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ミイラ作り
エジプト人は死後の世界を信じ、
死んだ後も生前と同じような生活をすると考えていた。
そのため王などは副葬品を墓に入れ、魂が戻ってこられるように、死体に防腐処理を施しミイラにした。
ミイラ作りが始まったのは、前3000年頃の初期王朝時代。
当初はミイラを作るのは王や王族だけだったが、
時代が下り、王権が弱体化していくと経済力のあるものも
ミイラや墓を作っていくようになる。
文字と言語
最初の方にも書いたが、古代エジプトでは王朝時代より前のナカダ文化の時代にすでに初期のヒエログリフが生まれていた。
最初は漢字のような表意文字から生まれたが、
単純に音を表す表音文字としても使われるようになった。
短い文が土器などに書き添えられる程度だったが
次第に複雑化し、前3000年頃の初期王朝時代から
古王国時代にかけて文書レベルに発展していく。
第3王朝以降は建物に石材が使われるようになり、
そこに文字が書き込まれるようになる。
土器に比べれば広いスペースが与えられ、
長い文章が書けるようになったのだ。
文字の数は1000を超えた。
パピルスに文字が書かれるようになったのも、この頃ではないかと言われている。
ピラミッド時代には官僚も増えて、
文字が読み書きできる人も増えた。
とはいえ、人口の1パーセントにも満たなかったようだ。
古代エジプトの美術
世界の考古学博物館で、エジプト美術が大きなセクションを占めるところは少なくない。
一目見て古代エジプトだとすぐにわかる様式美は、古王国時代に確立して以来3000年間ほぼ変わることがなかった。
この時代のエジプトでは、今でいう美術は「美」を追求ものではなかったからだ。
神や人間の描き方は決まっており、そこから逸脱することはなかった。
絵は観賞されるために描かれるのではなく、そこに「存在させる」ために描かれた実用的なものだったからだ。
神や人物の顔は横向きだが目は正面、肩は正面だが腰から下は足を開いた横向きで、グリッド(方眼)に沿って同じ方で描かれた。
絵を描く前にグリッドが描かれ、足元から頭の高さまでを18等分し、頭や肩、手の長さなどのフォルムをどこに描くかはほぼ決められていた。
誰が描いても同じプロポーションだが、
出来不出来の差があまり生まれないという利点もあった。
工芸品は古王国時代の王族の副葬品などから発掘されている。
以上、初期王朝時代(前3100年頃〜前2180年頃)から古王国時代(前2686頃〜前2181年)までの古代エジプト第1王朝から第6王朝までを見てきた。
以降の古代エジプトの王朝期の基本はすべてここでできている。宗教観や生活スタイルは3000年、ほぼ変わらなかったのだ。息子的には、勇ましい戦争の話が出てこなかったので退屈だったかもしれない。
次回からは前3500〜2300年ごろのメソポタミアとエジプトの周辺地域をざっくり見ていく予定だ。
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