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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]統一へ向かうオリエント(前2300〜前1600年)その2 メソポタミアの諸王国

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(写真)シャムシ・アダド1世統治時代(前1800年前後)のメソポタミア。彼の治世はアッシリアが強国となったが、彼の死後、バビロニアのハムラビ王が頭角を現していき、メソポタミアを再統一する。(地図はwikiより引用)


[学校時代]
前2000年頃のアッカド人やシュメール人の生活ぶりを示す、
楔形文字で書かれた文学が『学校時代』だ。
子供の頃にNHKテレビで見た番組「未来からの遺産」でこの話が紹介され、印象的でずっと覚えていた。
主人公は学校でシュメール語を習っている生徒だ。
アッカド語やシュメール語を読み書きできる書記を養成する学校があった。
主人公の生徒は母親から弁当を受け取り、学校に行く。
先生は生徒の書いた粘土板の文字を読み、
間違っていると言って鞭で打った。
次に先生は文字が汚いと言って生徒を鞭で打った。
さらに生徒のシュメール語の発音が悪く、
まるでアッカド語のようだと鞭で打った。
また先生は生徒が許可なく喋っていると鞭で打った。

散々な目にあった生徒は、家に帰ると父親に先生を家でもてなして欲しいと頼む。
先生が家にやってきた。
父親は食事やナツメヤシ酒を出して先生をもてなし、
衣服を送った。
すると先生は手のひらを返したように生徒を褒めた‥。

この物語を読むと、
4000年前の古代人が身近に感じられるだろう。
やがてシュメール人は歴史の舞台から消えていくが、メソポタミアでは共通語、あるいは教養語として、この後の古バビロニア時代でもシュメール語はしばらく使われ続けていく。
また、アッカド語は古代オリエントの共通語として、各国間の文書のやり取りにも、その後数百年間使われ続けていく。


小国家が分立していた前1800年頃のメソポタミア

前2004年のウル第3王朝の滅亡後、メソポタミアはセム語系の遊牧民アムル(アモリ)人による小王国に分かれた。
北部のアッシリアは、アッカド王国、ウル第3王朝の時代は、その覇権下にある都市国家だったが、アッシュール神とその神殿がある都アッシュールを中心として徐々に栄え始める。
アッシリア商人たちが小アジアに進出して拠点を築いていったのもこのころだ。
最初の最盛期は、アムル人のシャムシ・アダド1世が前1813年にアッシリアを征服して王となり、訪れた。
新しく築いた都シュバト・エンリル(エンリル神の住まいの意味)の人口は、最盛期には2万人に及んだという。
シャムシ・アダド1世はさらに当時の強国マリを破り、北部メソポタミアを統一、「世界の王」の称号を名乗った。
シャムシ・アダド1世は多くの粘土板書簡を残したため、
当時の様子が知られている。

同じ頃、メソポタミア南部シュメールの地のラルサ王朝もこの時代、名君と言われたリム・シン王が60年にわたる安定した統治を行っていた。
しかし長年の灌漑農業による塩害には苦しめられ、インダス文明との交易も衰退していたようだ。

その2国に挟まれる形でチグリス・ユーフラテス中流域のアッカドの地に領域を広げていたのが、バビロン第一王朝(古バビロニア王国)だ。
この国家は、前1900年ごろにアムル人が、
バビロンを都として築いたもの。
しかし次第に版図を広げ、6代目の王ハムラビ(在前1792年-前1750年ごろ)の時に全メソポタミアを統一し、中央集権国家を確立する。しかし、アッシリアのシャムシ・アダド1世がまだ生きている時は、ハムラビ王もまだ彼に臣従し、機会を狙っていた。(続く)


by mahaera | 2018-12-28 10:33 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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