし、「選挙の結果を否定」するのはやり過ぎだと思う。
今回の「空港占拠」は、過激に走って国民の支持を得られなくなった、
反政府側の「最後のあがき」のようにも見える。

個人的には早く収束して、タイに観光客が戻ってほしい。
僕の仕事も上がったりだが(笑)、タイの旅を通して知り合った
多くの観光に関わる人たちの困った顔が浮かぶからだ。
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by mahaera | 2008-11-27 16:09 | 海外でのはなし | Comments(0)

タージマハルホテル炎上 ムンバイのテロ

タイが問題と書いたら、今度はインドで深刻な事件が起きてしまった。
現在ニュースで流れているが、場所はムンバイ。
今年の3月にも訪れ、一週間ほど滞在したエリアだ。

ムンバイへ行った方ならわかると思うが、今回事件の舞台のひとつとなったタージマハルホテル周辺は、ムンバイ有数の観光地で、安宿から高級まで多くのホテルがある。バックパッカーには便利なところで、20ドル程度の宿や外国人向けのレストラン、近くには博物館や名所のインド門もあり、ムンバイへ観光でやってくるものなら、必ず訪れるエリアだ。

初めてムンバイへ行ったのは5年ほど前。
インドには何度も行っていたが、なぜかこの町を訪れることはそれまでなかった。その時は取材だったので、ホテルは依頼先が手配してくれたが、その時に泊まったのが、今回テロの標的となったタージマハルホテルだった。

このホテルはムンバイのランドマークともいうべき建物だ。
このホテルを作ったのはインド最大の財閥ターターのご先祖。
19世紀末、資本家として成功していたターターだが、外国人の友人とあるホテルへ食事に出かけたところ、「ここは外国人専用でインド人はお断り」と言われる。
この屈辱を機に、ターターは世界に通用する、インド資本のホテルを建てようと決意。1903年にこのホテルは完成した。やがてこのホテルはインド民族主義のシンボルとして、しばしば引用されるようになる。

襲撃を受けたもうひとつの場所「レオポルド・カフェ」は、タージマハルホテルの裏側150mぐらいの所にある、外国人がよく利用しているレストランでだ。
このカフェは旅行者のたまり場で、ガイドブックには必ず載っている。
たぶんムンバイを訪れた旅行者なら一度は足を運んでいるだろう。
僕もここで何度も食事をしたりビールを飲んだりしており、この春にも行ったばかりだった。
そこにもテロリストは押し入り、イギリス人とアメリカ人を探していたようだ。テレビでは血に染まった床が映し出されていた。

ムンバイはインド最大の都市。
日本で言えば今回のテロは、帝国ホテルを襲い、銀座で銃撃戦を起こすようなものだ。インド政府がうまく収集しなければ、インドへ旅行したい人は減り、観光業はぐっと冷え込むだろう。
そして犠牲者の中に外国人はいるが、ほとんどはインド人だ。
無差別テロは誰でも憎むべきものだが、とくに僕のように観光に関わる仕事をしているものだと、怒りさえ覚える。
「観光」あるいは「旅行」は、他の国や地域の人々と、利害関係なく接することができる大切な場だ。旅先で多くの人々と出会うことで、その人も多くを知り、他の者に寛容になれる。
そんな手段だが、テロはそれを一気に潰す。そして関係ない人が殺される。たまたまそこを歩いていただけのような人たちが。

僕自身、この1月にまた取材でインドへ行く予定だったが、今回の事件の結果次第では仕事自体がなくなるかもしれない。でも、それでインドに行くのを止めようという雰囲気になれば、それこそテロリストの思う壷だ。
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by mahaera | 2008-11-27 16:07 | 映画のはなし | Comments(0)

