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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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最新映画レビュー『わたしに会うまでの1600キロ』 旅とは自分を見つめ直すもの

わたしに会うまでの1600キロ
Wild

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2014年/アメリカ

監督:ジャン=マルク・ヴァレ(『ダラス・バイヤーズ・クラブ』『ヴィクトリア女王 世紀の愛』)
脚本:ニック・ホーンビィ(『ハイ・フィデリティ』『アバウト・ア・ボーイ』の原作)
原作:シェリル・ストレイド
出演:リース・ウィザースプーン(『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』『キューティ・ブロンド』)、ローラ・ダーン(『ブルーベルベット』『ジュラシック・パーク』)
配給:20世紀フォックス
公開:8月28日よりTOHOシネマズシャンテほか


『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でアカデミー賞を受賞したアメリカ人女優リース・ウィザースプーン
世間的には『キューティ・ブロンド』シリーズの能天気なコメディエンヌのイメージが強いが、僕のお気に入りの女優のひとり。
最近は地味な作品が多くて話題になることが少なかったが、
制作会社を立ち上げ、『ゴーン・ガール』などのプロデューサーをしていたらしい。
もちろん本作でも製作を兼ね、この体当たりの演技で
本年度のアカデミー主演女優賞にノミネート
ほぼ一人称で語られる本作なので、出ずっぱりだし、
それまでのイメージとは異なる演技もしているなど、
よほどこの作品に惚れ込んだに違いない。

ようやく登りきった岩山の上で靴を片方落としてしまったシェリルは、もう片方まで投げ捨てる。
ロサンゼルス北のモハーベ砂漠からワシントン州ポートランド近郊までの1000マイル(1600キロ)を歩く道、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)。
今までこんな旅をしたことがないシェリルなので、
最初から失敗の連続だった。出発地で買い込んだ新品の登山用具をバックパックに詰め込むと、重すぎて立てない。
初日はたった10キロしか歩けなかった。
そのうえ、携帯コンロの燃料をまちがえて買い、
冷たい粥を毎日食べるハメに。
歩きながらシェリルは回想する。
子育てが一段落して、シェリルと一緒の学校に通い出した母ボビーのことを。あの頃は本当に楽しかった。
トレイルを歩き始めて8日目、空腹に堪え兼ねて、
危険を感じながらもトラクターの男についていくと、
男の妻が手料理を作ってもてなしてくれた。
12日目、道の途中でベテランハイカーと出会い、
その先にある宿泊所で、また落ち合うことを約束する。
道中、シェリルは自分の度重なる浮気とドラッグ依存により、夫と離婚したこと、父親が定かではない妊娠をしたことを思い出す。
そんな日々にふと目にしたのが、このトレイルのガイドブックだったのだ…。

原作はシェリル・ストレイドが実際にPCTを歩いた記録をまとめた自叙伝で、2012年に出版されてベストセラーになったという。
歩いた時期は、劇中に「ジェリー・ガルシア死去」が出てくるので1995年のことだろう。
ウィザースプーンは出版前に原作を読んで感動し、映画化権を獲得。脚本を『ハイ・フィデリティ』『アバウト・ア・ボーイ』の原作者として知られるニック・ホーンビィに依頼。
ホーンビィは、なぜ彼女がトレイルに出たのかを最初に語らず、
旅の途中でそれが徐々に回想シーンによって明かされていく
というように、構成を映画用に変えた。
これは効果的だったと思う。
ひとりで自然の中を歩いて行くのは、小説だとモノローグが入るので有効だが、映像に延々とモノローグを付けるわけにもいかないし、ほとんどの時間が何も起こらないので、映像だけだと単調になってしまうからだ。
そこで、アクセントを付けるため、ところどころに回想シーンを入れ、それも彼女が何者であるかを少しずつ明かしていき、観客の興味が持続していくようにした。
同時期に観た、やはり女性ひとり旅映画の『奇跡の2000マイル』では、その単調さをわざと取り込んでいたが。
監督は『ダラス・バイヤーズ・クラブ』で、マシュー・マコノヒーにアカデミー主演男優賞をもたらしたジャン=マルク・ヴァレ。派手さはないが、演出力のある監督だ。

あまり山歩きやトレッキングはしないほうだが、
海外旅行ではたまにすることがある。
単調な風景の中の移動では、変化は頭の中でつけるしかない。
歩きながら、ふだんは忘れていた過去の出来事や忘れてしまった人の顔が次から次へと立ち現れ、
そして音楽のメロディーが一日中ループして離れない
数日間、あの曲が頭で何百回もリピートしているということはよくあるのだ。
この映画の主人公シェリルの頭の中でリピートしている曲は、
サイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んでいく』だ。
シェリルの母がかつてよく口ずさんでいた歌。
それが映画の中で何度も変奏を重ねて流れ、
エンドクレジットで本物が流れるときは感動モノだ。

