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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]インダス文明とその周辺(前2600〜前1800年)その5インダス文明の都市の構造

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(写真)インダス文明の都市から発見された牛車の像。
2頭の牛にひかせるこうした牛車は、今も農村で使われている。ちなみにインダス文明では、まだ米は栽培されていなかった。


インダス文明の都市の構造

インダス文明の都市は、
碁盤目状に街路が整備されて計画的に作られていた。
トイレ、浴場、井戸などがあり、
建物は焼きレンガでできていた。
焼きレンガは、900度の熱で焼く過程で空気中の酸素と土の鉄分が結びついて酸化鉄に変化したもので赤く見える。
当時、メソポタミアやエジプトでも、頑丈な焼きレンガは一部しか使われず、ほとんどが干乾しレンガだった。
もちろんそれらの土地では雨が少なく、
焼きレンガを造るための木材も不足していたのだが。
現在は乾燥地帯となっているインダス川流域も、
かつては森がかなりあったのだろうか。

インダス文明の衰退の原因に、レンガを焼くために木々を伐採しすぎて環境破壊が進み、乾燥化が進んだという説もある。
もしくは当時のインダス川流域はいまほど乾燥しておらず、
雨に濡れて溶ける干乾しレンガでは、
家が建てられなかったのかもしれない(現在でもカラチの年間降水量はカイロの約7倍ある)。
モヘンジョダロの焼きレンガは「4:2:1」の比率で規格化されて造られていた。
なし崩し的に造られた都市ではなく、
かなりの計画性があって都市が造られたのだ。

都市にある「沐浴場」は、排水溝があることから
そういう風に名前がつけられているが立派すぎるので、
最近ではこれが神殿だったという説が有力だ。
つまり水を使った儀式を行っていたということ。
古代ローマのような公共浴場ではない。
現在もインドでは、本堂のシヴァリンガに注いだ液体が外に流れ出す排水溝を取り付けた寺院がある。
インダス文明の「沐浴場」では、膝ぐらいまでの水に浸かり祭儀を行ったとか、動物を犠牲に捧げて血を流したとか、諸説あるがこれもやはり決定打はない。

インダス文明で生活に使う水は井戸から汲み上げていたので、町に張り巡らされた溝は排水溝なのだが、
以前は下水溝と考えられていた。
現在では生活下水は流していなかったという説が有力らしい。
「穀物庫」はそう名前が付けられているだけで、
そこから穀物は出土していない。

街区は身分、あるいは職能集団ごとに分けられていたようだ。一般庶民が住んでいた家々よりも、
あきらかに間取りが広い家が並ぶ街区がある。
武器が発見されたことから軍人が住んでいた地区、
インク壺が発見されたから「学校」と推測されるものもある。


インダス文明の滅亡
インダス文明は紀元前2000〜前1900年ごろに、
突然崩壊した。
その理由は諸説あるが、やはり決定的なものはない。
昔はアーリア人の移動によって崩壊したという説があったが、今は否定されつつある。
滅亡期のインダス文明については、またあとで述べよう。
ともかく、前2600〜前1900年頃に、
ここに一大文明圏があったことは確かなのだ。(続く)



by mahaera | 2018-12-24 10:32 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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