つれづれなる近況 アジアのホテル料金についてなど

ここ数日は、9月に取材したガイドブックの校正作業をしています。

ホテルの料金などは、現地できちんと「聞き込み調査」をしています。
しかし取材時期がまだハイシーズン前だったので、11月以降の料金が出ていない(決まっていない)所もあリました。
そこでホームページがあるようなところは、ネットで調べて追跡調査をし、料金がアップしていたら、それを反映させます。
(ガイドブックにはいちおう、「2008年9月の取材時に基づいて」と断り書きがあります)。
ホテルなどのURLを一通りチェックするだけで一苦労。
100件あれば、そのうちの一件くらいはもうページがなくなっていたり、
逆に取材時にはなくても、この2か月ぐらいのうちにHPが立ち上がっていたりするゲストハウスも。
また、ゲストハウスなどはこまめにページを更新しているわけではなく、いまだに2005年とか2006年の料金をそのまま掲載しているところもあります。
つまり、現在ネットで見る情報よりも、2か月ぐらい前の取材なら、自分で足を運んで聞いたもののほうが、よっぽど「最新」ってこともざらにあるのです。

まあ、自分で言うのもなんですが、ガイドブックもネットもあくまで見当をつけるための「目安」。
ガイドブックに掲載している料金より、少し高かったら、値切ればいいのです(笑)。ホテルやゲストハウスの表示料金はありますが、実際はシーズンやその時の状況によりけり。チェンマイの高級ホテルだって、ローシズンで人が来ない時には、5060%オフなんてところもあります。こうなると、高級ゲストハウスと料金はそう変わらなくなります。

現地の旅行会社の人が、高級ホテルでも最近はかなり安い料金を直接ゲストに提示しているとこぼしていました。基本的には、これらのホテルは一般のゲストより安い価格で旅行会社に部屋をおろしています。旅行会社は安い価格の見返りに、ホテルにコンスタントにお客を送り、もちつもたれつとなっています。しかし、旅行会社でホテルの予約を入れるより、直接した方が安くなるとなれば、誰もホテルをとるのに旅行会社を使わなくなります。チェンマイでは、来る客に対してホテルが供給過剰の状態が続き、ローシーズンの時は客室が半分ぐらいしか埋まっていないところも珍しくありません。

バリ島を例に取ると、あるホテルは直接行くと30ドルぐらいですが、空港の到着ロビーにある旅行会社で申し込むと18ドルで泊まれます。このホテルをたぶん日本で予約すると、やはり30ドルはとられます。もっとかな。
しかしいつもこんな感じという訳ではありません。年末年始やハイシーズンは、それなりな料金になるし、また満室ということも出てきます。でも、そんなに込んでいない時期ならば、空港のホテル案内所で「今、50%ぐらいディスカウントしているホテルない?」と聞けば、きっといいところを教えてくれるでしょう。

めっきり寒くなってきました。
また、南の国へ行きたくなってきた今日この頃。
次はどこへ?
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by mahaera | 2008-11-26 16:10 | Comments(0)

最初に組んだバンド

自分が最初に組んだバンドって何だろう。いつだったっけ。

部屋の掃除をしていると、捨てられないカセットテープがたくさん出てきた。
昔やっていたバンドのテープがほとんどで、整理しなきゃと思っていた奴だ。
そのうちカセットテープレコーダーがなくなる前に、CDに焼いとかなきゃと思っていたもの。
ただその方法がわからなかったので、ずいぶんとそのままになっていた。

今回、試しに夏に買ったMTRにダビングして、そこからパソコンにさらにコピー。
これでCDに焼けることがわかった。まあ、聴くのは自分だけなんだけど。
で、古い順にダビングすることにした。

最初のテープは1981年。僕が大学一年生の頃だ。
僕がベースを始めたのは浪人時代だが、それは人から借りたもので、自分のものを手にしたのは大学に入ってから。
浪人時代もスタジオに入ってつたないベースを弾いていたりしたが、人前で演奏するようなバンドを始めたのは、大学時代から。
最初のバンド名は「アルギンZ」(笑)

僕と高校時代の友人のキーボードとドラム、浪人時代に喫茶店で知り合ったボーカルとギター、
それに高校生の僕の妹がボーカルで加わって始めたバンドだ。
まだベースを始めて一年以内ということもあり、ヘタなんだが、改めて聴きなおしてみると、逆に今の自分が思っていたよりもあまり進歩していないような気がした。

