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オセアニアの農耕
意外かもしれないが、西アジアに次いで農耕が始まったのは、
前9000〜7000年のニューギニアだ。
この地にはイネ科の穀類はなかったので、
栽培されたのはバナナとタロイモだった。
「クックの初期農業遺跡」では、
栽培のために掘った穴の跡や石器が発見されている。
このように早くから農耕が始まったニューギニアだが、
なぜか他の地域のような文明の発展はしなかった。
前2000年頃にイヌ、ブタやニワトリがアジアから伝わり、
家畜を飼うようになったが、数千年後の20世紀に至るまで
国家もなく、人口も増えず、彼らの生活は新石器時代のままだった。
世界に6000あるという言語のうち、1000がニューギニアにある
というほど、小集団のまま孤立していたからだ。
隣のオーストラリアでは、アボリジニが暮らしていたが、
お隣のニューギニアと海によって隔てられていたとはいえ、
結局、ヨーロッパ人が来るまで農耕や牧畜を行うことはなかった。
栽培可能な植物や家畜化可能な動物が、
いなかったのが原因という。
農耕に重要なイネ科の植物もほとんど野生種がなかった。
ウナギの養殖を試みた跡はあるという。
あと数千年あれば、カンガルーやウォンバットを家畜化して、
より肉が取れる個体にすることができたのかもしれないが、
ブタやヤギ、ウシに比べると、容易ではなかったろう。
東アジアの農耕
中国はどうだろう。今も中国の農耕の始まりは、
西アジアから伝わったものか、それとも独自に発展したかははっきりしない。
しかし、少なくとも前8000年には
長江流域で米が栽培されていたことは確かなようだ。
1990年代までは稲作の起源は「雲南省からアッサム地方」にかけてとされていたが、2010年代以降の教科書では長江が発祥と変更されている。
これは長江流域の発掘が進み、かつての黄河文明よりも古い遺跡が発掘されるなど新発見が続いているためだ。今後この地方を中心に新説が生まれる可能性がある。
前6500年には北部で雑穀の栽培が始まり、
前6000年にはイネの栽培は黄河流域に、
そしてさらに日本に伝わった形跡もある。
このころにはイネは改良されて栽培品種化し、
ジャポニカ米とインディカ米に分化していたことがわかっている。
またブタの家畜化もこのころに行われている。
しかし日本では農耕はまだ数千年も、受け入れられなかった。
その理由としては、当時の縄文人の主食は木の実だったからという。
今の私たちの感覚からすると、木の実が主食で生きていけるのかという感じだが、氷期が終わった後の日本は照葉樹林で覆われていた。
現在の杉などの針葉樹林が山を覆うイメージは、
のちの植林によるものだ。
クルミ、クリ、トチノミ、ドングリなどの木の実が主食で(縄文人の食料の全体の約50%)、ドングリはアクを抜いて粉状にしておかゆや団子にして食べていたらしい。
芋類を入れると、縄文人の食料の全体の2/3は植物で賄っており、安定して採取できたので農耕をする必要がなかったようだ。(続く)
南北アメリカでの農耕の始まり(前8000年)
旧大陸だと、もしかしたら西アジアの農耕が各地に伝播した
と考えられなくなもないが、新大陸だと「独自に」と
言い切っていいだろう。行き来はなかったからだ。
そう思うと、この時期、世界各地で人類が一斉に農耕と牧畜を
始めたという説のほうが、説得力があるような気がする。
北米では前8000年頃には、メキシコのオアハカでカボチャやヒョウタンが栽培されていており、これはアメリカ大陸最古の栽培例として知られている。
アメリカで最初に栽培された植物は、トウモロコシではなくカボチャだったというのはちょっと意外だ。
ペルーでも同じ頃にカボチャを栽培していたという遺跡が発見されている。
トウモロコシの原種はまだまだ小さく、
その粒はまだ稲とそう変わらない大きさだった。
動物の家畜化は旧大陸に比べると遅れ、
ペルーで前5000年にテンジクネズミ(クイ)、
前3500年にリャマ、前1500年にアルパカが
ようやく家畜化された。
