「ほっ」と。キャンペーン
ブログトップ

旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

子供に教えている世界史〜 「大躍進」の失敗と中ソ対立(1958〜1963年)

戦後成立した中華人民共和国は、
1956年に「百花斉放・百家争鳴」を提唱し、
知識人に国家を批判してもらい国づくりに役立てようとするが、批判の量が半端じゃなく(笑)、
毛沢東が逆ギレして知識人の弾圧を始める(反右派闘争)。
そして1958年には、第二次五カ年計画が始まる。
自称「大躍進」(笑)。
農業の集団化、そして工業生産の増産を進め、数年で米英を追い超すというのが目標だが、これは大失敗する。
市場原理を無視して、ただひたすら増産のノルマを課したため、人々は水増し報告をしたからだ。

経済というものは、売り手と買い手がいて成り立つ。
当時の共産党の指導者たちはそれを知らずに、
とにかくたくさん物を作れば国が富むと考えていた。
特に力を入れたのは製鉄の分野。
原料の鉄鉱石不足のため、農具などを溶かしクズ鉄を作り、そこから製鉄をさせようとした。
農民が手作業で作った鉄は使い物にならず、精算された1000万トンのうちの6割が使い物にならなかった。
つまり冷静に考えると、製品を分解してゴミを作ることに、多大な労力を使っているようなものだった。
製鉄に使う木炭の調達のため、中国全土で伐採が進み、
水害をもたらした。
また、「ハエ、カ、ネズミ、スズメ」の「四害」の駆除を奨励したが、スズメの駆除はイナゴやウンカなどの害虫を増やすこととなり、生態系のバランスを崩し、のちに大量のスズメをソ連から輸入することになった。
人間、知識は必要だ。

この間、中国指導部とソ連の対立が、
表面化していくことになる。
「平和共存路線」を目指し、アメリカ訪問をしたフルシチョフは、毛沢東には裏切り者に思えた。
「いまさら、アメリカなどの帝国主義者と平和なんてしゃらくさい」ということだ。
1957年に毛沢東はモスクワで
「戦争が起こったら、世界の人口の半分はなくなってもいいが、共産主義は資本主義に打ち勝つだろう」とスピーチし、会場をドン引きさせた。
そんな人間だから、自国民がいくら死のうと気にはかけなかったのだろう。

1955年のバンドン会議の、
あの「平和十原則」の雰囲気は早くも消えかかっていた。
毛沢東は「戦争は不可避である」とし、
次々にミサイル実験を行った。
中国の軍備強化に不安を抱いたソ連は、
1960年に中国から技術者を引き上げる。
もし、中国が戦争を始めてしまったら、
ソ連も世界戦争に引き込まれてしまうからだ。
1961年には、共産党大会でアルバニアを批判したソ連に対して中国が擁護し、ソ連を批判して代表団は途中で帰国してしまう。

また中国とインドの関係も冷え込んでいた。
きっかけは1959年のチベット動乱だ。
数万人の死者が出たラサ蜂起があり、
ダライ・ラマ14世はインドへ亡命する。
この事件でチベットにおける中国軍による虐殺と圧政が始まり、100万人余りが亡くなったといわれる。
その後、1962年のキューバ危機の最中に中国とインドの間に双方合計で戦死者2000名という大きな中印国境紛争が起き、両国の間の関係は冷え込んでいく。
ちなみにこの時、ソ連はインドのほうに武器援助を行った。

国内では大躍進とともに3年連続の飢饉が起きていた。
大躍進の失敗の死者は2000万人以上。
1959年、毛沢東は失敗を認め、国家主席を辞任。
代わりに主席になったのは劉少奇だ。
彼は故郷を視察した時にその疲弊ぶりに衝撃を受けたという。
1962年の大会で劉少奇は
「今回の大災害は天災が三分、人災が七分」
と政策の失敗を認めた。
劉少奇を支えたのは、市場経済を取り入れた鄧小平だった。
「調整政策」では、集団化もほどほどにして、農民一人一人がやる気を出すように、余剰生産物の自由販売を認める。
これはうまく成功して、徐々に国力は回復していった。

