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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教えている世界史・ニューディール、そしてブロック経済

1929年10月24日の「暗黒の木曜日」から世界大恐慌が始まった。
その影響については前回書いたが、
今回は主にそれに各国がどう対処したか。

アメリカは無策な共和党に代わって、1932年の選挙では民主党が勝ち、1933年からフランクリン・ロースヴェルトが就任すると、次々と新しい経済政策を打ち出す。
これが有名な「ニューディール政策」だ。
この政策の基本方針は、それまでの「自由放任」をやめて、
政府が積極的に経済活動に介入するということ。
自由放任で経済が暴走したのだから当たり前といえば当たり前だ。

1.まず、作り過ぎが原因の一つなので「生産調整」を行う

2. 物が売れないなら売れるように「市場拡大」をはかる

1はともかく2は、現実的には失業者は貧乏で物が買えない。
ならば国家が国民に仕事を与えて給料を払い、物が買えるようにする。対外的には欧州以外の市場を探すという方針を打ち出す。

それに沿った法律をと、最初に打ち出したのが「全国産業復興法(NIRA)」だ。
この中で生産調整を企業に要求し、また労働者一人当たりの労働時間を減らしその分を多くの人に雇用の機会を与え、また労働者の権利を拡張することが盛り込まれていたが、、、、、、

なんと最高裁が違憲判決を出してしまう。

「アメリカ本来の自由競争を阻害するもの」だと。

で、仕方なくこの中の労働者の権利(団体交渉権など)の問題だけ取り出して、1935年に法案が成立。
これが提案者の名にちなんで「ワグナー法」。

次に打ち出したのが「農業調整法(AAA)」。

これも作付面積の制限をする一方、農産物の価格引き上げで農民の生活を保護しようとしたが、、、、、

これも最高裁が違憲判決。

アメリカは日本に比べると、ずっと司法が独立しているので(いや日本もそうあるべきなのだが)、厳しい。

政府が国民の自由意思に関与するのは違憲なのだ。

成功した中で有名なのは「テネシー川流域開発公社(TVA)」。
これは大規模な公共事業で雇用を増やし、
失業者を吸収するのが目的。
分かりやすいが、でもどのくらいの効果があったのだろうか。
しかし、国民は希望を持った。なんとかなりそうだと。

これらはイギリスの経済学者ケインズの理論に沿ったものだった。

「お金がないから物が買えない」となると、経済は回らない。
しかしお金があれば(雇用があり賃金をもらえれば)、
物を買うので経済が回るというもの。
それまでは、「売れるものを作る」という発想だったのを、
「売れる状態を作る」という逆発想にしたのだ。
お金を持った人は、何か買いたくなるという発想だ。
ボーナス入ったら、きっと我慢して買わなかったものを買いたくなるでしょ。なので理解できる人も多いはずだ。

つまり、アメリカ政府は国民にどんどん賃金を払えばいい。
しかし、その財源はどこに? 
不況で貧乏で、税金も取れないんだから。
方法は簡単。「紙幣の増刷」だ。
ただしこれは米ドルの通貨の価値が暴落するというリスクもある。

当時、アメリカは金本位制で、
基本的には金の保有量に応じた紙幣しか発行できなかった。
この法律を改定して、金本位制をやめてしまった。
まあ、これは恐慌後も世界の大国だったアメリカだったからできたワザかもしれない。
紙幣が紙くずにならかったしね。
次にソ連と貿易をしようと1933年に外交関係を樹立。
当時、ソ連は世界の経済システムに組み込まれていなかったので、大恐慌のあおりは少なかったのだ。また、ラテンアメリカ諸国とも、結びつきをいっそう深めていった。

一方、他の国はどうしたか。

当時、世界の1/4近くを植民地や自治領として維持していたイギリスは、マクドナルド挙国一致内閣が経済改革を行った。

マクドナルドは1929年に労働党で単独内閣を組閣するが、
恐慌で失業者が増大し、社会保障費が国家財政を圧迫してしまう。
仕方なく失業保険を削減しようとするが、
なにせ労働党なんで支持者から猛反対。
で首相なのに、労働党から除名されてしまう(おいおい)。
しかしライバルの保守党・自由党が支持してくれて、
マクドナルド挙国一致内閣が成立。
国家の危機のためには、結束するしかないと。
日本じゃありえないねえ。

マクドナルドも、まずは金本位制の停止。
その理由は、その国の通貨がいつでも金に交換できることが保証されているのが金本位制だが、この時、恐慌の影響でドイツからの賠償金がストップ。
ポンドの価値が下がることを見越した外国人が、次々とポンドを金と交換し、金がイギリスから流出する事態になった。
で、それを阻止するために停止したのだ。

でも有名なのは次の「ブロック経済」だ。

これは、自国と自治領、植民地などを高関税の壁で取り囲んで他国を締め出すが、逆に域内は経済交流を活発化させるというもの。
「排他的経済圏」てやつ。これで不況を乗り切ろうとした。

そのためには、自治領、植民地が、
勝手に域外の国と低関税で貿易されちゃ困る。
そのため1931年には本国と自治領の関係を対等とし、
「イギリス連邦」が成立。
1932年にはインドやローデシアも参加したオタワ会議があり、
ここで上記のブロック経済が決定される。

そこから締め出された国はどうするか。
植民地のあるフランスもそれに習って「フラン=ブロック」、アメリカも資源のあるラテンアメリカを巻き込んで「ドル=ブロック」を形成して、なんとかして自国の通貨を守ろうとした。

しかしこれ、植民地(=原料供給地)があって
自分で資源を調達できる国はいいけれど、
植民地を持っていない国はどうすりゃいいの。
で、持っていない国の代表が、ドイツ、イタリア、日本だった。

これらの国は、ブロック経済でしのいでいる国に対して、
不満を募らせていった。
石油や鉄など、資源を売ってくれよ。
そして製品を買ってくれよと。
これが、第二次世界大戦の原因の一つにつながっていく。
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by mahaera | 2016-10-04 17:21 | 世界史 | Comments(0)
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