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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2300年ごろ)2・エジプト古王国時代(その7)

子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2300年ごろ)2・エジプト古王国時代(その7)_b0177242_13500211.jpg


古代エジプトの農民の生活

ここで古代エジプトの人々の生活を見てみたい。
2500年にわたる古代エジプトだが、その生活スタイルはその間、驚くほど変化していなかったようだ。
古代エジプト人の大半は農民だが、
漁業や職人と兼業するものもいた。
ナイルの増水期の7〜10月の間、人々は農作業を休むがその間、暇ではなかった。
ピラミッドに代表される大規模な公共事業もあったが、
たいていは地元の運河や堤防の補強やダム造り
農地を広げるための灌漑作業が共同作業で行われた。
ナイルの水は集水溝を通って耕地に耕地に運ばれるが、
その前に沈んだ土砂を取り除かねばならなかった。

耕地が完全に冠水してしまう前に、
農民たちは家畜を高地に移動させた。

この頃にはアシの茂みには多くの水鳥や小動物が集まってくるので、男たちはそれを狩ったり、漁業に精を出したりした。
鳥は罠や網、弓、投げ棒で獲っていたようだ。
網や釣り針を作る技術も発達した。
女性や老人は貯蔵用に肉を塩漬けにしたり、魚を干したりするほか、

布を織ったり、網の補修などもしていた。


11月中旬になり水が引いていくと、種まきの季節となる。
農民は耕地に家畜を走らせてその蹄で畑を耕したり、
柔らかくなった土の上を木製の鋤(すき)を2頭の牛に引かせたりした。

これは手早くやらないと、土が乾燥して耕すのに固くなってしまう。
それでも手に負えない時は、木製の鍬(くわ)で、
泥の塊を打ち砕いた。
穀類は、パンを作るための小麦と、ビール(当時はまだ粥状で食事としてとらえられていた)のための大麦がメインだった。
次にはタンパク質の供給源として豆類が栽培された。
レンズマメ、エンドウマメ、ソラマメが栽培されていたことが知られている。
野菜類は、レタスやネギ(リーク)、ニンニクや玉ねぎが、
果実類ではスイカやメロン(果肉ではなく種を食べていた)、イチジク、プラム、ザクロ、ナツメヤシなどが栽培された。
他にもゴマなどから油が取られていたようだ。
ブドウからワインも作られたが、庶民が飲むようなものではなく、王侯貴族の贅沢品だった


収穫は5 月半ばから7月半までの2ヶ月で、農民にとってこの時期がおそらく一番忙しい時期だったことだろう。
収穫時期は南の上エジプトから北の下エジプトとずれるので、一部の者たちは収穫をしながら北上していった。
刈り入れは、木に硬い石で作った刃を取り付けた鎌で行った。穀物は脱穀場へと運ばれ、家畜によって籾が踏み落とされ、空中に放り投げて殻を風の力で飛ばした。
穀物以外にも、この時期は亜麻やブドウが収穫された。
早く収穫しないと、ナイルの増水が始まってしまうので、
時間は限られていた。

収穫が終わると、国から派遣された書記官が収穫状況をチェックし、人々から税を徴収した。
若くて力のあるものは労働者として
運搬に徴用されたかもしれない。

税を国庫に入れるため、
ナイル川を毎日多くの船が行き来した。
村のほとんどはナイル川沿いにあり、
葦や木で作った船が行き来した。
基本的には風は南から北に吹いていたので、下る時は水の流れ任せ、上る時は帆を張って風の力で上流へと向かった。
それを補完するために10人ほどの漕ぎ手が乗船していた。(続く)


by mahaera | 2018-11-22 13:54 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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