一方、中ソ対立は、このころには西側諸国にもわかるようになっていた。
米ソが“地獄を見た”1962年のキューバ危機の結果に対しても、中国はソ連を公然と「敗北主義」と批判。
毛沢東はフルシチョフを
「エセ共産主義者」と呼ぶようになる。

1964年10月、中国はゴビ砂漠で初の核実験に成功。
同月フルシチョフが失脚するも、ソ連との関係は改善せず、以降はほぼ断絶状態に。
以降、中ソ対立は近年まで続くことになる。
[PR]
# by mahaera | 2017-01-09 09:28 | 世界史 | Comments(0)

子供に教えている世界史・番外編 キューバ危機を扱った映画を見る 『13デイズ』 『グッド・シェパード』

ちょうど世界史でキューバ危機のところに来ていたので、2000年のアメリカ映画『13デイズ』を子供と見る。
キューバ危機の13日間を、
大統領特別補佐官のケネス・オドネル(ケビン・コスナー)から見て、大統領ジョン・F・ケネディと
司法長官のロバート・ケネディ、
国防長官のロバート・マクナマラらが、
どのようにこの問題に対処したかを描いている。
ケビン・コスナー以外は地味な配役で、あまりヒットはしなかったが、なかなかよくできた政治サスペンス映画だ。

映画なので事実とは異なる脚色もあるが、
このキューバ危機の外観を知るのにはいい作品だし、
また、『シン・ゴジラ』同様に、緊急時の政府の意思決定がどうやって行われるのかもわかり興味深い。
ケネディを美化しているかもしれないが、
国のトップにかかる重圧は映画を見ていて
相当なものだと思う。
ちょっとした判断ミスで、
数億人の命が消える核戦争が起きてしまうかもしれない。
閣僚だって家族がいる。
明日になったらその家族に会えなくなるかと思うと、
なんとかして核戦争だけは押しとどめたいはずだ。

ソ連との心理戦の中、ケネディ陣営も気づく。
相手もひょっとして我々と同じ気持ちを抱いているのではないかと。
フルシチョフだって、戦争はしたくない。
しかし国の体面や、軍部の突き上げにあって苦しんでいるのではないかと。

映画を見ていると、多少誇張はあるかもしれないが、
軍部の無責任な好戦マインドにはあきれる。
彼らにはメンツと勝つことだけが大事で、
そのためには何億人死のうとかまわない。
たとえば、アメリカ国民の9割が死んだとしても、
ソ連が全滅すれば「勝利」なのだ。
「やっちゃいましょう!」ってまるでヤンキーのようだ。
そしてケネディら閣僚を「弱腰!」と罵る。
たぶん、ソ連でもフルシチョフは軍人に同じことを
詰め寄られていたのだろうか。
勝つためなら喜んで自分の家族の命を差し出せる
参謀たちに任せていたら、世の中は滅ぶな。

そんな合衆国大統領の重圧に、トランプが耐えられるのか。
そんなことを考えてしまう作品だった。
子供は
「アメリカの大統領は大変だねえ。日本の首相は楽でいい」などとのんきことを言っていたが(笑)
きっと『シン・ゴジラ』を見てそう思ったのだろうか。

もう一本、『グッド・シェパード』はロバート・デ・ニーロが監督した2006年のアメリカ映画。
キューバ危機の一年前に起きたビッグス湾事件の指揮をとったCIAの諜報員がモデルの、CIAの内幕もの。
主人公を演じるのはマット・デイモン。
モデルとなったアングルトンは1
954年にCIAの防諜部長になり、数々の作戦を行った。
映画はフィクションだが、
登場する事件は実際にあったことを基にしたものだ。
165分の大作だが、これもヒットせず、
今ではちょっと忘れられた作品になっている。
CIAの非情さや歴史を知るにはいいし、
国家に忠実だが家庭を築くことには失敗した
中年男の孤独をうまく描いている佳作だ。
妻役にアンジェリーナ・ジョリー、息子役にいまや大スターとなったエディ・レッドメインのほか、俳優陣も豪華。
映画ではビッグス湾事件の情報漏れはひとつのソースからとなっているが、実際には多方面から漏れていたらしい。

年末、年始に「見る映画ないなあ」という人、
これを機に見てみては?
[PR]
# by mahaera | 2017-01-08 11:37 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー 『 アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場 』 ドローンによるテロリスト攻撃

