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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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ローマ人の物語「迷走する帝国」 軍人皇帝時代は皇帝の名を覚えるだけで大変

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11月17日(FBより転載)

2冊読み終わって、図書館に返しに行く。
「ローマ人の物語」は3世紀の軍人皇帝時代。50年ぐらいの間に22人の皇帝がたった時代で、病死と戦死は数人で、あとはほとんどが暗殺・謀殺された。「この皇帝、覚えていてもどうせすぐ死んじゃうし」って感じだ。全員が無能という訳でもなく、それなりに使命を感じてがんばった皇帝もいるのだが、結果が出ないと部下に殺されてしまう。皇帝は終身制なので、辞めさせたければ死んでもらうしかないという弊害だ。あとは当時の皇帝は、大統領のような内政のトップであり、軍団の司令官だったので、戦争が続けば前線に出っぱなし。作戦しくじれば、殺されるの繰り返し。このころは皇帝は貴族出身でもなく、叩き上げの軍人なので平民出身が多い。なので、権威もなかったのだろう。次から次へとゲルマン人が国境破って侵入してくるし、フランスではガリア帝国、シリアではパルミラ王国が勝手に独立しちゃうし、皇帝は新興のササン朝の捕虜になっちゃうし、ガタガタな時代だ。
 元を教えたので、次回は明。これが終って、やっとルネサンスやティムール時代だ。
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by mahaera | 2015-11-30 01:01 | 読書の部屋 | Comments(0)

ローマ皇帝マルクス・アウレリウスと映画『ローマ帝国の滅亡』

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11月10日(FBより転載)
 
 ローマ人の物語11巻読了。あと4巻か。
この巻に出てくる皇帝マルクス・アウレリウスは五賢帝のひとりだが、そのバカ息子コンモドゥスを次期皇帝にしたことのほうが、いまではよく知られているかも。話としては、親ががんばったのに息子が潰すというので面白く、映画『グラディエーター』と『ローマ帝国の滅亡』になっている。
 映画版、共に主人公(前者はラッセル・クロウ、後者はスティーブン・ボイド)よりも悪役のコンモドゥス(前者はホアキン・フェニックス、後者はクリストファー・プラマー)のほうが魅力的に描かれている気がするのだが。俳優としても、主役よりうまい人が配役されている。自らを「ヘラクレスの生まれ変わり」としてライオンの毛皮を被ったり、剣闘士として闘技場に出場したり、実の姉と妻を殺したりと、バカ三昧の20代。最終的には愛人らによって、宮殿の浴槽で溺死させられるのだが、彼の時代は対外戦争がなかったのだけは評価してもいい。
 父親のマルクス時代は、次々に外敵が侵入してきて、軍事経験がない皇帝は出陣し過ぎで、命をすり減らした。息子のコンモドゥスは、戦争ごっこ(剣闘士の試合など)は好きだが、快適じゃない外征は嫌いで、自分が跡を継いだらさっさと敵と講和して戦争をやめてしまう。また、政治にも興味がなかったので腹心に丸投げして、遊びほうけていたそうな。
 60年代に作られた『ローマ帝国の滅亡』は、作品としては冗長で主人公の将軍も魅力がない大した作品じゃないのだが、コンモドゥスを演じるクリストファー・プラマー(サウンド・オブ・ミュージックのトラップ大佐)の、ヘタレ男ぶりが実に上手く、見ていて楽しい。ファザコンで、人に評価されたがり。自分をマッチョに鍛え上げ、主人公の優等生将軍にホモセクシャル的な愛情を少し持つ(昔なので匂わせる程度)という、複雑な役どころを演じている。最後は、優等生将軍とわざわざ観衆の目の前で一騎打ちして、彼に殺されると恍惚の表情。
 故・淀川先生なら、どう解説されたであろうか(笑) 
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by mahaera | 2015-11-29 09:45 | 読書の部屋 | Comments(0)

最新映画レビュー『アンジェリカの微笑み』世界最高齢監督101歳の時の作品

アンジェリカの微笑み
The Strange Case of Angelica

2010年
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ(『永遠の語らい』『コロンブス 永遠の海』『ブロンド少女は過激に美しく』)
出演:リカルド・トレバ(『コロンブス 永遠の海』『ブロンド少女は過激に美しく』)、ピラール・ロペス・デ・アジャラ(『女王フアナ』『シルビアのいる町で』)
配給:クレスト・インターナショナル
公開:12月5日よりBunkamuraル・シネマほか
公式HP:www.crest-inter.co.jp/angelica/


●ストーリー
ポルトガルのドウロ河流域の小さな町。夜半、町に一軒しかない写真館に、町の富豪の執事が撮影の依頼をしにやってくる。しかし店主は不在で、代わりに町に仕事でやって来て写真が趣味の青年イザクが紹介される。イザクが山手にある館に着くと、若くして死んだ娘アンジェリカの死を悼む人々が集まっていた。白い死に装束に身を包んだアンジェリクを、カメラに収めるイザク。しかし死んだはずのアンジェリクがイザクに微笑みかけた。それからイザクの頭から、アンジェリクが離れられなくなり、彼は死者に恋していく。

