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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]インダス文明とその周辺(前2600〜前1800年)その6 ペルシャ湾文明とは?

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(写真)ペルシャ湾は穏やかな海で、大した船舶技術がなくても航行できたという。

オマーン半島の付け根のウンム・アン=ナール文化(赤い点)は、

メソポタミアとインダスの中継貿易で栄えたと推測されている。


ペルシャ湾文明の萌芽(前6000〜前2800年)
1960年代以降、発掘が進み、注目されているのが
ペルシャ湾の南岸にあった古代文明だ。
現在の国でいうと、アラブ首長国連邦、カタール、
バーレーン
にかけてで、古代メソポタミアと活発に商取引きがあったことで知られている。
まだメソポタミアにシュメール文明が生まれる前のウバイド期(前6000年〜前4000年)にも船が行き来していたようで、
この地域の50か所からウルなどの南メソポタミアの土器が発見されている。
当時からホルムズ海峡に突き出たオマーン半島の山脈などには銅の鉱山があり、それが輸出されていた。

しかし交易ネットワークが確立するのは、
メソポミアにシュメール文明、ペルシャ湾北岸のイラン側に原エラム文明が成立した前3000年前後から。
アラブ首長国連邦の内陸の山地にある
ハフィート期(前3100〜前2800年)の遺跡からはメソポタミア産の土器が数多く発見されている。
また、地元産の土器の造り方がイランのケルマーン州のテペ・ヤヒヤのものと同じことから、現在ではテペ・ヤヒヤの人々が銅鉱山の開発のためにオマーン半島に入植したと見られている。つまりもともとメソポタミアと交易をしていた
原エラム文明の人々が、商品となる銅を求めてアラビア半島に渡ったというのだ。


ウンム・アン=ナール文化(前2800〜前2000年頃)

その後、中心都市はオマーン半島の付け根にある場所で、ウンム・アン=ナール文化(前2800〜前2000年頃)が栄える。
アブダビ近くにある小さなウンム・アン=ナール島で多くの円形墓が発見されたが、多くのメソポタミアの土器のほかに少数のインダスの土器や象牙も発見され、インダス文明とメソポタミアを結ぶ海上交易の中継都市として栄えていたと推測されている。
まずオマーン半島で採掘した銅をここで精錬し、
それをメソポタミアの農産物やインダスの紅玉髄(カーネリアン)、アフガニスタンからエラム(イラン)経由で伝わったラピスラズリなどを取引していたのだ。
メソポタミアの文献に「マガン」国として出てくる国が、
このウンム・アン=ナール文化という。
もともと交易は陸路から始まったが、
海上輸送のほうがずっと楽に多くのものを運べる。
当時の船の技術は大したことがないが、波が荒くないペルシャ湾の場合は陸を目視しながらの航行ですんだ。
このネットワークに伴い、インダス文明では当時、
港湾都市だったと推測されているグジャラート州のロータルが、貿易を行っていたと推測されている。
つまり、メソポタミアとインダスの両文明の間は
不毛の地ではなく、商業ルートが確立されていたのだ。(続く)


by mahaera | 2018-12-25 22:53 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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