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場
Eye in the Sky

2015年/イギリス

監督:ギャヴィン・フッド(『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』『ツォツィ』)
出演:ヘレン・ミレン(『クイーン』)、アーロン・ポール(『ブレイキング・バッド』)、アラン・リックマン(『ハリー・ポッター』シリーズ)

配給:ファントム・フィルム
公開:12月23日よりTOHOシネマズシャンテにて公開中
公式HP:eyesky.jp/


●ストーリー

アフリカのナイロビの上空6000メートルを飛ぶ、一機の無人ドローンがある映像を捉えた。それは国際的なテロリストが、一軒の家に集結する姿だった。彼らを追うイギリス軍諜報部のキャサリン大佐は、上官のベンソン中将と協力して逮捕を目指すが、監視カメラの映像は大規模な自爆テロの準備を映し出した。逮捕による隊員の損害や逃亡を防ぐため、作戦はドローン攻撃による殺害に変更。その命令によりラスベガス郊外の空軍基地では、ミサイルの発射準備に入る。しかし、カメラはドローンの殺傷圏内にいる、幼いパン売りの少女を映し出した。

●レヴュー

宣伝では典型的なB級アクション映画のようなルックで損をしているが、なかなかの拾い物、いや、個人的にはけっこうツボにはまった哲学的な命題を含んだサスペンス映画で、機会があったらぜひみなさんにも見て、考えてほしい映画だ。

哲学の世界では有名な「トロッコ問題」をご存知だろうか?
これは大学の講義でもよく使われる有名な話でバリエーションはいろいろあるが、基本となるのはこんな感じ。線路を走っているトロッコが制御不能になり、このまま放置しておけば前方で作業中の5人が死んでしまう。しかしあなたの前にある分岐器を動かせば、別の線路に引き込むことができる。ただし、そこでもひとりの人が作業中だ。つまり、5人を救うために1人を殺しても良いかということであり、法的な責任は問われないのが前提となる。功利主義的な立場から言えば、5人を救うのが正しい。しかし義務論から言えば否となるというもの。これにはバリエーションがある。たとえば、この問題で迷わず分岐の切り替えをした人でも、以下の問題はどうだろう。溺れている5人を助けるためにあなたがボートで向かっている途中、溺れている別の一人を発見する。その人を救うと時間がかかり、五人は死ぬことになる。それでもあなたは助けるか、見殺しにするか。

お気付きのように、これには誰も納得がいく回答がない。人は頭ではわかっていても、誰かを助けるために誰かを見殺しにはしたくないからだ。この映画では「自爆テロが起きれば数十人が死ぬ。また部隊の突入でも複数の兵士が死ぬ。ただしドローン攻撃をすれば“最小の被害”だけですむ」という、功利主義から言えば正しい選択が目の前にある。しかし、それは倫理的には正しい選択なのだろうか? 攻撃により、関係のない少女が死ぬかもしれない。多数を救うために、少女は死んでもいいのか。

オバマ政権では、兵士による直接攻撃ではなく、ドローンによる攻撃が推奨されている。現在では兵士のPSTD問題などが国内世論で大きく取り上げ、大々的に生身の兵士を戦闘に派遣しにくい。兵士の死傷者数を減らしたいこともあり、ドローン攻撃を重視しているのだが、あるニュースによればアフガニスタンでドローンにより殺害された200人のうち標的はわずか35人で、残りは巻き添えを食った民間人だったという。

ただし、本作が良くできているのは、現実の作戦に対する批判ではなく、「テロリスト攻撃」という事件を通して、上記の「トロッコ問題」という普遍的な哲学上の問題を私たちに見せてくれる点だ。そのため、この作戦に関わるどの立場の人間も納得がいくように描かれ、映画によくありがちな悪人や思慮の浅い人は出てこない。それぞれの立場で考え、意見を述べているので、観客もだんだんどうしていいかわからなくなる。それが狙いなのだ。「もし、少女を助けるためにテロリストを逃して、その後、数十人が死んだら?」、あるいは「少女が助かる確率が何%なら実行していいのか」などと考えてしまう。