●レヴュー
知っている人はよほどの映画好きかもしれないが、「ポルトガルの生んだ至宝」と呼ばれている映画監督マノエル・ド・オリヴェイラ。惜しくも2015年4月2日に亡くなったが、享年106歳。死の直前の2015年作の短編が遺作で、まさに“生涯現役”を貫き通した人である。初監督作品が1931年の『ドウロ河』で、それ以来、不遇だった60〜70年代をのぞけば、ほぼ毎年一作ペース、とくに90年代以降の活躍ぶりはすさまじい。日本でも90年代以降の作品は短編を除き、ほとんどが公開されているのではないだろうか。

さて、本作はそんなオリヴェイラ監督が2010年に撮った作品。脚本は1952年に書いたものがベースになっているが、そのときは主人公のユダヤ人青年に、第二次世界大戦時のユダヤ人迫害の過去を重ねていたようだが、その部分は現代には合わないと変更している。しかしそもそもこの映画、いつの時代か見ていてよくわからない。オリヴェイラ監督はインタビューで「現代」と言っているが、登場人物の服装や部屋の内装、ディティールは1950年代に見える。インターネットどころか、映画の世界にはテレビもない。有線の電話さえ普及していないように見えるし、人々の暮らしも現代に見えない。今どき、カメラを持っている人を探すのに苦労したりはしないだろう。しかし町の風景などは、とくに古く見えるように手を加えてはいない。それもヨーロッパの田舎町だから成り立つのだろうが。

話はまるで、日本の昔の小話のようだ。雨月物語とか芥川龍之介とかの。主人公は死者に恋をしてしまう。死んだアンジェリカの微笑みの表情を撮った瞬間、彼の心の中にそれは“生”を呼び起こす。生前のアンジェリカを彼は知らないし、どんな性格だったかも知らない。ただ、絵画の人物に恋してしまうように、すべては自分の想像の産物なのだ。客観的にみればそれば、肥大した自己愛だろう。しかし映画はイザクの主観なので、映画ではアンジェリカが夜はイザクの部屋に逢いにきて、空を二人で飛ぶ。そこではふたりは愛の言葉を交わす。これはどういうことなのか。

人は死んだら終わり、ということをオリヴェイラ監督は否定する。100歳を過ぎて死期が近づいた監督は、魂を信じ、その愛が生き残ることを信じたのだろうか。アンジェリカは登場したときにはすでにこの世の人ではなく、イザクは愛をかなえるためには、アンジェリカのもとに行かねばならない。つまり「死んで結ばれる」ことで、イザクの愛は成就し、イザク的にはハッピーエンドを迎えることになる。しかし、オリヴェイラ監督の答えはわからない。まだ彼の人生の半分しか生きていない僕には、到底考えが及ばないのかもしれない。ただ、いつものオリヴェイラ作品のように、観終わった後はキツネにつままれたような気になることだけはまちがいない。また、それも気持ちがいいのだが。(★★★

●関連情報
主人公イザクを演じるのは、オリヴェイラ監督の実の孫で、オリヴェイラ作品の常連のリカルド・トレバ。アンジェリカを演じるのは、『女王フアナ』で一躍有名になったスペインの女優ピラール・ロペス・デ・アジャラ。彼女はコロンブスの子孫で、貴族の生まれとか。

旅行人のWEBサイト、「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました
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by mahaera | 2015-11-28 15:24 | 映画のはなし | Comments(0)

新作映画レビュー『黄金のアデーレ 名画の帰還』クリムトの名画の返還をめぐる、実話に基づいた話

黄金のアデーレ 名画の帰還
Woman in Gold
2015年

監督:サイモン・カーティス(『マリリン 7日間の恋』)
出演:ヘレン・ミレン(『クイーン』『REDリターンズ』)、ライアン・レイノルズ(『デンジャラス・ラン』)、ダニエル・ブリュール(『天使が消えた街』)、ケイティ・ホームズ(『エイプリルの七面鳥』)
配給:ギャガ
公開:11月27日より全国公開
公式HP:http://golden.gaga.ne.jp/


●ストーリー
1998年のロサンゼルス。姉を亡くしたマリアは、オーストリア政府にナチスに没収された叔母の肖像画の返還を求めるよう、駆け出しの弁護士ランディに仕事を依頼する。戦前のウィーンでユダヤ人資産家の家に育ったマリアだが、ナチスの台頭により両親を残し、夫と共にアメリカに移住したのだ。“小さな仕事”と最初は気が乗らないランディだったが、その肖像画がクリムトの名画で評価額が1億ドル相当であることを知り、一転して引受けることに。しかし二人が向かったウィーンの審問会では、申請は却下されてしまう。ホロコースト記念碑の前でランディの心が動く。ランディもユダヤ人で、曾祖父母も収容所で殺されたのだ。帰国したランディは、アメリカで返還訴訟を起こすことを決める。

●レヴュー
戦後70年たったいまでも、第二次世界大戦でのユダヤ人問題を扱った映画がどんどん作られている。苦難を味わった人々が高齢化して亡くなって行くことあるが、戦争を知らずに美化する世代が出てきたこと、相変わらず世界は平和にならないことなどもあるだろう。本作は名画をめぐる訴訟映画でもあるが、「権利を剥奪された人々が、名誉と尊厳を回復するために闘う」映画でもある。