周囲に家もない山の中を歩くひとり旅。
『奇跡の2000マイル』ではまだ牧歌的な70年代の雰囲気があったが、これは現代のアメリカ。
女性のひとり旅には、自然以外の危険もつきまとう。
最初のトラクターの運転手に「夫が先を歩いている」とウソをいい、途中で出会ったハンターにおびえる。
そんな緊張から解き放たれるのが、山小屋での仲間たちとの語らいや、たまに町に出た時の息抜きだ。
途中、シェリルが町で目にするニュースが
「ジェリー・ガルシア死去」。
日本だとわからない人も多いだろうが、
アメリカではものすごい数のファンがいるバンド、
グレイトフル・デッドのリーダーだ。
この映画の一シーンからもとくに地元カリフォルニアでは、
いまでも根強い人気があることがわかる。

旅はいつもあっけなく終わる。
1週間の旅だって、1年の旅だって、映画やドラマと違い
フィナーレは華々しくなく、
誰かが旗を持って出迎えてくれるわけではない。
本作もそうした意味では、「ああ、ここが最終地点なのね」と地味だが、旅をしたことがある人は、旅はゴールが重要ではなく、その過程が重要であることはわかるだろう。
何よりも、旅は自分をリセットできる場なのだ。
シェリルも、今までの人生をここでリセットできたはずだから。
(★★★☆)

旅行人のウエブサイト「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました
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by mahaera | 2015-07-21 10:04 | 映画のはなし | Comments(1)

新作映画レビュー『ラブ&マーシー 終わらないメロディ』ブライアン・ウィルソンの抱えた哀しみが響く

ラブ&マーシー 終わらないメロディ
Love & Mercy

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2015年/アメリカ

監督:ビル・ポーラッド(『それでも夜は開ける』)
出演:ジョン・キューザック(『ハイ・フィデリティ』)、ポール・ダノ(『ゼア・ウィルビー・ブラッド』)、エリザベス・バンクス(『シー・ビスケット』)、ポール・ジアマッティ(『サイドウェイ』)
配給:KADOKAWA
公開:8月1日より角川シネマ有楽町ほか
http://loveandmercy-movie.jp/


1960年代半ばのカリフォルニア。
人気の頂点に立っていたザ・ビーチ・ボーイズだが、
リーダーで3兄弟の長男であるブライアン・ウィルソンは、
ツアーが精神的に大きな負担になっていた。
そこでブライアンはツアーに出ずに新作の
レコーディングのみに専念することにする。
スタジオミュージシャンを集めて作ったアルバム「ペット・サウンズ」は、バンドのイメージに合わないとメンバーにも言われ、またヒットはしなかったが、一部で高い評価を得る。
次のシングル「グッド・ヴァイブレーション」はチャートの1位に輝くが、ブライアンの精神状態は日増しに悪くなっていく。
1980年代、車の販売店のセールス担当のメリンダは、
店にやって来たブライアンと出会う。
ブライアンはメリンダを気に入り、メリンダもブライアンに引かれデートを重ねるが、ブライアンの病気は治ってはおらず、担当の精神科医ユージンの監視のもとでだった。

ザ・ビーチ・ボーイズというと、夏と海とサーフィン
というイメージが今でも強いのかもしれない。
とくに僕がロックを聞き出した70年代後半の日本はそうだった。
70年代半ばは60年代から続いたロックの怒濤の進化もちょうど一段落し、過去を振り返る余裕が出て来た。
『アメリカン・グラフィティ』(「サーフィンUSA」が流れていた)のヒットもその流れかもしれない。
ラジオから流れて来るザ・ビーチ・ボーイズの曲と言えば陽気なサーフサウンド。
パープルやツェッペリンが好きな高校生も、ビートルズやストーンズは聴くが(見かけもかっこいい)、お揃いのボーダーを来てワイルド臭がないザ・ビーチ・ボーイズはまるでスルー
今では名作と言われている『ペット・サウンズ』に
手を出したのも80年代末のCD時代になってから。
山下達郎や萩原健太らによる“布教”の成果だが、
当時はほぼ響かず、いつしかCDもホコリを被っていった。

ところがゼロ年代になって、僕は再びそのCDを聴くようになる。
きっかけは映画『死ぬまでにしたい10のこと』
観られた方もいらっしゃるだろうが、主人公の女性が若くして余命まもないことを宣告され、悲しみの中で口ずさむ歌が「ペット・サウンズ」収録の「神のみぞ知る(God Only Knows)」だった。
あらためてこの曲を聴くと、その美しいメロディの中にいいようのない悲しみがこもっていることに気づかされた。それからこのアルバムは僕の愛聴盤になった。

さて、今ではロック史上の名盤と言われているザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』だが、発表当時は、一般の人が持つザ・ビーチ・ボーイズの明るいイメージからかけ離れた内向的な内容が嫌われ、大ヒットにはならなかった。
次のシングル『グッド・ヴァイブレーション』はチャート1位のヒットとなるが、次作『スマイル』の録音中にリーダーのブライアン・ウィルソンの精神は崩壊し、バンドは別の方向に向かっていく。