男女のツインボーカルで、女(妹)はカルメン・マキ&OZのカバー。男はオリジナル作品。
で、当時のオリジナルをものすごく久しぶりに聴いたら、けっこう良くてまたやりたくなってしまった。
あのころは、初めて組んだバンドで、しかもオリジナルだったから、あまり比べようもなくて、こんなものかなと思っていた。

いまだと客観的にヘタとかわかるけど、当時はそんなこともわからず一生懸命だった。
そんな当時の空気が、真空パックされているような演奏。もうできないかもしれない。

そんな想いがよぎる。
でも、曲はもう一度、いい音でやり直して、人に聞かせたい。
このまま消えてしまうには、もったいない気がするから。
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by mahaera | 2008-11-25 19:52 | ぼくの音楽・バンド活動 | Comments(0)

海外TVドラマを観てますか? 「HEROESヒーローズ」と「LOST」

僕の知り合い以外に、このブログを読んでいる方はどんな方なんでしょう。
「つまらない!」でもいいから今度コメント下さいね。

さて、みなさんはいつも観ている海外TVドラマはありますか?
10年ほど前は、僕は「Xファイル」と「ER」を観てました。
「Xファイル」はたしかシーズン7ぐらいまではがんばって観ていたけど、
そのあたりで脱落。どんな終わり方をしたのかいまだにきになる。
「ER」はシーズン12までは熱狂的に観ていました。
しかしこれもだんだんレベルが下がってきて、シーズン4の初めぐらいで脱落。
ジョージ・クルーニーが番組から降りるぐらいでしょうか。

で、現在、我が家で続けて観ているのはというと、
「LOST」と「HEROESヒーローズ」です。
話を知らない方のために書くと、「LOST」は南のある島に不時着した飛行機の乗客たちが主人公。そこには得体の知れない怪物や、先住の謎の人々、地下に埋められたシェルターなど、すべてが謎だらけ。
しかも救援隊はこず、乗客たちは外敵と戦いながらも生きていかねばならないというストーリー。
島での生活だけで話が続くのかと言うと、登場人物たちのバックストーリーを各回1名ずつとりあげて探っていくので、大丈夫。
乗客たちはみないわくのある過去があったり、どこかでつながっていたことがわかっていく。
最初は「宇宙人オチ」とか「夢オチ」だったらどうしようかと思っていたら、それはなさそうで安心。これはAXNで現在シーズン4まで放送中で、
ほぼ追っかけてみています。意外な展開が、毎放映回のラストにあり。すぐに解決する事件でも、無理矢理引っ張って次回につなげる強引さは、どこか浦沢直樹の漫画に通じます。通してみると、よけいな話の回り道もたくさんあるんですが、何とか力ワザで押し切っています。
シーズン2の半ばからシーズン3の最初はちょっとダレますが、
今のところ、シーズン3の終わりからまたテンションをあげてきてます。
観てない人は、レンタルでまとめて観てみましょう。きっと止められなくなりますよ。

子どもと二人で観ているのが「HEROESヒーローズ」。
これは様々な超能力を持った人たち、それをコントロールしようとする謎の組織、超能力者たちを次々殺害してその力を自分のものにしようとする悪の超能力者などが入り乱れ、ニューヨークで起きる核爆発を防ごうとするもの。最初、超能力者たちはお互いの存在を知らず、バラバラだが、
やがてまとまっていく下りは、「里見八犬伝」のよう。
超能力者バトルは、子どもが観たいと願っているシーンだが、けっこう恐かったり、グロい所も。
超能力者たちには善人も悪人もいるが、とくにどっちでもない普通の人たちの方が多いというのが、リアル。このドラマに出ている日系人マシ・オカは来日して日本のバラエティーにも出ていたっけ。
これも誰が主役と言うのではなく、次から次へとエピソードがスピーティーに展開され、早く次が見たくなる。現在シーズン2が日本では放映済みだが、我が家ではようやくシーズン1を見終わったところ。
年末の一挙放送で、なんとか追いつきたい。

