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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教えている世界史・日露戦争までの中国をめぐる状況

自分でも日清・日露戦争のあたりってけっこう忘れているあたり。
日本史上では、太平洋戦争、日中戦争に次ぐ大戦争のはずなんだけれど、
世界史的に見たら「クリミア戦争」ぐらいの感じなのかな。
たとえばwikiを見ると、日清戦争の日本の死者は1400人
病死が1万2000人と病死のほうが多い。日露戦争は日本の
死者約8万8000人
のうち病死が2万7000人。規模でいうと
日露戦争のほうが大きな戦いだったことがわかるが、
太平洋戦争なんかと比べると2桁は違う。

さて、日清戦争後の三国干渉で日本が返還した遼東半島には、
ロシアが代わりに進出し大連と旅順に拠点を築いた(おいおい)。
その向かいの膠州湾にはドイツが進出し、青島を建設(おいおい)。
イギリスも山東半島の威海衛
フランスも広州湾をそれぞれ租借し、
列強の中国進出が一段と活発化する。
スペインと戦争して出遅れたアメリカは焦って、1899年に
「門戸開放宣言」をする。
これは、各国がテリトリーを決めるのではなく、
「機会均等に利権をむさぼろう」というもの(笑)。
そんな中、1900年に義和団事件が起きた。
これは山東半島に進出したドイツが強引にキリスト教を布教し、
キリスト教排斥運動を呼んだのが始まり。その中心の義和団は、
やがて清を助けて外国排除運動を始め、それが中国北部に拡大。
最初は、義和団が事件を起こすたび、
諸外国に怒られて困っていた清だが、西太后はそれを利用して
1900年、諸外国に宣戦布告(ダメだ)。
これを「北清事変」あるいは「義和団の乱」という。
映画にもなったね。『北京の55日』

あの映画では日本の出番がほとんどないが、
実際には8か国(日本、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、
オーストリア、イタリア、アメリカ)出兵し、
その主力は日本とロシアだった。
義和団は「刀槍不入」といって、修練によって神様を
自分に乗り移らせ、刀も槍も刺さらない、鉄砲の玉もはじくと、
10代の少年少女に教えて対抗したが近代兵器の前に軽く粉砕。
この時、イギリスは南アフリカ戦争でいっぱいいっぱい、
アメリカはフィリピンで民衆運動を抑えなくてはならず、
すぐに軍隊を動員できたのは日本とロシアのみ。
さて、あっという間に終わったこの乱の後、
列強は「北京議定書」を清に認めさせる。
これは軍隊の駐留権を認めるというもの。
映画『砲艦サンパブロ』で米軍の軍艦がなぜ揚子江にいたかは、
これが理由。1860年の北京条約では「北京に外交使節を置く」
だったが、もう1901年のこの条約では軍隊を北京に
置いてもよくなったのだ。

さて、義和団事件で大軍を送ったロシアは、その後、軍隊をそのまま中国の東北地方に置いたままにして帰らない。
これは日本を警戒させ、
またロシアの南下政策を恐れるイギリスも警戒させた。
イギリスは極東では力が回りきらないことを実感し、
1902年に日本と「日英同盟」を結ぶ。
それまで他国と軍事同盟を結んでいなかったイギリスだが、
「光栄ある孤立」を捨てたのだ。ということは、
日本の朝鮮半島の進出をイギリスが認めたことでもある。
そして、やはりロシアの東北地方進出を快く思っていなかった
アメリカも(このエリアに興味を持っていたから)、
日本のバックにつくことに。ドイツとオーストリアは逆に、
ロシアが極東に進出してくれたらバルカン半島に来なくなるので、
ロシアを後押し。フランスはロシアの友好国だけれど、
日露の対立には巻き込まれたくないし、
イギリスとせっかく仲良くなってきたのに、というところで、
この戦いではロシア側で参戦しないことに決めた。
こうして、日露間の緊張が高まり、それぞれ軍備を増強。
他の国は参戦しないシングルマッチの方向に進む。

戦争にはお金が必要。
日本では戦争の見積額は当時のお金で4億5000万円だったが、
日清戦争で失った分があるので、1億円を外貨で調達しなくては
ならなかった。ところが、投資家は日本がロシアに負けると
思っているのでなかなか外債を買わない。結構苦労したらしいが、
イギリス、ついでアメリカの後押しで調達でき、
日本が緒戦でロシアに勝つと、さらに外債は売れて戦争終結までに
10億円余りの外債を発行。
ちなみに日露戦争の費用は、結果的に18億2000万円かかった。
イギリスとアメリカの経済支援がなかったら負けてたし、
そうなると返済が大変だったろうなあ。

こうして1904年2月8日、日本の奇襲攻撃で開戦(またか)。
宣戦布告はそのあとの2月10日(またか)。
日本の大義名分は「大韓民国」の保全だが、
韓国はあとで日本が併合するので(おいおい)、まあ名目だけ。
この時、ロシア側で参戦した国がただひとつ。
それがモンテネグロ(笑)。戦闘には参加しなかったが、
戦後、双方で休戦協定を結ぶのを忘れ、
2006年になって正式に終戦になったと話題になった。

息子には、「戦争にはお金がかかるので、戦費調達が大事」。
「戦争には常に投資家がいる」。と教える。
あ、あと、ちゃんと休戦協定も忘れずにしよう。
小さな国だからといって、忘れちゃいけない。
by mahaera | 2016-07-22 03:52 | 世界史 | Comments(0)
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