本作はその絶頂期から落ちて行く60年代のブライアンの姿と、
長い低迷から抜け出そうとしている80年代のブライアンの姿を、
2人1役で交互に描き、謎の多いこの天才に迫るドラマだ。
カリフォルニアの陽光の中で育ったウィルソン3兄弟と従兄弟、同級生の5人で結成されたザ・ビーチ・ボーイズ。リーダーは作曲を手がける長男のブライアン・ウィルソンだ。
60年代のエピソードは、当時のドキュメンタリーフィルムや伝えられるエピソードをもとに本格的に作られており、音楽ファンにはたまらない(レコーディングに集まったスタジオミュージシャンも服装からそっくりに再現)。
支配欲が強い父親との確執(小さい頃は子供たちを殴りつけ、バンドがデビューするとマネジャーになった)、もとからあった精神の脆さ(デビュー当時から“よそ”の声が聞こえるようになった)、ツアーによるストレス(飛行機の中で発作を起こし、ツアー脱退)などが語られていく。

『ペット・サウンズ』『スマイル』などのアルバム制作の裏側が映像で語られていく過程は楽しいが、ブライアンにとっては理想の音楽を作ることによって、自分をどんどん苦しい場所に追いつめていく過程である。
取り巻き連中に囲まれて豪邸に住み、ドラッグに手を出し、
自分が自分の中心からどんどん追いやられていく。
ブライアンを演じるポール・ダノは、顔が似ているというより、
「ああ、こんな感じの青年だったんだろうなあ」と感じさせてくれる好演。
この人、顔が地味なので娯楽アクションとかには出ないが、若手の中では作品選びが面白く(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の牧師とか『リトル・ミス・サンシャイン』で沈黙の近いを立てた長男とか)、今後が楽しみ。
自身もバンドでギターとボーカルをやっている。あまり上手くはないが(笑)、Youtubeで観られる。

そして80年代のブライアンを演じるジョン・キューザックも、
顔はまったく似てないが、“忘れられた人”になってしまった
80年代のブライアン
の空虚感(とクスリづけで表情がない)をうまく体現している。
彼を精神的に支配している精神科医役のポール・ジアマッティは相変わらずだが(カツラがおかしい)、こういう外野がいろいろ関わって来て周囲から切り離してしまい、才能ある人を潰していくのはアメリカ的な光景。

この映画、観ながらけっこうツボにはまった。
ダメになっていくブライアンと、回復しようとするブライアン。
その間にあった語られない15年は、どんな地獄だったのだろう。
才能があっても精神的にもろい人はいる。
そういう人を支える人たちに恵まれなかったら、
人はどうなってしまうのだろう。
ブライアンには成功によってお金があったが、豪邸に住む空虚な生活も、いかにもアメリカンな感じだ。
同年代のビートルズのメンバーと比べても、お金があって望む暮らしは、イギリス人とアメリカ人ではかなり違うのだろうなあ。
そんなことを考えながら、音楽に酔いしれた2時間。
エンドクレジットでは“本物の”ブライアンによる「ラブ&マーシー」のライブ映像が流れる。
ほんと、しみじみしてしまった。帰宅してすぐにザ・ビーチ・ボーイズの『スマイル』をネット買いしてしまったよ。
(★★★☆)

●関連情報

・ザ・ビーチ・ボーイズの挿入歌以外の映画音楽もいいのだが、担当はアッティカ・ロス。ナイン・インチ・ネイルズとの仕事から映画音楽に入り、トレント・トレズナーとのコンビで、いまやデビッド・フィンチャー映画には欠かせない。『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー作曲賞を受賞している。

この記事は、旅行人のWEBサイト「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました。
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by mahaera | 2015-07-17 18:45 | 映画のはなし | Comments(0)

新作映画レビュー『マッドマックス 怒りのデスロード』 ついでに1作目と3作目を見る

マッドマックス 怒りのデスロード

人間、どうせ死ぬなら病院のベッドの上ではなく、デスロードで死にたい

先日、2回目の「マッドマックス 怒りのデスロード」を見ながら、
歳はとっても中身はいまだ中学生のボンクラ大人は、みなそう思ったはずだ。
だいたい平日の昼間から、堂々と映画観に来ているような奴ら
なんだから(含自分)。

この映画、1回目見たときは「ただ、一本道を走って、また同じ道を走って戻って来る」と、車酔いしたような気分になったが、2回目なので、実は細かい所もよくできているのに気づく。
ムダなセリフがない、というかセリフがあんまりない
とくにマックス。怒濤のように、次から次へと迫って来る敵。
その中を疾走するタンクは止まることない。
まるで映画の古典「駅馬車」のようだ。
今回は2Dだったが、別に3Dじゃなくてもいいかなと思う。
あと2回は、大画面で見たい。
仕事が忙しいときは、ホントにデスロードな気分。
時間がたつのが高速化していて、
何かをしながら何かを迎え撃っている気分だ。
原稿メールで送ると、敵をひとり倒した気分。
しかし敵は倒しても倒しても次から次へとやってくる。
いまは、ほぼ倒したぐらいの気分だが、
人生は敵を倒し終わっても走り続けている。
寝たら明日になってしまう。一時停止ボタンってないもんなあ。

