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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]インダス文明とその周辺(前2600〜前1800年)その4 ハラッパーとモヘンジョダロ

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(写真)モヘンジョダロから出土した銅製の「踊り子」像。実物は小さく13cmほどしかない。(デリー国立博物館収蔵)


ハラッパー
インダス文明の都市は数多いが、受験の世界史で言えばハラッパーとモヘンジョダロを知っておけば十分だ。
ただし、定番といえるのが地図問題で、
インダス川の上流にあるのがハラッパー、
下流にあるのがモヘンジョダロ
と覚えておけばいい。
あとは引っ掛け問題で、インダス川沿いの遺跡は、
現在はインドではなくパキスタンにあるので注意だ。

もっとも初期に現れた都市はパンジャブ地方にあるハラッパーで、前3000年ごろの初期ハラッパー文化から次第に前2600年ごろには都市へと発展していった。
ハラッパーの発掘は1920年代から始まるが、遺跡を構成していたレンガの多くはその前に地元住民やイギリスの鉄道建設のために持ち去られていた。
しかし4000年近く前のレンガがまだ使えたとは、そちらのほうが驚きだ。
ハラッパーの最大人口は2万人程度だったようだ。

モヘンジョダロ
インダス文明最大の都市、モヘンジョダロがあるのはインダス下流のスィンド地方だ。
都市が栄えていたのは前2500〜前1800年の約700年間で、最大人口は3〜4万人。
当時、世界で同程度の規模の都市はメソポタミアのウルク、アッカド、ラガシュ、マリやエジプトのメンフィスぐらいしかなかった。
ちなみにモヘンジョダロとは「死の丘」という
後世につけられた名前で、当時の名前は知られていない。
この遺跡からは有名な「神官像」「踊り子像」などが
発掘されている。
現在の遺跡はインダス川から少し離れているが、
これは川の流れが変わったため。
古代史では定番だが、現在の川と数千年前の川とでは
流れている場所が違っていたり、
海岸線が変わっていたりすることはザラだ。
モヘンジョダロというと必ず使われるストゥーパの写真だが、これはインダス文明とは関係ない
ずっと後の紀元後の仏教遺跡。
その下を掘ったらインダス文明の遺跡が出てきたのだ。

インダス文明の人々の暮らし
ではインダス文明の人々はどんな生活をしていたのだろうか。
インダス文字は解読されていないので、
文献から読み解くことはできないのだが、
メソポタミアやエジプトとは異なり、
王宮や宮殿のようなものが町にはない。
しかし厳格な階級制度はあったようだ。
インダス文明の担い手は、従来は現在南インドに多く住むドラヴィタ系の人々だったといわれていたが、
これも現在は異議を唱える説も多く、決定打がない。
何しろ文字が解読されていないので、どんな言語だったのかもわからない。
インダス文明では「印章」が多く出土している。
モヘンジョダロだけでも約1200の印章が発掘され、
それは所有者を示すものだという。
印章にはインダス文字が刻まれているが、解読されていない。土器は彩文土器、青銅器も発掘されている。
各都市間の関係は密で、メソポタミアと異なり敵対や競合はしていなかったとみられている(都市間の戦争が確認されていない)。
(続く)


by mahaera | 2018-12-22 11:21 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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