イギリス映画らしい重厚な作りの本作だが、それはこの重いテーマにふさわしい。どのような選択をしても、誰かが傷つくようなことにならない世界を目指すのが、本当は一番いいのだろう。ヘビーな一本だ。
★★★☆

●関連情報

・最近では『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』などの娯楽映画が多い南アフリカ出身のギャヴィン・フッド監督だが、世界的なデビューは社会問題を扱った『ツォツィ』だ。

・本作は、アラン・リックマンの遺作のひとつになった。

・トロッコ問題についてはwikiを参照にしました

この記事は、旅行人のWEBサイト「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました
[PR]
# by mahaera | 2017-01-06 19:19 | 映画のはなし | Comments(0)

子供に教えている世界史〜キューバ危機・後編(1962年)

10月27日 暗黒の土曜日 つづき

カリブ海では潜水艦内でアルヒーポフが、
他の二人を何とか説得して、
核魚雷の発射をやめさせることに成功していた。

アルヒーポフは前年1961年に起きた、
ソ連の原子力潜水艦K-19の原子炉事故のとき、
同艦に同乗していた。
この事故は、北大西洋で潜水艦の原子炉冷却システムが故障し、無線も使えなくなり孤立無縁になったできごとだ。
修理中に8人の修理班は致死量の10倍の放射線を浴び、
1週間以内に死ぬという悲劇が起きた。
そのときの副艦長がアルヒーポフだった。
この事件はのちにハリソン・フォード主演で、
『K-19』としてハリウッド映画化もされた。
アルヒーポフ役にはリーアム・ニーソン。

アルヒーポフは外界と遮断された緊急事態に陥った時をすでに経験していたので、冷戦な判断が下せたのだろう。
K-19事件のアルヒーポフの行動と名声は当然ながら
みな知っていたので、他の二人は説得されて
結局発射を止め、潜水艦は浮上して封鎖線から立ち去った。
彼がいなかったら世界はどうなっていたろう。

この日、さらにキューバにあるソ連の核ミサイル発射台が、グアンタナモの米軍基地から24kmの地点に移されていた。
アメリカは知らなかったが、実はこの時点でキューバには核ミサイルは持ち込まれていた。

この夜6時、兄の命を受けたロバート・ケネディは
ソ連公使とキューバにはまだ核がないという前提で交渉し、トルコからのミサイル撤去は密約であり、
ソ連が公表しないのが条件とした。
そして、この状態が長引けば、
戦争は望んでいないにもかかわらず
「事態は制御不能となり、軍部がケネディを大統領から
引き摺り下ろす可能性(軍事クーデター)がある」
ことも告げた。
2002年になり、国防長官のマクナマラは、
キューバに核がすでにあったことを知って絶句した。
事態は彼らが思っていた以上の危険な綱渡りだったのだ。

フルシチョフからの返事を待ちながら、アメリカでは人類史上、もっとも危険が高まった夜が終わろうとしていた。
ケネディは
「子供たちが死んでしまうくらいなら、その子達が共産主義者になった方がマシだ」
と知り合いに語った。

交渉が不調に終わった場合の空爆の開始は、
10月30日火曜日と決められた。

10月28日 日曜日
朝、フルシチョフはケネディとカストロからの書簡を受け取った。
ケネディからは前述の戦争回避と制御不能の懸念を、
カストロからはアメリカの核攻撃の要請だった。
フルシチョフはカストロの書簡に怒り、
前日の各方面でのアクシデントも含め、
すでに事態が制御不能状態に陥りつつあるのを知った。
モスクワから放送で、フルシチョフは
ミサイル撤去を公表した。
ワシントンは朝で、閣僚や国民は
最悪の事態が回避されたことに安堵した。
軍部を除けば。
軍部は相変わらず、ソ連は嘘つきとして
空爆と侵攻の実施を進言した。
ルメイは「我々は負けたのです! 今からでも奴らを叩きのめしましょう!」と言った。
一方、カストロも事前の連絡なしのミサイル撤去の発表に怒った。