で、勢いで「マッドマックス」「マッドマックス サンダードーム」のDVDを借りて来て観た。
僕は「2」がシリーズ最高傑作だと思っているが、
みなさん異論はないだろう。6回ぐらいは見ている。
「1」も2回は見ているのだが、印象が薄く、
今回久しぶりに見たら、シーンは覚えていたが、
物語の流れはところどころ忘れていた。
マックスのキャラも違うしね。それにSFでもない。

「サンダードーム」は今回初めてだが、「2」の後、これでは不評な訳もわかる。
アクション映画というより、奇妙なビジュアルをいろいろと見せたいという感じで、ホドロフスキーやパゾリーニ作品のテイストだ。
ただ、それがマックスのキャラとうまく機能していない。
マックスのキャラは、レオーネ作品でイーストウッドが演じていた“名無しの男”だ。
そんな意味で、新作の「怒りのデスロード」は、「2」の発展系といってもいい出来映えだ。
これこそDVDではなく、劇場で体験する作品。
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by mahaera | 2015-07-14 13:56 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『ルック・オブ・サイレンス』 虐殺の被害者が加害者と対峙する瞬間をとらえる

ルック・オブ・サイレンス
The Look of Silence
2014年/デンマーク、インドネシア、ノルウェー、フィンランド、イギリス

監督:ジョシュア・オッペンハイマー(『アクト・オブ・キリング』)
配給:トランスフォーマー
公開:7月4日よりシアターイメージフォーラム



インドネシアのスマトラ島メダン近郊。
老いた両親と暮らす青年アディは、1965年の虐殺で兄が殺された後に生まれた。
母親は半世紀前に殺された息子への想いを胸に封じ込め、加害者と同じ村に暮らしていた。
父親は認知症をわずらい、息子の記憶さえない。
オッペンハイマー監督が撮影した加害者たちのインタビューを見たアディは、
彼らがまったく罪の意識を感じないことに衝撃を受ける。
そして加害者たちに会って、罪を認めて欲しいと訴えた。
そこで眼鏡技師として働くアディが、無料の視力検査をすることで加害者たちに近づき、質問を投げかけ、その模様をカメラに収めることになった。

当初オッペンハイマー監督は、1965年に起きた100万人近い大虐殺の被害者側のインタビューを集め、
それをドキュメンタリーにしようとしていた。
しかし当局や民兵の度重なる妨害に遭い、
撮影の中止を余儀なくされる。ところがその過程で、
妨害していた側に取材対象を変えてみると、
途端に彼らが協力的になることがわかり、
加害者側を撮影して『アクト・オブ・キリング』を完成させた。
この作品は各国で高い評価を受け、2014年アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされた。
その間、2012年の『アクト・オブ・キリング』の撮影中、被害者の弟であるアディの提案を受け、本作のメインである、アディと加害者の対話の撮影が行われる。
『アクト・オブ・キリング』が公開されたら、オッペンハイマー監督はインドネシアには戻ることができないだろう。これが最後のチャンスだった。

『アクト・オブ・キリング』は、衝撃的な作品だった。
迷信に左右される未開の社会ならともかく、
「ふつうの文明社会にいる人たちが身近な人たちを虐殺できるのか」という問いの答えを見せてくれたからだ。
もちろん、アイヒマン裁判が教えてくれたように、薄々はわかっていた。
が、特殊な社会状況が人をそうさせるのではないかという、
どこかに「人のせいではなく、社会が悪い」的な
甘い考えが自分にもあった。
しかしこのドキュメンタリーを見て、
それがまちがいであることはわかった。
人は隣の人も、理由さえあれば簡単に殺すことができると。
それはどんな社会でもあまり変わらない。
「虐殺のメカニズム」を、冷静に、
しかもわかりやすく見せてくれたのだ。
インドネシアの場合、それが「共産主義」「中国系」だったが、それは別に他のものに簡単に置き換えがきく。普遍的なものなのだ。

『アクト・オブ・キリング』が、加害者側に自らの行為を語らせ、演じさせるという発想の転換の、実にユニークなドキュメンタリーだったのに対し、この『ルック・オブ・サイレンス』は被害者側の視点を入れた、オーソドックスな作品かもしれない。
ただ、被害者側が淡々と訴えるという内容であれば、それは正論で、映画の中で善悪は完結してしまうだろう。
そこで本作では被害者側が声を大きくあげるのではなく、
むしろ「沈黙」を通さねばならなかったことについて考える。
自分の息子を殺した人間と同じ村に住み続ける辛さ。
沈黙の50年を生きた母親が口を開く。
今まで家族以外、誰にもその無念を語ることはなかったろう。

カメラの前で殺害を自慢するものもいる。
彼らは当然「善い行いをした」と思っているからだ。
通常の神経なら、同じ村の、知り合いの息子を殺したことを、
笑いながら話せないだろう。
それに彼らは犯罪を生業としている訳ではない。
政府の役職に就いたり、政治家になったり、
教員になったりするものもいた。
人を殺すことで一番重要なのは、
自分が罪の意識を感じないことだ。
それはたとえば極悪非道な事件が起きた時に、
犯人が死刑になってもほとんどの人々の心は痛まない。
それは、それだけのことをしたからという、
納得できる理由があるからだ。この虐殺の加害者たちも、
自分を正当化できる“理由づけ”をそれぞれに持っている。
「正義のために」「上からの命令で」「宗教に反する」などだ。