「24」はシーズン1で、「まあ、いいや」って感じで、後は見ていないし、「プリズン・ブレイク」はシーズン1の10話ぐらいでリタイア。
そう思うと、この「HEROESヒーローズ」と「LOST」は、まだまだ期待して見れそうだ。
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by mahaera | 2008-11-23 16:11 | 映画のはなし | Comments(0)

ファティ・アキンの映画『愛よりも強く』、そして新作『そして、私たちは愛に帰る』など

一般にはあまり有名ではないが、ドイツにファティ・アキンという監督がいる。
1973年生まれというから、今年35歳。
トルコ系移民の子供としてハンブルグに生まれた彼は、長編映画を7本撮っている。
そのうち3本がドキュメンタリーで4本が劇映画。日本では4本が劇場公開されている。
日本で公開された作品すべては、常に自分の出自であるドイツとトルコに関わるもので、
彼のアイデンティー探しの長い長い旅とも言える

僕が彼の作品を初めて観たのは『太陽に恋して』(00)という作品だ。
ドイツに住むトルコ系の若者が、偶然出会ったトルコ人女性に一目惚れし、
彼女を追って陸路イスタンブールへと向かう。
そしてその彼にやはり一目惚れしたドイツ人女性が彼を追う。
お互いに片思い同士の男女のロードムービーで、
途中通る10年ほど前のバルカン半島の国々の様子がユーモアたっぷりに描かれていた。
この作品については、以下のアドレスに原稿を書いたので、詳しくはそちらを参照してください。
http://www.ryokojin.co.jp/tabicine/in_july.html
傑作とか、名作というほどではないが、自分の旅とも重ね、楽しく見ることができた。
そしてロードムービーに託して、ドイツとトルコの間に横たわる問題を巧みに織り込んでいく手腕にも感心した。

この作品と同時に『愛よりも強く』(04)が日本公開されたがそっちは未見で、
昨年ぐらいに公開された音楽ドキュメンタリー『クロッシング・ザ・ブリッジサウンド・オブ・イスタンブール』も観そびれていた。

そして先日、この12月に公開される彼の新作『そして、私たちは愛に帰る』の試写を見て、「ああ、この人はドラマを作るのがうまい」と再確認。
見逃していた『愛よりも強く』をレンタルで借りて、ようやく観た。
以前、インドでドイツ人と仲良くなり、ドイツ映画について語り合ったことがある。
その時、ファティ・アキンの『太陽に恋して』の話をしたら、「『愛よりも強く』もきっと好きになるから絶対観て」と言われた。

『愛よりも強く』はハードな恋愛映画だ。
主人公は2人。どちらもドイツに住むトルコ系移民だ。
男は何らかの理由で愛していた妻を亡くし、自暴自棄になっている中年男。
女はしきたりから抜け出て、家を飛び出して思い切り好きなことをしたいと思っている若い女性。
ある日、ライブハウスの清掃係をしている中年男は、自殺を試み車を壁にぶつける。
しかし命は助かり、入院。そこでやはり手首を切って自殺未遂をしたその若い女に出会う。
女は彼がトルコ系だと知り、「自分と結婚してくれ」と頼み込む。
敬虔なイスラーム教徒であり、伝統を重んじる彼女の家庭では、結婚でもしない限り家を出ることは許されないし、
男とつきあったり、夜遊びもできない。そこで自分と偽装結婚して欲しいというのだ。
断る男だが、絶望した彼女が目の前で手首を切ると、再び彼女が自殺をしかねないと心配し、結婚を承諾する。

とりあえず一緒に住み始めた2人だが、日本映画と違ってラブコメのようにはならない。
若い女性は水を得た魚のように毎夜遊び歩き、男を見つけてはベッドを共にする。
中年男性にもベッドを共にする相手はいるが、そこには友情めいたものはあるが愛はない。
やがて男はひそかに若い女性を愛するようになり、自暴自棄だった生活に生きがいを見出していく。
ある夜、彼女が出かけたクラブへ彼女を追っていき、そこで彼女にちょっかいを出した男とケンカ。
数人の男たちに袋叩きに会ってしまう。
その夜、男は彼女を求めるが、女は拒否する。
「寝てしまったら私たちは本当の夫婦になってしまうでしょう」