新大陸が旧大陸に比べて農耕や牧畜にハンディがあったのは、
野生の穀類などがなく、こともある。
アジアから伝わった野生のウマは、
家畜化される以前の前1万3000年前に絶滅していた。
テンジクネズミ、あるいはモルモットとして知られている。
現在でも食用として飼われており、ペルーでは立派な地方料理だ。
最終氷期の終了、地球は間氷期に
約2万年前、最終氷期のピークが去ると、
以降は徐々に世界の温暖化が進み、海面が上昇していく。
これは約1万2700年前まで続いた。
もしかしたら人類の多くの集落が当時の海辺や河口にあったのかもしれないが、最大で海面が120mも上がったので今は海の底だ。
今後も発掘の見込みは薄いだろう。
魚を捕り、貝を食べて海辺で暮らしていた人もいて、
人類はそこからどんどん内陸に移動していったのかもしれない。
氷期が終わると、ヨーロッパやシベリア、北米を覆っていた氷河は後退していき、最初は湿地、やがて大草原が生まれる。
太陽エネルギーが地球をみたし、多くの植物が繁茂し、それを食べる動物も増え、獲物を求めて移動しなくてもいいほど、食糧が豊富になったのかもしれない。
高緯度地方では、この間(と言っても数千年)に平均気温は10度以上がった。
大方哺乳類は絶滅するか、北の寒い地方へと遠ざかり、
その代わりに草を食べる小型哺乳類が増えていた。
ちなみに最後のマンモスが死んだのは割と最近で、
前1700年のシベリアのウランゲリ島だ。
狩猟の対象が小型動物になると、狩猟の方法も変わった。
数は多いが逃げるのも早いので、罠や網を仕掛けるようになる。
そして一人でも倒せるので、集団で狩猟をする必要もなくなってくる。
大型動物を求めて移動するスタイルから、定住して出かけ、小型動物を捉えたり、植物を採取したりするスタイルに生活が変わっていったのだろう。
気候は暖かいので、人々は洞窟から出て外に住むようになった。
日本の縄文人は狩猟採集民だが、基本的には竪穴式住居を作って住んでいる。
農耕以前、穀物の採取時代があった
このころの人類の食糧には、動物以外にも木の実や果物、
野生の穀類や豆類、根菜といった植物も含まれていた。
気温は現在の地球とあまり変わらない(時にはそれ以上)ほどにまで上がり、食べられる植物には事欠かなかったのかもしれない。
穀類は、現在の品種改良されたイネやムギと違い、野生種はタネが実ると自然にぽとぽとと地面に実を落としていた(そうでないと育たない)。
人類はそれを拾い集め、あるいはカゴなどを用意して揺すって実を集め、そのままでは食べられないので、煮て粥状にして食べていたようだ。
「自然は人類に不公平だ」と言ったのは、
「銃・病原菌・鉄」の著者ジャレド・ダイアモンドだったか。
農耕が始まる環境は、地域によって差があったのは言うまでもない。
しかし豊かな地域はもちろん、そうでもない地域にも人類は進出していく。
最終氷期が終わった後の1〜2万年前の西アジアでは、ラッキーなことに野生の大麦やライ麦、小麦などの穀類などが豊富に生えていた。
基本的には野生植物は1年生だから、移動する採集民でも実りが多い時期にはまたそこに戻ってこなくてはならない。
ただし時期がズレたら収穫はできなくる(早ければ実っていないし、遅ければ地面に落ち、鳥などに食べられてしまう)。
最初は群生地のそばに定住して通っていたのか、
あるいはそれも面倒になり、定住地の近くにタネを蒔いたのかもしれない。
男どもが狩りに出かけている間に、女性が家のそばに余った種を蒔いたのが農耕の最初だったのかもしれない。
ともあれ、どこかの時点で人類は植物の栽培を覚えた。
今の所、人類最古の農耕の跡といわれているのが、前1万3000年のシリアにある「アブ・フレイラ遺跡」だ。
これは100人から200人ぐらいの集落で、
人々は野生動物(ガゼルやウサギ、ヒツジなど)の狩猟をしていたほか、そこで発見されたライ麦などの穀類の中に、すでに栽培種があったことがわかっている。
再び寒冷化へ ヤンガードリアス期
おおむね2万年から地球は暖かくなってきたが、
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