殺害の様子を川のほとりで再現するいい歳のおじいさんたち。
ニコニコしながら、「なかなか死ななくてね。
何度も刺して、ペニスも切ったよ」
と言っている恐ろしさ。
犠牲者の血を飲むと狂わないですむという迷信から、
血を飲んでいた殺害者の老人も怖い。
いや、そこまででなくても、アディの母の弟が収容所で看守として働いており、結果的に見殺しにしていたことを姉に50年も黙っていたことも怖い。

このドキュメンタリーがすごいのは、
そうした発言をうまく引き出していることだ。
アディが加害者の老人のところに行って最初は目の視力検査を何気なくする。
それから「あのころは大変だったでしょう」みたいにさりげなく話題を切り出す。
アディの年齢からして、当時のことは知らないはずということもあり、すっかり油断した老人たちは、「あー、よく殺したよ。殺しても殺しても数が多くてさー」みたいに自慢気に話し出す。
そこでアディは、「ところで、私の兄も殺されたんですよ。あなたたちに」と言う。
その瞬間の動揺をカメラは見逃さない
すっかり不意打ちを食らった彼らは、
「いゃ、命令に従っただけだよ」と言い訳をするものもいるが、
「お前は俺を責めに来たのか」と怒り出すものもいる。
このまるで“どっきりカメラ”のような展開が実にスリリングだ。
人はなかなか人前では本性を現さない
カメラが回っていればなおさらだ。
そのため、このような仕掛けが必要なのだろう。
「虐殺を自慢している男も、本当は心に疾しいものを感じているのではないか」とアディは信じて始めるが、そこまで自分のしたことを冷静に見ている加害者はほとんどいない。

見ていて強く感じるのは、殴ったほうは殴ったことを忘れて、
それすら思い出にできても、殴られた方は
一生忘れることも思い出にすることもできないことだ。
その痛みは過去のものではなく、
今もリアルに感じられる痛みなのだから。
(★★★☆)

●関連情報
・前作『アクト・オブ・キリング』も必見。ぜひ併せて見たい。

このレビューは「旅行人」のウエブサイトに寄稿したものを転載しました
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by mahaera | 2015-07-13 08:59 | 映画のはなし | Comments(0)

「チャイルド44」トム・ロブ・スミス 公開中の映画の原作

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先日、映画を見たトム・ロブ・スミスの「チャイルド44」(上)(下)読了。
スターリン体制下で起きた、子供44人の連続殺人を追う、元捜査官の話だ。

これを読むと、映画はほぼ原作の忠実な映画化だとわかる。
ただ、物語にあるベーシックな内容だけを変えてしまった。
そこは小説のキモだと思うのだが、きっと映画にしてしまうと、
あまりにも御都合主義になってしまうと危惧したからだろうか。
実際、小説でも犯人の動機が示されるが、それほど説得力もない。
映画でももちろん動機は明かされるが、
やはり腑に落ちるというものではない。
むしろ「所詮、連続漁期殺人犯の心の闇の本当のところは、わからない」とでもいうように。

クライマックスの改変は、映画化ではよくあることだが、
その1点をのぞいて、むしろ忠実すぎる映画化といっていいだろう。
小説も映画も描きたいのは、ミステリーとしての謎解きではなく、
自由を圧殺する体制下では人はどのように行動するかだ。
だから純粋ミステリーファンより、
当時の共産主義政府がどうだったかを知りたい人向きかもしれない。
もしくは、そこから教訓を学びたい人。
たとえばいまの日本とはまったく関係ないと思う人も
いるだろうが、そんなことはない。
「共産国家は理想国家だから、猟奇的な犯罪は起こらない」
→「日本人は優秀だから、治安を悪くしているのはすべて外国人」とか、
「犯人はみんなの納得する人で、とにかく誰かはつかまえなくてはならない」
→「怪しき人ありきで、冤罪が発生するシステム」のように。
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by mahaera | 2015-07-12 23:10 | 読書の部屋 | Comments(0)

映画レビュー 今月はロッキー祭り『ロッキー4』『ロッキー5』 ヒットはしたが別映画の4とまさかの5

ロッキー4/炎の友情

ドルフ・ラングレン扮するソ連の殺人マシーンのドラコに、
親友アポロを殺されたロッキーが、
復讐を果たしにモスクワに乗り込む。
たぶん「1」以外では一番ヒットした作品じゃないのかな。
ジェームズ・ブラウンが出演して歌うUSA讃歌「リビング・イン・ザ・アメリカ」もたっぷり観られる娯楽作品で、
もう少年ジャンプの世界
製作が1985年なので、ソ連崩壊前のレーガン時代らしく、
最後はモスクワでロッキーが勝ち、突然ロッキーが
俺たちは変われるんだ。一緒に仲良くやろう」と
異例のスピーチをぶつ。
レーガンはホワイトハウスにスタローンを呼んで大絶賛
しかし映画で試合の前に流れるソ連国歌の歌詞がスターリン時代のものなどの嫌がらせか、ソ連では当然ながら大批判。
スタローンが本当に友好を考えていたら、
こんなストーリーにはしないだろう。
ドラコを悪者として描いて、ロッキーが勝って、
仲良くやろうなんてね。
あとは、この作品だけ音楽がビル・コンティではないので、あのロッキーのテーマが流れず、MTV全盛時代のゴー・ウエストやサバイバーの産業ロックばかり流れるのも違和感。
この年、スタローンが主演した「ランボー/怒りの脱出」も公開されているので、ロッキーがほぼランボー化している作品。
ともに同年のゴールデン・ラズベリー賞(最低映画賞)受賞(笑) 製作費の10倍は稼いだのに。