ルメイ空軍参謀総長らによるキューバ侵攻計画は、
まったくの的外れであることが、冷戦終了後にわかった。
たとえば、キューバにあるミサイルのうち、アメリカが場所をわかって攻撃できたのは33基で、核弾頭は一つも発見できていなかった。
実際は42基で、核弾頭は150発もあった。
また海上には核ミサイルを積んだ船が何隻もあったし、キューバ軍の兵士も10万人と見積もっていたが、実際は27万人、ソ連部隊は1万人ではなく4万3000人もいた。
もしこのときにキューバへのミサイル基地攻撃が行われていたら、キューバから攻撃を逃れた10基の核ミサイルがアメリカ本土を襲い、核戦争が起こっていた確率が高い。
日本でも沖縄では水爆搭載機が臨戦態勢を取っていたが、
その攻撃先はソ連ではなく中国だった。
そうなれば日本も否応なく世界大戦に巻き込まれたろう。

アメリカにとって不可解だったのは、
ソ連がすでに核兵器をキューバに持ち込んでいることを
公表しないことだった。
もし公表していれば、そもそも空爆は計画しなかったろう。核ミサイルは発射されることでなく、
あることで抑止効果があるからだ。

ともあれ、戦争は回避された。
当初は怒りに駆られていたケネディとフルシチョフも、
事態が進むにつれてキューバ危機が制御不能になっていき、「地獄を見た」のだ。
また、双方の文民政府が、軍部のクーデターや独断専行を
ともに回避できたことは大きい。
たとえば、満州事変などの軍部の独断専行により日中戦争に引きずりこまれた日本。
これといった方向性もなく、なし崩し的に始まってしまった第一次世界大戦がいい例だ。
ともに将軍たちが威勢のいいことを言って始めたが、
将軍たちは戦争の終わらせ方を知らなかった。

地獄を見た2人は、この後はデタントの方向に向かう。
ホットラインが米ソ首脳の間に引かれ、
部分的核実験禁止条約を結ぶ。
しかし、米ソ間の歩みよりは、フランスと中国の離反を招き、それぞれが東西両陣営から離れていく。
そしてフルシチョフは、キューバ危機の譲歩が響き、
2年後には失脚。
ケネディもダラスで凶弾に倒れる。
[PR]
# by mahaera | 2017-01-04 10:39 | 世界史 | Comments(0)

子供に教えている世界史〜キューバ危機・中編(1962年)

つづき

10月24日水曜
キューバへの海上封鎖が始まる。
フルシチョフはソ連からの貨物船のほとんどを
Uターンさせることにした。
もしアメリカ軍の臨検を受けた場合、突発的なできごとで、戦争が始まってしまうことを恐れたためだ。

10月25日木曜
国連の安全保障理事会で、
アメリカの国連大使がソ連の国連大使に
「ミサイルは存在しない」と言わせた後で、
偵察写真を見せる。
この駆け引きでソ連が隠していたことを世界に知らしめた。

10月26日金曜
封鎖線での最初の乗船臨検開始。
このときは何事もなく通過させる。
しかしキューバでのミサイル建設は続けられていた。
一方、アメリカ軍はデフコンを3から2に上げた。
ソ連の主要都市をいつでも核攻撃できる爆撃機が、
空中給油を行いながら常に上空を飛び続けた。
もちろん日本にあるアメリカ軍基地も、
戦闘準備態勢に入った。
そしてソ連がそれに気づくように、
わざと暗号文を使わないようにした。
アメリカでは、国民が食料品の買い込みにスーパーに殺到。

一方、フルシチョフは秘密裏に書簡を公式に1通、
非公式に1通ケネディに届けた。
それは「もしアメリカがキューバに侵攻しないと確約するなら、撤去に応じる」という取引の提案だった。

10月27日
のちに「暗黒の土曜日」と呼ばれる、
人類史上もっとも危険な瞬間が訪れる。
ワシントンのソ連大使館では、
朝から職員が書類を焼却しはじめた。
フルシチョフはアメリカが何もしないことにより自信を持ちはじめ、前日の書簡にプラスして、トルコにあるアメリカのミサイル撤去を求める内容をラジオで放送する。
この時代には、トルコにあるミサイルは旧型で、
アメリカにとってはあまり意味がないものだった。
しかし撤去に応じるとソ連に屈したように見え、
同盟国の信頼を失うのではないかとケネディは考えた。