本作は実話の映画化だ。2006年、当時の市場最高値(約160億円)となる落札価格で、クリムトの『アデーレの肖像』が競り落とされた。このニュースは世界に配信されたが、その絵はオーストリアのベルベデーレ美術館に収まっていたものだった。それをアデーレの姪のマリアが返還を求めて裁判を起こして勝訴した結果、競売にかけられたのだ。返還を求めた時、マリアはすでに82歳。彼女は、お金が目当てで裁判を起こしたのだろうか。

マリアの母と、絵に描かれたアデーレは姉妹だった。この姉妹はブロッホ家の兄弟とそれぞれ結婚し、大きな宮殿風のアパートで暮らしていたという裕福なユダヤ人だった。そのサロンにはクリムトはもちろん、作曲家のマーラーや作家のシュニッツラーも出入りしていたという。しかしオーストリアがドイツに併合されると、資産は没収され、両親を残してマリアたちはアメリカに亡命する。ナチスに没収された美術品は、戦後も所有者に戻ることがないものも多かった。所有者がすでに殺されていたりしたからだ。このクリムトの絵も、戦後はオーストリアのベルベデーレ美術館に収まっていた。もちろん、マリアもそのことを知っていた。しかしそれまでの法では、アメリカ人となった自分が相続権を主張する裁判が出来なかった。そしてマリア自身も「過去を忘れたい」という気持ちがあり、行動に起こすこともなかったのだ。

そんな彼女が決心したのは、「ナチスのユダヤ人迫害」が風化しつつある世相を危惧してのことだった。姉が死に、このまま自分が死んでしまったら、もう伝える人はいなくなるのではないか。そして叔母のアデーレの肖像が、単なる美術品としてしか鑑賞されなくなるのではないかという思いもあったのだろう。映画は現代と過去の回想シーンを行き来し、1枚の絵に込められたある一家の愛情を映し出す。“忘れてしまう”ことさえしなければ、亡くなった人々も、人の心の中で生き続けることが出きるのだと。

嫌な過去を忘れようとする風潮はどの国も同じだが、決してそれを忘れられない人もいる。もともと目的があって描かれたのが肖像画だ。たとえば自分に思い出深い亡くなった親族の絵が、自分を含め残された遺族に敬意を持たれずに、「国の宝」として飾られていたらどうだろう。その思いを知れば、マリアにとってこの絵が単なる“観賞用の名画”ではないことがわかるだろう。(★★★)

●関連情報
・ライアン・レイノルズ演じる弁護士のランディ・シェーンベルクの祖父で作曲家のアルノルト・シェーンベルクも、ウィーンに住んでいたユダヤ人。キリスト教徒だったが、ナチスの反ユダヤ政策に反対して、ユダヤ教に改宗。第二次世界大戦中に、アメリカに亡命した。無調音楽で有名だ。

・現在、この絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像1」は、ニューヨークのノイエ・ギャラリーに展示されている。
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by mahaera | 2015-11-25 00:21 | 映画のはなし | Comments(0)

新作映画レビュー『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』少女と犬の絆の物語から現代社会のメタファーへ

ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲
White God
2014年

監督:コーネル・ムンドルッツォ
出演:ジョーフィア・プショッタ、シャーンドル・ジョーテール
配給:シンカ
公開:11月21日より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷
公式HP:http://www.whitegod.net/http://www.whitegod.net/


●ストーリー
ヨーロッパのある国で、雑種犬に重税を課すという法律が施行された。その国の町で暮らす13歳の少女リリは、母親の長期出張の間、離婚した父親のもとに預けられる。父ダニエルは大学教授の仕事を辞めて、今は食肉工場で働いている身だった。そんなリリの心の拠りどころは、飼い犬の雑種犬ハーゲンしかいない。ある日リリは仕方なく、ハーゲンを所属しているオーケストラのリハーサルに連れて行き、トラブルを起こした。ダニエルはリリの反抗的な態度に怒り、ハーゲンを遠くへ置き去りにしてしまう。野良犬となったハーゲンは、やがて拾われた先で闘犬として訓練されていった。野性に目覚め、獰猛になって行くハーゲン。一方、リリはハーゲンを探して町をさまよっていた。そしてハーゲンは施設の犬たちを引き連れ、人間に対して反乱を起こす。

●レヴュー
町を疾走して行く、200匹近い犬たち。このオープニングから話は数ヶ月前に戻り、少女リリと飼い犬ハーゲンの物語にさかのぼる。主人公リリは、一緒に暮らしていた母親に恋人ができ、しばらく会っていない父親に預けられる。父親はかつて大学教授だったが、何か事件を起こしたのか、いまでは職人工場で働く身分だ。しかしプライドが強く、反抗的な娘に対して愛情を示すことができない。リリが心を許せるのは、愛犬ハーゲンだけだった。しかし、そんな孤独な少女と愛犬の感動物語と思って見ていたら、ハーゲンが捨てられるあたりから映画の雰囲気が変わって行く。