ロッキー5/最後のドラマ

1990年の作品。たぶん、観た人はあまりいないという、
シリーズ最低の興収で、たった5年でロッキーもスタローンも、観客に飽きられてしまっていたことがわかる。
ドラコとの闘いでパンチドランカーになってしまったロッキーは
ボクサーから引退。
代わりに若手ボクサーのトミーを育てるが、
そのために息子との関係がぎくしゃくしてしまう。
トミーはやがてロッキーを裏切り、他のプロモーターと契約し、チャンピオンに。
しかし世間はトミーに厳しく、トミーはロッキーとの対決を選ぶ。
スタローンは、ロッキー最終作にするつもりで、
監督を「ロッキー」のアビルドセンに依頼
音楽もコンティに戻し、死んだミッキーも回想シーンで
登場などと原点回帰を図ったが、酷評されてしまった
評判は悪いが、僕は「2」から「4」までになかった「ドラマ」がきちんと描かれていて、そんなに悪くはないと思う。
ただ、それまでロッキーシリーズはすべてリングの死闘で終わっていたが、この「5」はまさかのストリートファイト。ボクサー同士が路上で殴りあって、そりゃなんじゃって感じで終わる
終わるんだったら、ロッキーは試合に負けるが家族の愛を得る、
でよかったんじゃないか。
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by mahaera | 2015-07-11 15:11 | 映画のはなし | Comments(0)

映画レビュー 今月はロッキー祭り『ロッキー2』『ロッキー3』どんどん別な映画になっていくロッキー

「ロッキー2
監督・脚本・主演 シルベスター・スタローン

2以降は、スタローンが脚本・監督・主演のオレ映画。
なので、僕的にはガラリとタッチが変わったように。
2はまだその過渡期
映画は1のエンディングシーンをたっぷり見せて、
ロッキーとアポロが入院するところから始まる。
ロッキーにとっては、世界王者と闘い、
エイドリアンと結婚したので、もう目的はすべて達成。
これ以上何かしたいというモチベーションがなくなってしまう。
なのでその後を描くのは、見る方も酷な話
確たる盛り上がりがなく、1時間が過ぎてしまう
何なんだこのタルさは。そう、1にあったドラマがここにはない。
前作ではロッキーだけではなく、エイドリアン、ポーリー、ミッキーといったキャラは、無駄にしている今の人生から抜け出ようともがいていた。
だから共感できたのだが、ここではみんな1作目で達成しているので、葛藤もドラマもない。次がないのだ。
唯一、葛藤とドラマを抱えているのは、アポロだ
判定勝ちはしたものの、世間には「ロッキーの勝ち」と
後ろ指刺され
、何とかしてロッキーと再試合して
汚名をぬぐいたいと思っている。
というわけで、「2」でみるべきものはアポロ
アポロは最後、ロッキーに負けるが、1でのロッキーに値する
ロッキーが町を走ると子供たちが追ってくるシーンはヒドいなあ
まあ、余計な続きを見せれたようで、見なくてもいい作品。

「ロッキー3は当初、「完結編」として作られた作品。
サバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」が主題歌のように、
もうアメリカンニューシネマ風はまったくなく、
80年代アクション映画になっている
今度は、ハングリーが売りのミスターTが相手。
ハングリーさをなくしたロッキーに、死んでしまったミッキーに代わり、かつての敵アポロがトレーナーになり、ロッキーを鍛えるというスポ根娯楽映画
映画は第一作とはもはや別物になってしまっている
エイドリアン違うキャラになっているし。
これはこれで、まあアリかなという路線だが、
ぐっと子供っぽい内容になってしまった。
ハルク・ホーガンとロッキー闘うし。
ロッキーとアポロが砂浜を2人でかけて抱き合うシーンは、
かなりゲイっぽく、その後、パロディによくつかわれた
ロッキーは本当はここで終わるはずだった。
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by mahaera | 2015-07-10 11:18 | 映画のはなし | Comments(0)

新・午前十時の映画祭『ライアンの娘』 これをスクリーンで観ることができたことを幸福に思う

新・午前十時の映画祭
ライアンの娘


「新・午前十時の映画祭」に行った。
朝の10時から往年の名画を1000円で観られるという企画。
今回はデビッド・リーン監督の名作「ライアンの娘」。
第一次大戦時のアイルランドを舞台に、中年教師(ロバート・ミッチャム)のもとに嫁いだ若い娘ローズ(サラ・マイルズ)が、駐屯している英国士官と不倫してしまうというメロドラマなのだが、とにかく大スクリーンいっぱいに映し出された自然の中で、人々が育むドラマは、文学を読んでいるようなパワーと説得力がある。