昼頃、カリブ海では、キューバに向かう船籍を護衛しているソ連の4基の潜水艦に向けて、海軍が爆雷を投下した。

冷戦後の2002年に判明したことだが、
この4基の潜水艦は核魚雷を搭載していた。
そして、攻撃されたら核魚雷を発射する権限も持っていた。
少し前から通信は遮断され、潜水艦内では米ソが戦争に入ったのかもわからなくなっていた。
攻撃を受けた潜水艦内はパニックになり、
艦長は核魚雷の発射命令を出す。

艦長はすでに米ソが開戦したと判断したのだ。
しかし、核魚雷の発射には、
同じ権限を持つ他の2人の同意がなければならない。
政治将校は賛成したが、もう1人の副艦長であるアルヒーポフは同意を拒み、ふたりを説得しはじめた。

おなじ昼頃、アメリカのU2偵察機が
キューバ上空で撃墜される。
これでソ連の核ミサイルが、発射台に備え付けられたかどうがわからなくなった。
すぐさまミサイル基地を破壊することがエクスコムで決まったが、ケネディはそれを拒否した。
不用意な攻撃が、戦争を誘発するかもしれないと。
しかし撃墜により、参謀本部は一気に空爆と侵攻準備に入る。25万人の兵士が動員される。

カストロはキューバが侵攻される前に、
ソ連がアメリカを核攻撃するように要請した。

その中で、ケネディはフルシチョフから別な手紙を受け取る。
それは「キューバへの不侵攻とトルコのミサイル撤去を求めるもの」だったが、前回の私的な雰囲気のものと違い堅苦しいもので、軍事クーデターでフルシチョフが失脚した可能性も浮かんだ。
ケネディはトルコを失うことを恐れ、
ミサイルの相殺撤去の取引を拒む。

さらに運が悪いことに、同じ頃、アラスカ飛行中のU2偵察機が機器の故障で、ソ連領空内を侵犯してしまう。
何とか引き返したが、両軍共に戦闘態勢に入っているときに、爆撃機と誤認されかねないことは、ヒヤヒヤものだった。

続く
[PR]
# by mahaera | 2017-01-03 15:49 | 世界史 | Comments(0)

子供に教えている世界史〜キューバ危機・前編(1962年)

1962年10月14日にキューバ上空をU2偵察機が飛行。
翌15日、そのときに撮った写真をワシントンの国家写真解析センターが解析すると、アメリカ本土を射程内とする中距離弾道ミサイルとその基地が発見される。
翌16日、その写真と解析がホワイトハウスに届けられた。
これが核戦争の脅威が世界を覆った「13日間」の幕開けだ。
すぐさまホワイトハウスに閣僚や要人15人を集め、
「エクスコム(国家安全保障会議執行委員会)」が設けられ、
最初の3日間は昼夜を問わずに会議が進められた。

キューバへのミサイル配備と、
そして多くのソ連人軍事顧問団(貨物船の船底に隠れていた)の派遣に、CIAもそれまで気づかなかった。
そしてケネディはソ連の真意を測りかねていた。
というのも、この段階でソ連が持つICBMはまだ10基ほどに対して
アメリカは2000基、ソ連が500発ほどの核弾頭に対し、
アメリカは2万発ほど、
さらにアメリカは原子力潜水艦や爆撃機を常に飛ばしていて、
軍事衝突が起きてもソ連が勝てる見込みはなかった。
さらにトルコや西ヨーロッパなどのソ連の近接地域にアメリカは
ミサイル基地を配置して、
いつでもソ連を攻撃できるようにしていた。
それに比べてソ連は、アメリカの主要部を攻撃できる位置に
ミサイル基地を持っていない。

ケネディがいう

「なぜだろう。今回のキューバへのミサイル配備は、我々がトルコにかなりの数のミサイル配備をするのと同じだ。それは危険な話だ」

バンディ補佐官が答えた。
「大統領。すでにそういうことを我々がしているということですよ」。

つまりソ連は常にアメリカの核攻撃の脅威を感じていたことに、
アメリカは気づいていなかった。
むしろ自分が脅威を受けている被害者だと思っていたのだうろ。
そこでアメリカの先制攻撃を恐れるフルシチョフは、
賭けに出たのだ。