中盤は、路上に捨てられた犬のハーゲンが、闘犬として訓練(虐待に近い)されたり、捕獲されて収容所に連れて行かれたりする、ハーゲンのサバイバルドラマに変わる。ここで物語はリリからハーゲンの目線へと変わる。犬が虐待されるシーンは、犬好きには辛いだろう。犬同士を闘わせる闘犬も、ローマ時代のグラディエーターのように残酷なものだ。ハーゲンは人間への怒りを覚え、収容所の犬たちを率いて脱走する。町を駆け抜けていく犬たちの姿は、この映画最大の見せ場と言ってもいい。自由を得たものの解放感に満ちているからだ。しかしその後、少女との感動的な再会が待っている訳ではない。

その後の三幕目に当たる部分は、「ええ?」という意外な展開に向かって行く。安っぽいB級ホラーのようだ。ハーゲンを(犬たちを)いままで虐待していた人たちが、次々と犬に殺されて行く。いや、ひとりとかふたりならともかく、一幕目、二幕目に登場した人たち、ひとりひとりを再登場させて、ご丁寧に襲うシーンも。この演出がホラー映画の定番演出で、あきらかにやり過ぎ(笑)。怖いというより苦笑してしまう。何か違う映画を観ているようだ。

そして4幕目。はたして少女(人間)とハーゲン(犬)は和解できるのか。そしてリリの父親は、リリの信頼を取り戻すことができるのかというエンディングに向かって行く。そして映画はそれと同時に、寓話的色彩を帯びていく。このあたりになって私たちは気づいていく。この犬たちは、実は移民や格差社会のメタファーであることを。犬たちの収容所は、難民収容所やナチスの強制収容所をどうしてもイメージしてしまう。雑種は生きる価値がないというのか? 愛情がなくなったら捨ててしまうことは? 人間の楽しみのために、血を求めていいのか? 飼い犬にとって人間は神や親のような存在かもしれないが、それを勝手に見捨てることは? マイノリティを蜂起させるほど、追いつめることは? そんな問いかけが、観客に次々と投げかけられるだろう。とくに難民問題で揺れる欧州では、この作品を見て他人事とは思う人はいないだろう。

“3幕目”のB級ホラー(定番過ぎて怖くない)シーンが個人的には減点だが、それでも最後には映画は力強さを取り戻す。今年見るべき映画であることは確かだろう。
★★★☆

●関連情報
カンヌ国際映画祭で、「ある視点」部門グランプリとパルム・ドッグ賞を受賞。

旅行人のWEBサイト「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました
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by mahaera | 2015-11-23 13:00 | 映画のはなし | Comments(0)

息子に世界史を教えていて思うこと 1 中世、五賢帝、宋

息子に世界史を教えていて感じた雑感です。

■11月4日

 昨日教えた世界史は11〜13世紀ぐらいの中世ヨーロッパだが、僕が習った1970年代と違って、今では「中世はかつて言われたように暗黒時代ではなかった」に変わってきている。とくに12世紀は「12世紀ルネサンス」という言葉も教科書に載るようになり、本格ルネサンスの前段階だったらしい。
 
 しかし、ヨーロッパ史はこれからって感じなのだが、中国ではこの頃もう明の時代で、後半感がある。そう思うと、中国は昔から中央集権とか貨幣の統一とかできてたし、唐の時代にはもう完成していたって感じか。議会制は中国内ではとうとう現れなかったが、世界的に見ると、西洋の影響なしに議会政治や共和制を発足し、長年保った国ってほとんどない。ヨーロッパ中世は、マグナカルタや金印勅書やら、議会政治の前段階ってところか。これから封建諸侯が没落して、国王の力が強くなるが、今度は戦争の費用を国王が払わなくてはならなくなるので、税金があがり、それを納得させるために貴族や平民〈の金持ち〉の意向を聞くための議会ができていったんだろう。


■11月6日

 息子と二人の夏の旅で、久しぶりにローマ遺跡関係に行ったので、これまた久しぶりに塩野七生の「ローマ人の物語」シリーズを読んでいる。昔は確か、五賢帝時代まででストップしていたので、今回は最後まで読みたいものだ。今は順不動で、行きつ戻りつ興味のある(原稿書きに必要な)ところから読んでいる。
 しかし一冊一冊がボリュームあるので、寝る前に1時間ずつぐらい(毎日じゃないが)だと、一冊2週間ぐらいかかるな。たとえばこの巻は500ページあるので、1日50ページでも10日だ。この本を自分で書くとしたらどのくらい大変だろうと思うと、ページ約1000字あるので、500ページで528000字。実際は文字のないスペースもあるので×0.9としても47万5000字。僕が何も調べることなく書いたとしても、調子よくて120日。歴史本だから、調査に同じくらい時間かかる。それに原稿を書くのと同じくらい、校正に時間がかかるから、1年に1冊だね。しかしよっぽどの熱意がなければ、できない仕事だなあ。このシリーズは、あくまで人物(皇帝)中心なので、他の歴史書を読まないとローマの全体はわからないが、それだと面白みが半減して読者は減るかもしれない。しかしこれを最後まで読了した人は、どのくらいいるのかな(笑)