この映画、僕はTVやDVDでしか見たことがなかったので、
初スクリーンというのも感動。
で、この映画、歳とってみるとさらに味わい深い
昔は、主人公が単なる自分勝手な女に見えたが、
今ではアラビアのロレンス同様、「自分の居場所が見つけられない人」に見える。
いまいるところに馴染めないが、若さゆえそこを出る手段すらわからない
村唯一のインテリの中年教師との結婚に賭けるが、
期待していた新婚初夜にはならずに、その日から幻滅が始まる。
当時としては、かなり堂々と女性のセックスについて(下品にならないよう品よくだが)も、正面切って取り上げているなあと。
村には知恵おくれの老人マイケルがいて、彼がいい感じで物語の狂言回しになっている。
ジョン・ミルズはこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞。
たしかに名演だ。
ラストで村を去るローズが、このマイケルに初めて「ありがとう」というシーンは涙が出る
3時間の長尺だが、映画の最初と最後では、
同じ村でももうずいぶん遠くまで来てしまった感が。
次にいつスクリーンで観られるかわからないので、
まだ観ていない人は来週いっぱいまでなので、ぜひどうぞ。
音楽も脚本も撮影も、すべて一級品だ。
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by mahaera | 2015-07-08 15:26 | 映画のはなし | Comments(0)

新・午前十時の映画祭『風と共に去りぬ』 4時間あっという間の物語

新・午前十時の映画祭
「風と共に去りぬ」


場内が暗くなり、前奏曲、本編、休憩、間奏曲、本編、エンドテーマと全部で4時間。何度か見ているはずの映画なのに、真っ暗な中で音楽だけ3曲も聴いたのは初めてだ。
この映画を最初に観たのは中3か高1ぐらい。
東銀座の東劇に行ったが満席で、通路に座って4時間過ごしたっけ。
1939年の映画だから、その時、完成してから40年後ぐらい。
そしてさらに40年近くたってしまった。
76年前の映画なのか。
そしてこの映画が作られた76年前の1863年は、この話の舞台になった南北戦争の真っ最中(1864年がアトランタ陥落)。
きっと映画製作者たちは、おじいさんから南北戦争の話を聞いて育ったに違いない

さて、今観るとこの映画、どうなのかなと思ったがいやすこぶる面白い
もちろん黒人奴隷や南部礼賛という、いまとなっては反発を受けそうな問題はあるが、1939年といえば公民権運動よりずっと昔の話だからしょうがない。
そこではなくて、今でも感情移入して観られるのは、主人公スカーレットもレット・バトラーも、もともと時代に関係なく生きている自己中心的なキャラだから。
そして女性の目から見た「戦争」が語られているからだろう。
スカーレットは南部の男どもが熱を上げて語っている「戦争」にまったく興味がないし、バトラーも「精神力で勝てる」と思っている南部の人たちを冷ややかに見ている。
社会や世界といった大義を唱え、戦争を叫ぶ人たちは、その後の悲惨さのことをまるで考えちゃいないと。
そのあたりも、1939年というアメリカ参戦間近にしては戦意高揚的なものがなく、けっこうドライだ。

この映画に出て来る男どもは、バトラーをのぞいてみなだらしない。
というか、子供っぽい。それは基本的にほぼスカーレットの視点で語られている(スカーレットが登場しないシーンは4時間のうち5分もないだろう)こともある。
彼女は自分の恋愛(アシュレーへの片思い)以外はとても現実的で、自己中で人を利用もするが、悪人ではないし、「やるべきことはやる」実行力がある
それに対抗できるのは、作品の中では確かにバトラーだけだ。
天使のようなメラニーのような女性は、確かにみな一目置くが、
自分がああはなれないことは知っている。
それになっても「あまり面白くはない」
できるなら女性はスカーレット。男はみんなバトラーになりたいだろう。
少なくとも、男にはアシュレーの良さがさっぱりわからない。
なので、なんでスカーレットがあの男に惚れているのかがさっぱりわからない。

片思いや、愛のすれ違いは、いつの世も同じ。
76年経っても、誰でもこのメロドラマは楽しめる。
しかもお高い芸術映画はさっぱりという人でも、
この映画を観てわからないという人いないだろうというほどの、わかりやすさ。
もちろん、ビビアン・リーは最高の当たり役で、
この映画がある限り彼女を忘れる人はいないだろう
撮影時は25歳くらいかな。
今週いっぱい、TOHO系の一部劇場で上映しているので、
行ける方はどうぞ。朝10時の1回だけど、
1000円で4時間たっぷり楽しめます!
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by mahaera | 2015-07-06 15:02 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『チャイルド44 森に消えた子供たち』ドラマがインパクト大で謎解きが付け足しのよう

チャイルド44 森に消えた子供たち
Child 44

人間性を殺す、過酷なスターリン体制下のソ連。そこで起きた連続殺人事件の真相は?

