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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]インダス文明とその周辺(前2600〜前1800年)その2 トランス・エラム文明

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(画像)ざっくりと位置関係だけ書いてみました。実際は山とかあって、地図で見るより大変なんだけど。


トランス・エラム文明の成立
前2700年ごろ、メソポタミアの都市キシュの王が現在のイランにあった都スーサに侵攻し、略奪を行う。
取引先の国の都を略奪するというのは、
今の基準ではどうかと思うが、
当時は略奪も交易も力のバランス次第だったのだ。
これにより原エラム文明は衰退し、
イラン高原の中心都市は現在のケルマーン州にあった
アラッタに移る(異論あり。後述)。
アフガニスタンからの「ラピスラズリの道」はアラッタからスーサを経由して、メソポタミアに続いてた。
このイランの文明圏を最近は「古エラム時代」または「トランス・エラム文明」と呼ぶようになってきた。
この文明の特徴は、自国で産するものは少なく、
アフガニスタンとメソポタミアの中継貿易で栄えていたこと。
もしくは加工商品を作り、それを輸出していたことだ。

これがインダス文明の設立に関わっていたという説が、
最近では有力なようだ。
つまりスーサから東のアラッタに都が移ったこと、
メヘルガル文化が衰退し突然インダス文明が起こったこと
リンクしているというのだ。
原エラム文明の中心スーサはメソポタミアに近く、
鉱石や貴金属の輸出の代わりに多くの食料を得ていた。
しかしそれよりもずっと東のアラッタに移ったことにより、
穀物の運搬はより困難になる。
そこでトランス・エラム文明の担い手の食料需要に対し、
メヘルガル文化を築いた人々がインダス川流域に降りてきて、
農業を始めたというのだ。
そして同時期、メソポタミアに銅を供給していたペルシャ湾岸にも都市が生まれていく(後述)。
つまりインダス文明はイラン高原のニーズによって生まれた、あるいはトランス・エラム文明の人々が始めたという説もあるのだ(確定はしていない)。


[アラッタ国は中央アジアにあった?]
1990年以降提唱されている学説に、
メソポタミア文明とインダス文明の間には、
トランス・エラム文明以外にも中央アジアに
「バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)」という文化があったというものがある。
これによると、メソポタミアと交易をしていたアラッタ国は現在のイランのケルマーン州ではなく、もっと北方のトルクメニスタンにあるアルティン・デペにあったという。
時代的には前2200〜前1500年とインダス文明と重なるころで、大麦・小麦などの灌漑農業を行い、
金属器や土器が発掘されている。
また、アルティン・デペからインダス文明の印章が発掘されていることから、交易があったことは確かなようだ。(続く)


by mahaera | 2018-12-17 16:51 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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