■11月8日

 先日、世界史は「宋」を教えたが、中国史の中でも地味な王朝だなと思っていた。この「宋」という国、しかし調べると、なかなか考えさせられるところがある。それまでの中国の歴代王朝は、「自分たち以外は野蛮人」という態度で周辺諸国に接していた。しかし強い国を維持するには、強い軍隊が必要で、軍事費がかかるだけでなく、将軍などの反乱で王朝が滅びる繰り返し。皇帝が送った軍が、敵に行かないでUターンして皇帝を倒すこともよくあった。そこで、宋の皇帝は自分もそんなことをしていたので、軍のトップは文人にして、シビリアンコントロール制にした。まあ、軍があまり強くなって反乱を起こさないように工夫したのだが、今度は外敵になめられちゃうわけね。そこで、政治も主戦派と和平派が争うようになる。結局、和平派が主戦派を粛正してしまうのだが、毎年北方の王朝に多額の貢ぎ物を送らねばならなくなった。つまり、平和をお金で買ったわけ。

 このお金で買った平和は100年ぐらい続き、その間、宋は経済的には過去の中国王朝よりも格段とステップアップする。ただし、自分たちは周辺の異民族に囲まれて圧迫を受けているから、かつての唐のように、自分たちが一番じゃないと知っている。唐は余裕あったから、珍しい外国文化が大好きで流行ったが、宋のときは純漢人文化が全盛になる。弱い時ほど、自分たちのすごさを自分たちで誉め称え上げないと、誰も褒めてくれないのだ。芸術も、派手なものより渋いものが流行る。白磁とか、唐三彩に比べるとミニマリズムというか、庶民にはわかりにくい。

 教訓はないよ。平和をお金で買うのはまちがいとかも言わないし、結局はそのあと軍が弱いので、外敵に宋はやられるが、それまでは、今までにない大繁栄していた(100年も戦争がなければね)からね。ちなみに和平派の大臣は、今では「国賊」呼ばわりで、殺された「主戦派」の大臣は、神様として祀られている岳飛。ただ、主戦派にしたがって戦争していても、負けただけだろうけど。

 あと、面白いのは、文化的には宋のほうが上だから、北の異民族の遼や金が走に敵対しながらも、次第に中国文化に染まったりして弱くなっちゃうんだよね。最初は敵対しているから、軍備費増強するんだけど、経済力ないから軍費調達に困って、重税に走り内乱を招く。それに遼や金の皇帝といったトップは、宋の文化や風俗まねているうちに、宋が好きになって「攻めるの止めようよ」ってなっていく。軍事的には負けてるけれど、文化と経済は圧倒しているから、結果的には宋のほうが王朝としては長生きした。

 ちなみに「中国人の数が多い」というのは今に始ったことではなく、この全盛期の宋の人口は1億人ちょっとと概算されている。この時代の世界人口は、3〜4億人。ただし宋が始ったころは人口3000〜4000万人で、世界人口は2.5億人。この時代に中国が、人口も経済もグンと伸びたのがわかる。当時の日本の人口は600万人ぐらい。
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by mahaera | 2015-11-13 13:12 | 日常のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『美術館を手玉にとった男』 全米の美術館に贋作を寄贈し続けた男を追うドキュメンタリー

美術館を手玉にとった男
Art and Craft

2014年/アメリカ

監督:サム・カルマン、ジェニファー・グラウスマン
出演:マーク・ランディス、マシュー・レイニンガー
配給:トレノバ
上映時間:89分
公開:11月21日よりユーロスペースほか
公式HP:www.man-and-museum.com


●レヴュー

 ニュースを聞いて「まさか、何で気づかなかったの?」という事件が、時々起こることがある。この映画は、2011年にアメリカで発覚した「贋作寄贈事件」の作者を追うドキュメンタリーだが、それと同時に“気づかない側”の世界もあぶり出す。

 2011年、美術館職員のレイニンガーは寄贈された作品が贋作であることに気づく。彼はその寄贈者の名前を全米各地の美術館を送って独自調査をすると、その数は何と全米20州の46の美術館、点数で言えば100点以上に及んだ。レイニンガーが問い合わせをするまでは、どの美術館も“本物”だと信じて疑わなかったのだ。それらの作品は、ミシシッピ州に住むマーク・ランディスが“慈善活動”で寄贈していたものだった。それも特定の作家ではなく、15世紀のイコンからピカソ、ローランサン、エゴン・シーレ、マグリット、シュルツ(スヌーピーなどで知られる)などのマンガ作家、リンカーンやジェファーソンの文書にいたるまでさまざま。しかしすべて“寄付”なので、犯罪に問うことはできないという。

映画のタイトル「美術館を手玉にとった男」からは、私たちはやり手の贋作家をイメージするだろう。贋作で儲けて優雅な暮らしをしている犯罪者、画家として認められない恨みで世間に復讐する男…。ところが画面に登場するランディスは、どちらでもない。風貌はちょっとコワい感じもしなくはないが、出てくる声はか細く、柔和な態度。社会の片隅でひっそり暮らす、目立たない男だ。そして何よりも、自分では悪いことをしているという自覚がない。もともと青年期に統合失調症や行動障害と診断され、病院に入ったりしており、社会からの疎外感を抱いて暮らしていたようだ。そんな彼にとっての“生き甲斐”が、贋作の寄付になった。「30年前」という最初の動機はわからないが、その時自分が模写した作品の出来が良くて、寄贈したら喜ばれた。やがて、それが自分の“使命”と思うようになり、技術に磨きをかけて行ったのではないだろうか。それまで世間に必要とされることがないと思って生きて人間が、初めて認められた喜び。地道な作業を集中して丹念に仕上げるのは得意なようで、これこそ自分の“天職”だと思ってしまったのかもしれない。素の自分では人付き合いが苦手でも、慈善活動家や神父に成り済ませば、相手を信じ込ませることもできるのだ。