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2015年/アメリカ

監督:ダニエル・エスピノーサ(『デンジャラス・ラン』)
出演:トム・ハーディ(『マッドマックス 怒りのデスロード』『ダークナイト ライジング』)、ゲイリー・オールドマン(『裏切りのサーカス』)、ノオミ・ラパス(『プロメテウス』)、ジョエル・キナマン(『ロボコップ』)、ヴァンサン・カッセル(『ブラック・スワン』)
配給:ギャガ
公開:7月3日より全国ロードショー



僕は知らなかったが、このトム・ロブ・スミスの原作小説
「チャイルド44」
は、日本では2009年に「このミステリーがすごい」海外編で第1位に選ばれたという。
なので、映画になる前から楽しみにしていたミステリーファンも多いに違いない。
出版前にこの作品を気に入ったリドリー・スコットは、
当初自分が監督するつもりで映画化権を手に入れたという。
しかし、自分は製作に回り、監督にはスウェーデン映画史上
最大のヒット作となった『イージーマネー』(2010)のダニエル・エスピノーサを起用することにする。エスピノーサは『イージーマネー』の後、ハリウッドに招かれて、
デンゼル・ワシントン主演の『デンジャラス・ラン』で大ヒットを飛ばす。

1953年のスターリン体制下のモスクワ。
かつての戦争の英雄で、いまは国家保安省で働くレオの仕事は、反体制派を取り締まること。
エリート捜査官として出世街道を歩んでいたレオだったが、
ある日、レオの部下であるアレクセイの息子の遺体が発見される。
明らかに殺人だったが、“犯罪は資本主義の病。理想国家で殺人はあり得ない”と上司の命令で事故扱いに。
その後、レオはスパイ容疑をかけられた妻ライーサをかばい、地方に左遷されてしまう。
そこでレオは、アレクセイの息子と同じ手口で殺された子供の遺体に出合う。付近に川はないのに溺死し、臓器の一部が抜き取られていたのだ。
表立って捜査をすることは、国家に反逆すること。
レオは密かに捜査を始めるが、同じ手口で殺された子供は、他に43人もいた。

この映画のモデルとなった「チカチーロ連続殺人事件」は、実際に旧ソ連で起こった事件だ。ただし時代はスターリン政権下ではなく、もっと後。
1978年から1990年にかけてと新しい。
その間にチカチーロは52人の女子供を殺し
当局に何度もマークされながらも殺人を続けた。
チカチーロの事件はとても有名なので、詳しくはウィキなどで読んで欲しいが、かつてのソ連では「この種の犯罪は資本主義の病理」ということで、取り上げられることはなかった。
また、被害がソ連各地に及んでいたので同一犯と認識されず、民警の捜査も杜撰だった。しかし、ゴルバチョフ体制になり情報公開が進んだことやKGBが捜査に加わったことにより、彼の犯罪が明るみに出た。

映画(原作)では、時代を25年ほど昔のスターリン体制に設定し、連続殺人事件を盛込みながらも、その当時の人々がどのように生きていたかを克明に描こうとしている。
真に恐ろしいのは連続殺人鬼ではなく、国家システムだ。
主人公、レオは国家保安省の取締官。
彼自身は一般犯罪を調べる職務ではなく、国家に反抗する
“裏切り者”を調べあげる組織に属している。
何かのまちがいでも“裏切り者”のリストに上ってしまったら、
それを撤回することはできない
。リストにあるから無実であるはずがない。
どうあがこうとも、結果は決まっている。
まるで『未来世紀ブラジル』だ。
明らかに殺された人間がいても「犯罪はない」とする一方、
何も犯罪を犯してない人を拷問して殺す。
そこにあるのはシステムだけで、人間はそのパーツにすぎない。

映画の前半は、このシステム側だった主人公がそこから追い落とされて地方に送られるまでを描く。
途中、何度も「あれ? 連続殺人事件は?」と思うが、後半になって主人公が地方の民警に配属されてから、ようやく犯人を追い出すのだ。
しかも主人公が捜査を始めても、彼を憎むかつての部下がいろいろと嫌がらせをしてきたりと、なかなか犯人探しには話は進まない
むしろそっちは重要じゃないのかなと思うと、犯人が出てきたりと、どっちつかずの感じがしてしまう。
息をのむのはソ連の密告社会の冷徹さだが、
これがとくに犯人とリンクしているようには思えないからだ。
どうも犯人と犯人が犯す殺人は、主人公たちとの葛藤とはうまく結びついていない。
この感じは、『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女』の謎解きが、いまいちな感じによく似ている。あれだって謎解き以外のほうが面白かったし。

それでも映画でもっとも力を入れて描いている、
主人公の価値観やそれまで信じていたことが崩れて行く中盤は、
全体国家ソ連の怖さがよく出ている。
ダニエル・エスピノーサの演出は地味ながらもしっかりとしていて、
ずいぶんと丁寧に描いている。
密告国家とは、どんな世界かを知るのには、いい作品だと思う。(★★★)

旅行人のWEBたびナレに寄稿したものを転載しました
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by mahaera | 2015-07-04 12:57 | 映画のはなし | Comments(0)