『絶対音感』 最相葉月 小学館
1998年に刊行されたベストセラーを、「再び」読む。
「再び」と書いたのは、前に読んだことを忘れて、また読み出したからだ。
映画を途中まで見て、「あ、これ見たことがある」というのはよくある話だが、
本でもそんなことに。歳とったのか、その本に印象がなかったからか。
さて、「絶対音感」どころか、音感がない僕には、音感がするどい人はうらやましい。
家で曲をコピーするとき、メロディーがとれなくて苦労するが、
脇で聞いていた妻は、難なくすらすらとその音をピアノで弾ける。
前にも、「一度聴いたメロディーは、すぐにピアノで弾ける」
という友人がいたし、昔バンドを組んだ友人は、
テープで聴いた曲(サンタナですが)を楽器を持たずに、
コード譜に起こしていた。
で、「ああいう能力があれば、僕ももっとうまくなるのに」と
ずっと思っていた。
さて、絶対音感とは何か。
この本では、すべての音がドレミで聞こえてしまう人のこと。
すべての音をピアノの鍵盤に対応させられる人を指している。
たとえば、音楽でない音、自動車のクラクション、
コップがぶつかる音にも音階が付けられるし、
目隠しで、和音を弾いたときに、構成音がわかる。
もちろん個人差があり、ピアノならわかるが、他の楽器ならわからないとか、
音程の狂った音には弱いとかはある。
また、ピッチがA=440Hz以外だと、気持ち悪くて不快に感じたり、
A=442~3Hzでも気にならない人もいる。
本では、最初はそうした人の事例を多く紹介。
自分の普段使っている楽器ならわかるが、他の楽器ならわからないとか、
移調されても不快に感じないとか、個人差があることも述べる。
人によっては移調されると、とてもつもなく気持ち悪く感じるようだ。
次に日本人に絶対音感保持者が多いことを述べ、
それが西欧音楽を日本に取り入れたときの教育の仕方によるものではないかと、
音楽教育の歴史をふりかえる。
絶対音感を身につけさせるのは、日本の音楽教室特有のことらしい。
そして最後は、ヴァイオリニスト五嶋みどりの一家、おもにその両親の話になる。
英才教育をする母親、反発することなく母の教えを受け、成長していく娘。
一方、絶対音感を持ちながら、のびのびと学んでいく弟の姿が
対照的に描かれる。
この本を読んだことを忘れてしまったのは、
「絶対音感」の秘密がわかると思って読んでいたが、
結局、秘密を解くことはされず、落としどころが家族の話になり、
印象がぼやけてしまったからだろう。
最初は面白いのだが、中盤から、その面白さが半減していく感じ。
だから、10年もしたら、読んだことを忘れてしまったのかもしれない。
僕のような、音感がないものにとっては、絶対音感保持者はうらやましい限りで、
やっかみで「それは音楽の良さとは関係ない」と言ってしまうが、
音楽やるなら、やはりあったほうがいい。
昨日も、簡単な3音が一発でとれず、つくづくそう思った。