気になったのは、彼はどこでそんな技術を身につけたのかだが、“独学”だという。幼い頃からひとりで家で留守番をしていることが多く、そんな時に模写を始めたらしい。そして、贋作には特殊な年代物の塗料や埃とか、そんなものが必要だと思っていた僕に驚きだったのが、彼が大型画材店でふつうに売っている画材で贋作を描いていること。これって誰も気づかないのかなあ…。あと、ランディスの贋作に初めて気づいた男レイニンガー。美術館で働くレイニンガーは、ランディスの贋作の追求に熱を入れ過ぎ、通常業務がおろそかになったと言うことで、美術館をクビになってしまう。カメラは無職となり、家で子供の面倒を見ているレイニンガーを映し出す。彼は自分で何かに夢中になったら、とことんそれをやらないと気がすまない性分だと言う。たぶん平凡な人生を送ってきた彼は、「贋作事件の発見者」ということがなければ、新聞やテレビに取り上げられることもなかったに違いない。そこで彼も「これが自分の使命」と思い込んでしまったのではないか。映画の後半で、ランディスとレイニンガーの対面が実現するが、劇映画のように盛り上がらないその気まずさは、ドキュメンタリーならではだ。
(★★★)

●関連情報

劇映画には“贋作もの”というジャンルがあるほど、名画とその贋作は映画で取り上げやすい題材だ。「モネ・ゲーム」「おしゃれ泥棒」「トスカーナの贋作」「鑑定士と顔のない依頼人」「ミケランジェロの暗号」などなど。

※この原稿は、旅行人のウエブサイト「旅シネ」に寄稿したものを転載しました
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by mahaera | 2015-11-10 01:02 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『放浪の画家 ピロスマニ』グルジアの国民的画家を描いた名作がリバイバル!

放浪の画家 ピロスマニ
Pirosmani
1969年

監督:ギオルギ・シェンゲラヤ
出演:アヴタンディル・ヴァラジ、ダヴィト・アバシゼ
配給:パイオニア映画シネマデスク
上映時間:87分
公開:11月21日より岩波ホールにて

●ストーリー
20世紀初頭の、ロシア帝政下のジョージア(グルジア)の首都チフリス(現トビリシ)近郊で、幼い頃に両親を亡くしたビロスマニは、知り合いの一家に育てられて成長した。しかし一家の娘に恋文を送ったことから、その家を出ざるをえなくなる。やがて友人と商店を開くが、彼には商売は向いていなかった。また、故郷の姉夫婦が縁談をまとめようとするが、結婚式の最中にそれが金目当てだと知ったピロスマニは、式を抜け出す。まもなくピロスマニはその日の糧と引き換えに絵を描きながら、チフリスの町を転々とする日々を送るようになる。そんな彼の絵が、ふとしたことからこの地を訪れた芸術家たちの目にとまるのだが…。

●レヴュー
最初に。最近国名が「ジョージア」に変わったが、どうもその名に今だにしっくりこないので、昔風に「グルジア」と書かせていただきます。もっとも「グルジア」というのもロシア語による他称で、自称は「サカルトヴェロ」。いっそ、こっちにしてくれたほうがよかったかも。

さて、10年ほど前にグルジアに行った時、首都トビリシの国立美術館に行った。お目当てはピロスマニの絵だ。ピロスマニの名を知ったのは、私が高校生の時。1978年、本作が劇場公開され「まるでギャグのような名前の人だなあ」と思ったのと。友人の父親(画家)が観に行ったということが記憶に残っている。ちなみにその年のキネマ旬報外国映画ベストテンでは第4位の高評価(1位は『家族の肖像』だが、今もみんなに観られているのは同点4位の『未知との遭遇』、9位の『スター・ウォーズ』だろう)。しかし78年当時はピロスマニに興味がなかった私は(まあそんなにシブい高校生はいない)、本作を観ることがなかった。のちにビデオやDVDも発売されたが、ふつうのレンタルビデオ屋に置かれるはずもなく、未見のまま現在に至ったのだ。

ビロスマニの絵は、何か人を惹き付けるものがある。それが、西欧の絵画運動とはまったく無縁に存在したのが、最初は意外だった。自分があちこち旅行するようになって、世の中には学校で習う「作家の芸術性を現すアートとしての絵画」以外の絵のほうが多いという当たり前のことを知った後は納得がいった。「素朴画」とジャンル分けもされようが、教会のイコン(聖画)だって、地元の無名の画家が描いたものは、恐ろしくヘタなものもある(それが味なのだが)。何年か前にスペインの教会で素人に修復されたキリストの絵が、“猿”のようになってしまったことも思い出される。ピロスマニの絵は、背景はあっさりし、人間(や動物)はマンガチックで、一度見たら強い印象を残す。というのも、もともと絵の目的は「看板」だったからだ。識字率が低い時代、商店が何の店であるかは絵やシンボルで現すのがふつうだった。最初はシンプルな記号のようなものだった絵も、この頃には裕福な商人が画家に発注するようになったのだろう。