しかし若い女も彼のことを愛し始めていた。
そのことを彼に打ち明けに行こうと、いつもの店へ向かう女。
ところがそこに悲劇が待っていた。
「お前の女房は、誰とでも寝る」と知り合いにののしられた中年男が、カッとなって相手を殺してしまったのだ。。。
刑務所に入る男。彼に愛を告げる女だがもう遅い。
名誉を重んじる家族の「制裁」を怖れた彼女は、親戚を頼ってイスタンブールへ。そして消息を絶つ。
月日が流れ、刑期を終えて出所した男は、彼女を探しにイスタンブールへと向かうが。。

ここにあるのは、理性では押さえられない激しい感情だ。
直情型の2人恋愛は、最初から悲劇へと向かいそうな予感を常に秘めている。
そして「家族の名誉」といいながら、世間体ばかり気にして、女性を一段低く見ているトルコ人共同体への批判。
そこから女性が抜け出るには大きなエネルギーが必要で、
この映画の主人公ぐらいエキセントリックな女性でなければ無理だったかもしれない。
彼女の激しい感情は、自暴自棄になっていた男の心をも動かしていくが、
それはまた傷つきたくないと閉ざしていた心をまたむき出しにして、傷つく世界へと戻っていくことだ。
愛がなければ嫉妬もないし、そこから男が人を殺めることもなかった。しかし男は愛を選ぶ。

紆余曲折あり、男と女は再会するが、そこには「時間の経過」という大きな壁があった。
余韻を残すエンディングもいい。
本作は04年のベルリン映画祭金熊賞(グランプリ)を受賞している。
緊張感溢れる映画だが、それをほぐすように、時おりイスタンブールでの伝統音楽の演奏が休憩音楽のように映し出される。
それがこの作品の寓話性を示しているようでもある。

いまならTUTAYAなどで借りられるので、興味があったら見て欲しい。
12月公開の『そして、私たちは愛に帰る』もなかなかの力作でおすすめだ。
こちらは「旅シネ」に僕のレビューを載せているので、そちらを読んで下さい。
http://www.ryokojin.co.jp/tabicine/edgeofheaven.html
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by mahaera | 2008-11-21 16:16 | 映画のはなし | Comments(0)

ザ・フー 11.19来日最終公演の武道館に行ってきました

行ってきました。昨夜の武道館公演。
九段の坂を上るのは、何年か前のサンタナ以来。すっかりご無沙汰だ。
発売当日に買った席ではないので、文句は言えないのだが、僕の席は一階の南東K列。
ここは一階の一番後ろの席。
通路を挟んでさらに後ろにある補助席のようなところで、
ここに座ってしまうと、視界の上半分が天井(せり出した二階席)にさえぎられて見えない。
しかも奥まって壁に接しているので、音もあまりよくない。
ここなら同じ位置の二階席のほうがずっといいかも。

周りは僕と同じ年齢のおじさんばかり。
しかし人のこといえないが、このぐらいの日本のおじさんって何て無愛想なんだろ。
楽しみに来てるって雰囲気ゼロ。席に座ろうとすいませんって声かけても、無視、ムシ。
アイコンタクトなし。若者のほうが、感じがいい。

さて、7時10分、意外と早く公演スタート。
一曲目は「アイ・キャント・エクスプレイン」。いきなりの観客大合唱。
あれれ、日本にこんなザ・フーのファンいたんだ。この日は追加公演ということもあり、
前々日の武道館や横浜公演に行った人も来ているんだろうなあ。
ピートはのっけから腕をぶんぶん振り回している。
しかしバンド後方のスクリーンに映し出された映像はまったく見えない。何て席なんだ。

セットリストは、ザ・フーの公式サイトでアップされているので、ちゃんと知りたい人はそっちを見ればわかるが、
とにかく有名曲はやってくれ、その合間にヒットではないが最近のライブ定番曲を織り込む内容。
心配だったロジャーの声の調子は、最初はいまいちだったが、中盤からどんどんと調子が上がっていく。

