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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]統一へ向かうオリエント(前2300〜前1600年)その4 エジプト中王国時代

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(写真)テーベ(現ルクソール)のカルナック神殿跡。

前2000年ごろのテーベの人口は4万人で下エジプトのメンフィスの6万人よりも少なかったが、中王国〜新王国時代に大きく発展し、のちにエジプト最大の都市に発展する。


メソポタミアではアッカド王国、ウル第3王朝、そして古バビロニア王国など、都市国家から領域国家への再編が進み、東ではインダス文明、西ではクレタ島のミノア文明が栄え、北ではアーリア人の民族移動が行われていた頃、エジプトではどうなっていたか。

エジプト古王国時代の末期は中央集権体制が混乱し、短い治世の王や、上下エジプトで別々の王朝が現れるなどの第一中間期へと続いていた。
前2040年頃にようやくメンチュヘテプ2世が全国を再統一し、ようやく混乱が収まる。
こうして前1790年まで中王国時代が始まる。
この時代、都は第11王朝では上下エジプトの境界にある
メンフィスではなく、もっと上流のテーベに移された。
しかし次の第12王朝ではそれよりもやや下流のアル=リシュトに移された。
中王国のことは、教科書ではほとんど触れられず、「そんなものがあった」と覚えておけば、受験にはとくに問題はない。

この時代には、エジプトは再び国力を回復し、
各地への遠征を行った。
また、デルタ地帯の大規模な灌漑や干拓事業が行われ、
地中海東岸のレバント地方、
ギリシアのミノアやクレタ島などとの交易も盛ん
になった。
周辺地域では、フェニキア人やクレタ人の活動により
海上交易が盛んになっていた。
前2000年ごろに始まったアーリア人の民族移動により、
アーリア人の王国が西アジア各地で生まれていた。
メソポタミアでは、古バビロニア王国が栄えていた。

この時代、エジプトの生産力は増し、穀物、亜麻、パピルス、宝飾品、芸術品、ヌビアからの象牙や金などを輸出
フェニキア商人の手によって地中海各地へ運ばれ、
代わりにスペイン産の錫やレバノンの杉
ギリシアからのワインやオリープオイルが輸入された。

王だけでなく他の王族や貴族も富を蓄え、別荘を持ち、
装飾品を揃え、宴会を開くようになった。
エジプト語や文字も完成し、古王国時代よりも
細かい表現ができようになった。
書記養成学校が作られ、文字を学んだ者達から、
やがてエジプト文学が生まれていった。
ただし、一番の読者は王だったので、内容は教訓的、あるいは王の力を正当化するプロパガンダの要素を含んだものだった。

「アメンエムハト1世の教訓」は、暗殺された王が後の王に、「人を信用するな」と述べたもの。
物語文学ではエジプト文学の古典と言われる『シヌの物語』が生まれた。
アメンエムハト1世の暗殺を知って遠征から戻る途中、
高官のシヌは身の危険を感じて亡命する。
シヌはベドウィン族の娘と結婚して高い地位につくが、
望郷の念が強くなり、エジプトへ戻るという話だ。
宗教的には、テーベが都になった時、
町の主神だったアメン神の地位が高くなり、太陽神ラーと結合してアメン・ラー神としてエジプトの国家神となっていく。


by mahaera | 2018-12-30 09:32 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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