映画は、そのピロスマニの絵画の魅力を伝えることを強く意識している。絵画そのものを見せるだけでなく、画面構成をピロスマニの絵のようにしているのだ。今では珍しいスタンダードサイズの画面が、映画自体を額縁に入ったピロスマニの絵のように見せている。草原の中にぽつりと建つピロスマニの商店も現実にはあり得ない場所だが、それは背景を省略したピロスマニの絵のようでもあり、孤独であるピロスマニの姿のようでもある。手前に川が流れ、その向こうの高い川岸に多くの人物がいるシーンも好きだ。

映画が日本で公開されたのは1978年なのだが、製作は1969年とほぼ半世紀前ということもあり、全体的にゆったりとしたペース。ハリウッド映画しか見ていない人には、「たるい」と感じるかもしれないが、それもこの映画の魅力。上映時間が87分と短いので、躊躇している人も見てみよう。グルジアの大地に生きた放浪の画家に会いに行って欲しい。なお、1978年の公開時にはロシア語版だったが、今回は原語のグルジア語版だ。
(★★★★)


●関連情報
1980年代にヒットしたロシア語歌謡曲「百万本のバラ」(日本語は加藤登紀子が有名)。その歌詞がこのピロスマニをモデルにしたものだったといわれている。フランスから来た女優マルガリータに恋をしたピロスマニが、彼女の泊まるホテル前の広場にバラを敷き詰めたという歌詞。この映画を見れば、ピロスマニにそんなお金はなかったことがわかるだろう。

「1978年文部省特選」になっている。
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by mahaera | 2015-11-05 23:20 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『エベレスト3D』実際に起きた遭難事件を映画化。映像は迫力あり。

エベレスト3D
Everest
2014年/アメリカ

監督:バルタザール・コルマウクル(『ハードラッシュ』『2ガンズ』)
出演:ジェイソン・クラーク(『ターミネーター:新起動/ジェニシス』)、ジョシュ・ブローリン(『ノーカントリー』)、ジェイク・ギレンホール(『ブロークバック・マウンテン』)、サム・ワーシントン(『アバター』)、キーラ・ナイトレイ(『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ)、エミリー・ワトソン(『奇跡の海』)
配給:東宝東和
公開:11月6日より全国


●ストーリー
1996年の春、エベレスト登頂を目指し、登山会社を経営するロブ・ホールが8人の顧客を引き連れてやってきた。ベースキャンプには同じく、顧客を連れて登頂を目指すスコットのグループもいた。同じ日に登頂を目指すグループでの混雑が予想されることから、ロブとスコットは合同で山頂を目指すことにする。しかしトラブルが重なり、登頂時間が次第に遅れて行く。ロブは顧客のダグと共に山頂付近に取り残され、先に下山して行ったメンバーも途中で強烈なブリザードに襲われ、立ち往生してしまう。

●レヴュー

このエベレスト登山史上に残る大量遭難事件は、遭難者の中に日本人女性登山家がいたため、日本でもかなり大きく報道されたらしい。しかし僕自身はその当時長い海外旅行の途中で、この映画を見るまでそのことを知らなかった。なので結末がわからず、最後まで誰が生き残るかハラハラしながら見ることができた。遭難の経過についてはWikiなどに詳しいので、興味のある方はそちらを見てみるといいだろう。また、クラカワー、ベック・ウェザース、アナトリら遭難の当事者たちがその後に本を出版しているので、機会があればそれらの本を読んでみると面白いかもしれない。この遭難事件の関連本や映画は、別項にまとめたので、下の「関連情報」のリンクを参照のこと。

さて、誰もが知っているだろうが、この地球で最も高い地点、それがエベレストの山頂だ。その上に立つことを夢見て、多くの人々がこの山に挑んでいる。エベレストは比較的登りやすいと言われているが、それでも180人以上の人々の命を飲み込んでいる山なのだ。いくら万全を期しても、山の天候は誰にもわからない。人間は自分たちのスケジュールで山に登らざるを得ないが、自然はそんなことにおかまいなしである。映画の前半、天気のいい時は冒険ものに見えるエベレストの自然も、後半になるとただ、ただ、耐えるのみの辛いサバイバルものになる。もう人を助けるどころか、自分が生き残るのが精一杯だ。

映画を観ていて難しいなと思ったのは、「なるべく誰かを悪者にしない」ように描こうとしていること。リーダーの判断ミス、顧客のわがままや経験不足、などなど誰かの責任を追求しようとすると、必ず誰かが傷つく。現に生還者のクラカワーは優秀なジャーナリストだけに真偽はともかく筆力があるので、彼の書いた本は何人かの遺族を傷つけたという。そのためか映画では、誰かのミスでこうなったというより、そもそもエベレスト山頂は危険な場所なのだというスタンスをとっている。

そんな“気配り”があったせいか、本作の映像は見応えがあるが、各キャラクターの性格付けが弱く、それぞれに感情移入しにくくなっていることが残念。しかし映像は迫力あるので、その点は○。監督は『ハードラッシュ』など、手堅いがいまひとつピリリとこない作品が多いアイスランド出身の監督バルタザール・コルマウクル。寒さに強そうなのが買われたか(笑)(★★★)

