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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2000年)1・シュメール文明(その4)

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(写真)手持ちの参考画像がなかったので、シュメール人とケムール人を描いてみた。
名前の響きは似ているが、見た目はまったく違う。


シュメール文明の成立

前3500年、ウルク期が始まり、前3400年には初期の文字が発明、前3300年には粘土板文字記録システムが成立し、

ここからいわゆる「シュメール文明」が始まる。
ウルク以外にもウル、ラガシュ、エリドゥなどの都市が
チグリス・ユーフラテス川下流域のシュメールの地に生まれ、
中流域のアッカド地方にもキシュやニップルなどの都市が生まれていった。
アッカド人はセム系の言葉を話していたが、文字記録はシュメール語、あるいはシュメールからの借用語で行っていた。
ではシュメール人はどんな民族だったか。
これは今でも民族系統がわからないとされている。

余談だが、僕は中学の世界史の授業で、「シュメール人」と初めて聞いた時、「ケムール人」がすぐに浮かんで覚えた。
幼い頃、「ウルトラQ」を見させていた息子にそのことを言って覚えさせようとしたが、あまり響かなかったのは残念だ。

さて、シュメール最大の都市はウルクで、
2〜4万人が住んでいたと推測されている。
これだけの人口を支えるだけの農業の生産力があったということだろう。
大麦、小麦などの穀物以外には、豆類、ナツメヤシ、玉ねぎやニンニク、ハーブなども栽培されていた。
また、家畜としては、ヒツジやヤギ、ロバ、牛などが家畜として飼われていた。
しかし、シュメールのその他の資源は粘土だけだった。
鉱物資源は皆無だったので、それは東のザグロス山脈のエラムの地(現在のイラン)から交易で得るしかなかった。
たとえば装飾品や祭器に使われた金やラピスラズリもエラムから、初期の金属器の原料である銅、木材さえ輸入だった。
つまり、シュメールの都市は穀類や加工した工芸品を輸出し、原料を輸入して成り立っていたのだ。


青銅器時代の始まり

人類が最初に利用した金属は何だったのか。
金は精錬しなくても自然界に存在する自然金があり、
またいくらでも薄く延ばせるので、早くから加工して利用していたようだ。
古代ではむしろ自然銀の方が少なく、
金よりも価値があった時期もある。
銅も自然銅があり、早くから人類に利用されていた。

人類最古の銅製品は、イランで発見された前8700年のペンダントという。
銅は柔らかく低温で柔らかくなるので、350〜500度の熱で叩いたりプレスしたりして加工し始めたのが最初だろう。
前7000〜前3000年ぐらいには世界各地で銅が精錬され使われるようになっていたが、まだ硬度が足りず、武器や農具などには使えなかった。
これに錫を混ぜて硬度をつけたのが「青銅」だ。

錫は銅よりも融点が低く加工しやすい割には硬い。
「青銅」は、たまたま錫を多く含んだ銅鉱石を精錬した時に発見されたという。
以降、混ぜる銅と錫の割合によって、色や硬度を変え、青銅製の刀剣などの武具、祭礼に使う神具、宝飾品など、多岐にわたって使用されることになる。
これが青銅器時代の始まりとなる。

メソポタミアで青銅器の使用が始まったのは、
紀元前3100年ごろ

ただし、南部メソポタミアでは銅も錫も産出しなかったので、銅はザグロス山脈のエラムから(のちにオマーンからも)、錫は現在のアフガニスタンやトルコ南部あたりから輸入していた。
つまりそれだけの交易網があったということだ。
まだこの頃は、ラクダや馬がメソポタミアでは家畜化されていなかったので、輸送にはペルシャ湾の港から各地へ交易船が行き来していたのだろう。
オマーンにあるバット遺跡には、メソポタミアへ輸出する銅の採掘跡があり、世界遺産にも登録されている。(続く)


by mahaera | 2018-10-26 16:26 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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