エクスコムでは、統合参謀本部(軍)が主張する空爆推進派と、
ケネディやマクナマラ国防長官が主張する海上封鎖派に
意見が分かれた。
当時は11月の中間選挙の前で、ケネディは応援の遊説を取りやめると怪しまれるとの閣僚の意見に沿い、
昼間は各地の遊説を続けながら早朝に会議を続けていた。
統合参謀本部のルメイはキューバへの先制攻撃を主張した。
たぶん、攻撃してもソ連は何の反応も示さないというのだ。
ケネディは強気の軍の意見を聞いた後、補佐官に
「官僚というものは、何でも自分に都合よく解釈できる。それに従っていたら、地上に生き残るものは誰もいなくなる」
とこぼした。

10月20日土曜
空爆の前に海上封鎖という段階を踏む方向へケネディは舵を切る。
いきなりの空爆では、フルシチョフも後に引けなくなる。
まずは封鎖して、フルシチョフの選択の余地を残すことにし、
「封鎖」も好戦的な表現であるとして
「隔離」という言葉を使うことにした。
ルメイはケネディを弱腰として怒り狂った。
ケネディは、キューバ問題はその前に起きたベルリン危機にリンクしていると考えていた。
つまりアメリカがキューバを攻撃すれば、
報復としてソ連はすぐさま西ベルリンを占領してしまうだろうと。
その結果、キューバ問題に忍耐を持たなかったアメリカに対して、
西ヨーロッパの友好国はアメリカを見放すだろうと考えたのだ。

10月22日月曜
ケネディが夜にテレビ演説を行うということを知ったモスクワは、
アメリカがキューバのミサイル配備を知ったと推測し、
緊張に包まれる。
フルシチョフは幹部を緊急招集し、
数日以内にカリブ海で戦争が行われるかもしれないと説明した。
アメリカ側は日中にイギリスやフランス、
西ドイツらの首相に状況説明する。
午後7時、ケネディはテレビでアメリカ国民に、
ソ連によってキューバにミサイルが持ち込まれたことを告げ、
「海上隔離」を行うことを発表した。
アメリカ国民は、核戦争が現実に近づいていることを知った。
アメリカでは軍の警戒レベルは5段階の真ん中のデフコン3となり、180隻の海軍軍艦がカリブ海に配置され、
戦略爆撃機のうち1/8が常に上空に待機する体制となった。
万が一、アメリカが全滅しても報復できるようにだ。

しかしそこで報復しても、何の意味があるのだろう。
同日、モスクワでアメリカに情報を提供していた
スパイのペンコフスキーが逮捕され、アメリカは情報源を失う。

(つづく)
[PR]
# by mahaera | 2016-12-31 18:13 | 世界史 | Comments(0)

ジョージ・マイケル、キャリー・フィッシャー、デビー・レイノルズ、、

12月28日のノオトより

今年はいろいろいなミュージシャンが亡くなったねえ、
などと友人と先日話していたが、まだ続くのか。
「ワム!」のときはまるで興味なかったが、ソロになって
1作目の「FAITH 」は名曲揃いの傑作。
「Faith」や「I Want Your SEX」、アレサ・フランクリンとのデュエット「愛のおとずれ」は良かった。
他にもクイーンのカバーの「サムバディ・トゥ・ラブ」は名演中の名演で、フレディ好きの友人も「彼だったらフレディの代わりにクイーンに入っても」と言っていた。
出したスタジオソロアルバムはたった4枚。
しかしすべてが本国イギリスでは1位という、スーパースターだった。
本名はΓεώργιος Κυριάκος Παναγιώτου。
53歳か、僕より年下だったんだな。

デビッド・ボウイーに始まり、プリンス、ジョージ・マイケル、
そしてレイア姫まで亡くなっては、今年は確かにひとつの区切りを感じる。
僕も「死」をかなり意識した年だった。
個人的には誰も知らない音楽や映画のヒーローたちだが、
自分の成長期には常に身近にいてくれた友人や先輩たちだ。
この世界に、夢や希望があることを教えてくれた人たちへ感謝している。

デビー・レイノルズも亡くなった。
「雨に唄えば」は10回は見たはずだ。。。
[PR]
# by mahaera | 2016-12-30 11:41 | 日常のはなし | Comments(0)