4曲目が「エンドレス・ワイヤー」の1曲目、「フラグメンツ」。
これはまだライブで聴いたことがないので新鮮だった。このアルバムからもっとやって欲しかったのに残念。
みんな知らないらしく、客の反応はいまいち。
しかし5曲目に「フー・アー・ユー」のイントロが始まると、会場再び盛り上がり。
この曲、こんな早くやっちゃっていいの?と思いつつ、こちらもじわじわ興奮。
続けて名曲「ビハインド・ブルー・アイズ」。
この曲聞くと昔テレビで見たカンボジア難民救済コンサートを思い出す。
8曲目の「シスター・ディスコ」も同コンサートで知った曲。

コンサートの前半、最初にじーんとしてしまったのは、9曲目の「ババ・オライリィ」だ。
これは印象的なシンセのシーケンスのイントロで始まる、アルバム『フーズ・ネクスト』の1曲目。
歌の途中から、ピートのギターがガーン・・・・ジャ・ジャーンと入るのだが、そこで感動。
なんだか、感慨深いものを感じた。
みんな年取ってしまったせいか、それとも彼らのキャラクターがそうなのかわからないが、
ピートもロジャーも大スターって感じがしない。ロンドンに行ったら、パブに普通ににいそうな感じだ。
話だけは聞いていてるが、一度も会ったことがない親戚のおじさんたちに会った。
そんな感じなのだ。この「ババ・オライリィ」も、「やっと会えたね」という感じだった。
エンディングのロジャーのハーモニカ・ソロも期待どうり。
観客も大盛り上がり。

13曲目「無法の世界」のイントロが流れる。
あれっ?この曲がコンサートのラスト曲じゃなかったの?と疑問が走る。
時計を見ると、始まってからまだ1時間ぐらいしかたっていないし。
言うまでもないがこの曲はザ・フーの代表曲で、
ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」、ストーンズの「ブラウン・シュガー」なんかと並ぶロック最高峰の名曲だ。
イントロを聴いただけで、その興奮が毎回リセットされ、再び盛り上がれる。
コードを弾くだけのギターフレーズが、こんなにも格好いいものかと。だって頭A一発なんだから。
この曲の後半のシンセブレイク後の、ロジャーの絶叫一発(&Aコード一発)にロックのすべてがあると、
映画『キッズ・ア・オールライト』を観て確信した僕にとって、今回それが生で見られ、またジーンとしてしまった。

14曲目「マイ・ジェネレーション」15曲目「ネイキッド・アイズ」と続き、コンサート本編は終了。
ここまでで1時間半ぐらい。なんだか短いなあ。
それも当然、もっと聞きたい曲はあるし、「あの曲をやってないじゃないか」と思う。
5分ほどでメンバーステージに登場。そして期待の『TOMMY』のミニメドレー。
ピートによるイントロが始まると会場大いに沸く。「ピンボールの魔術師」だ。
つづいて「すてきな旅行(アメイジング・ジャーニー)スパークス」。
そしてお待ちかね「シー・ミー・フィール・ミー」。
会場大合唱。ここで今日三回目のじーんがきた。
ただし、最後、もっとしつこいほど引っ張って欲しかった。
カンボジア難民救済コンサートやウッドストックのようにね。
わりとあっさり終わったのが残念。

メンバーがステージを去り、ステージにはティーカップを持ったロジャーと、アコギを持ったピートが残る。

しみじみとラスト曲「ティー&シアター」を演奏。『エンドレス・ワイヤー』からの曲だ。
今回の日本公演は、外交辞令かもしれないが、本人たちもとてもうれしそうで、
ピートは最後に、そばに用意してあったピックをみな観客席に投げていた。
若い頃のように、「緊張感溢れる」ステージではなかったが、ポール・マッカートニーやストーンズがそうであるように、
ずっと続けた結果のロックを見せてくれた。
「年とるまでに死にたいぜ。これが俺たちの世代」は健在だった。

ザ・フーは死にたくなるような歳のとり方はしていなかった。
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by mahaera | 2008-11-20 16:17 | ぼくの音楽・バンド活動 | Comments(0)