海は燃えている イタリア最南端の小さな島
Fuocoammare
2016年/イタリア、フランス
監督:ジャンフランコ・ロージ
配給:ビターズ・エンド
公開:2017年2月11日よりBunkamuraル・シネマにて公開中
「世界の絶景特集」などで、あまりにも海の透明度が高いため、
船が宙に浮かんで見えるように見えるという画像を見たことがある人もいるだろう。
その場所はイタリア最南端にある
「ランペドゥーサ島」。
海の向こうはもうアフリカ大陸だ。
そのため、ここはアフリカから船でやってくる難民たちが
最初につく場所のひとつでもある。
難民問題で大きく揺れ動く欧州。
大量のボート難民が来てもいない日本でも、いろいろ論議がされているが、実際にそれを肌で感じている欧州の人はどう思うのか。
そのひとつの答えが、この作品が第66回
ベルリン国際映画祭で
金熊賞(グランプリ)を受賞したことに現れているだろう。
このドキュメンタリーの主人公ともいえるのは、
そのランペドゥーサ島に住む12歳の少年サムエレだ。
都会から遠く離れた田舎の島。
おそらく夏のバカンスシーズンは観光客もたくさん来て、
島には活気があるのだろうが、映し出される
冬の島は老人と子供ばかりで、活気というものがない。
サムエレも今時の子供のようにゲーム、ではなく、
木の枝でパチンコを作って遊んでいる。
漁師は漁に出かけ、老人は刺繍に糸を通す。
その一方、ときおり島の無線設備に救難信号が入ると、
ヘリコプターが飛び立っていく。
かつては島に上陸する難民もいたようだが、今では難民船は洋上で軍に回収され、そのまま収容施設に連れて行かれる。
そのため
島には難民たちの姿はなく、
難民が島民たちと交わることはない。
難民と唯一関わるのは、島の医師だけだ。
カメラは、島民の日常と難民救助の姿を交互に映し出す。
すぐ近くなのに、船の上で死んでいく人々と
のんびり過ごす島民に接点はない。
同じこの世界に住んでいながら、
決して交わらないふたつの世界。
いま、あなたがこうしてネットでこの文章を読んでいる間、
海の上で飢えと渇きで死んでいく人がいるかもしれない。
立場が変われば、あなたの娘や息子、
あるいは母親が目の前で死んでいくところかもしれない。
想像力を働かしてみれば、それが世界の縮図でもあることはわかるだろう。
難民船にいる難民の国籍は、本当に多種多様で、
シリア、リビアから西アフリカの国々までといろいろで、
難民同士のコミュニケーションもとれないほどだ。
横になって寝る場所もないほど詰め込まれ、欧州を目指している。
映画の最後の方で
ついにカメラは難民船の内側に入る。
そこで目にするものは、
私たちの住む世界は
とても“残酷”なものであるということだ。
そして“平和”という既得権を手にした私たちも、
世界(私たち)が残酷であることに見て見ぬふりをして日々過ごしている。
このドキュメンタリーに結論はない。
ただ、知ってはいたものの見てこなかった現実を突きつけられた
私たちは、考えなければならない。
たとえ、結論がでなくても。
★★★