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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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パナマ・シティから 続き

昨日に引き続き、今日もパナマ・シティからです。
六年前に比べてインターネットの普及は大きいですね。
ロビー周辺でwifi可能というところは増えてきました。
今も朝食を食べながら、ここに書き込んでいます。
回りでも、ノートパソコンを持ち込んでいる人の姿が見えます。

パナマという国は、もともとは現在のコロンビアの一部でしたが、パナマ運河建設の際に、コロンビア議会が「外国に運河は建設させない」としたため、運河の重要性を認識していたアメリカが、パナマを独立させたのです。

19 世紀のゴールドラッシュの時代、アメリカ大陸横断は危険が伴い、また移動も困難だったため、東部からカリフォルニアを目指す開拓者たちは、一度パナマまで南下し、そこで太平洋側に陸路を越え、パナマシティから船に乗ってカリフォルニアを目指していました。また、東部から西部に速やかに軍隊を移動させるにも、運河は必要でした。

まあ、そんなアメリカの軍事的、経済的な理由、つまりアメリカの国益のためにパナマはコロンビアから独立したわけです。そのため、長い間、親アメリカ的な政権が国を握っており、資本も外国資本がほとんど。そのため、農業などの国内産業はあまり育ちませんでした。
たまにノリエガ将軍のように、反米的な権力者が実権を握ると、すぐにアメリカ軍に放逐されてしまのが現状です。

通貨も米ドルそのままだし、ショッピングモールなどもアメリカ式。車社会もアメリカ的で、アジアと違ってバイクはまず見かけません。

先日、運河や鉄道ができる以前の、太平洋と大西洋を結ぶ古道跡(カミノ・デ・クルセス)のトレッキングへ行ってきました。
当時は、途中までは川を利用し、山に入るとその部分は陸路で歩いていたわけです。細い道とはいえ、ずっと敷石が敷かれています。
スペイからの物資やインカ帝国の黄金が、ロバや黒人奴隷によって運ばれていきました。
また、ゴールドラッシュ時にはカリフォルニアへ向かう旅人がこの道を越えて行きました。

今日はこれから午後の飛行機で、カリブ海側へと移動します。
またどこかで、ネットにつなげるところがあれば、近況をここへ書き込みます。

それでは。
by mahaera | 2009-01-16 19:29 | 海外でのはなし | Comments(0)
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