●関連情報
・映画『エベレスト3D』に描かれた1996年の大量遭難。映画や書籍でこの事件を知るには以下のまとめがおすすめ。
http://gathery.recruit-lifestyle.co.jp/article/1144610539587607801
・この遭難から生還したジャーナリストのクラカワーが、この事件をノンフィクション作品として書いたのが『空へ』。クラカワー作品では『荒野へ』が、『イントゥ・ザ・ワイルド』として映画化されている。
・筆者の山岳映画まとめも、ご覧ください。
これだけは見たい! エベレスト、K2…、ヒマラヤ登山を追体験する、山岳映画12選
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by mahaera | 2015-11-02 21:28 | 映画のはなし | Comments(0)

映画レビュー『裁かれるは善人のみ』巨大な力の前で翻弄される“善人の苦難”の物語

裁かれるは善人のみ
Leviathan

2014年/ロシア
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
出演:アレクセイ・セレブリャコフ、エレナ・リャドワ、ウラディミール・ヴドヴィチェンコフ
配給:ビターズエンド
公開:10月31日
劇場情報:新宿武蔵野館ほか
http://www.bitters.co.jp/zennin/


●ストーリー
ロシア北部の港町。自動車修理工のコーリャは、若い妻リリア、亡き妻との間の息子ロマと共に一軒家に住んでいる。強欲な市長ヴァディムは権力にものを言わせ、コーリャの土地を無理矢理に買収しようとしていた。コーリャは友人の弁護士ディーマをモスクワから呼んで対抗しようとする。しかしやがて、物事は玉突き状態のように、悪いほうへと転げ落ちて行く。

●レヴュー
何気ないファーストシーンから、この映画はきっと“いい映画”に違いないという予感がした。そして実際、その通りだった。今年のベストテン級の作品であることはまちがない。まず、物語の舞台となるロシア北部の港町のロケーションがいい。田舎町の片隅にある荒涼とした風景。しかしそんな土地にもしがみついて生きている人がいる。そしてさらに、それを取り上げようとしているものもいる。

全体的には力強いタッチで描かれる悲劇だが、それをぐっと引いた視点で物語は描かれている。といってもドキュメンタリータッチではない。コミカルなトーンのシーンもあるし、また主人公以外の登場人物にも、同等にキャラクターがよく描かれ、“群像劇”といってもいい物語特有のタッチなのだ。しかしそこに、どこか醒めた視点がある。それは大自然が常に画面に描かれているからだろうか。たとえばコーリャの一家が住む家には窓が多く、家の中のシーンでも常に外の風景が映り込んでいるといった具合だ。

主人公のコーリャは、どちらかといえば世渡りがヘタな無骨な男とでもいおうか。男気があり、まがったことはきらいだが、やや融通に欠け、面倒くさい所もある。しかしそんな男だから、友人はいるし、妻も欠点を認めながらも彼を愛している。一方、彼と対立する市長は、権力がある割には小心で、コーリャを内心怖れている部分もある。自分のしていることが悪いという自覚もあるが、結局は悪事に手を染める。その間で翻弄されるのが、妻リリア、そして息子のロマ、弁護士のディーマだ。彼らはコーリャほど意地を張らない、どちらかと言えば私たちに近いふつうの人たちだ。彼らは、自然や社会にあがなうことより、自分の身近な悩みを解決したいのだ。

映画で驚くのは、教会(ロシア正教会)と権力の結託と腐敗だ。市長も自分の悪事には気がとがめる部分があり、司祭に相談するが、司祭はそれを知って聞こうとしない。悪事だと知っているからこそ、あえて「聞かないこと」にしようとする。その悪事が、教会と関係しているからだ。教会は“きれいなまま”誰かの犠牲の上に神の家を建て、神はその上で罪人を祝福する。いや、そもそも神はこの土地にはいないのだ。

映画の原題は「リヴァイアサン」。聖書に出てくる最強の怪物(レヴィヤタン)であり、ホッブスが「国家」をたとえたもの。そしてその怪物は、映画の中で理不尽な仕打ちを呪う主人公に神父が話をする「ヨブ記」の中にも出てくる。ヨブ記では、敬虔な信者で善人の主人公ヨブが、次々理不尽な苦難を受け、神に試される。要するに、世の中は因果応報で動いているのではない。神の考えることは誰にもわからない。だから不幸も神が決めたことで、受け入れろということだ。しかし主人公コーリャは納得できないし、神を信じられない。「ヨブ記」では、神が関心があるのは神を信じるもののみであり、悪人は興味がないともとれる。

浜辺に打ち上げられたクジラの白骨。そして妻リリアが目にする海の怪物…。人は自分の力で対抗できない、大きな力に立ち向かっては行けないのか。そして、ただ破れるのみなのか。わかりやすいエンディングではないが、非常な現実を私たちに見せてくれるインパクトは強い。ロシアもこういった映画が作られるようになってきたのも驚きだ。(★★★★)

●関連情報
第72回ゴールデングローブ賞外国語映画賞、第87回アカデミー外国語映画賞ノミネート、
第67回カンヌ国際映画祭脚本賞、など、世界の映画賞を受賞

旅行人のwebサイト「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました
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by mahaera | 2015-11-01 11:08 | 映画のはなし | Comments(0)