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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]統一へ向かうオリエント(前2300〜前1600年)その5 湾岸交易の衰退とエジプト中王国の滅亡

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(写真)中王国時代の都があったテーベ(現ルクソール)のカルナック神殿。
これはのちの新王国時代のもの。ナイルデルタ地帯は、中王国の終盤になると次第にアジアからのヒクソスが力を伸ばし、独自の王朝を作っていく。


バーレーンのバールバール文化(前2200〜前1600年頃)

メソポタミアではインダス文明の地は「メルッハ」と呼ばれ、インダス文字を刻した印章が多く出土している。
インダス産の紅玉髄(カーネリアン)を始めとする各種貴石製のビーズ類はウルなどから出土しており、またインドのロータル遺跡などではビーズ工房が発掘されている。

メソポタミアとインダス文明の中継貿易や銅の採掘などで栄えたオマーン半島のウンム・アン=ナール文化は、なぜか前2200年頃になると拠点をよりメソポタミアに近い現在のバーレーンに移した。
そのためこれ以降をバールバール文化(文明)
(前2200〜前1600年頃)と呼ぶ。
メソポタミアでは「ディムルン」と呼ばれた国だ。
時代的には、メソポタミアが統一されてアッカド王国やウル第3王朝ができていたころ。
そして当時のチグス・ユーフラテス川の河口は、現在よりもずっと内陸にあった(港の位置が違う)。
エジプトではちょうど中王国時代だ。

バーレーンでは銅は産出しないので、おそらく中継貿易のための都市だった(銅はオマーン半島で相変わらず採掘された)。
インダスの交易品は、初期のころは直接メソポタミアに運ばれることもあったが、この頃にはこのディムルンがペルシャ湾の交易を独占するようになった。
物流の流れを整理すると、メソポタミアからは穀物、毛織物、工芸品、オリーブオイルなどが、
インダスからは紅玉髄、ビーズ細工、木材、金
そしてアラビア半島からは銅、真珠、貝の象嵌細工などが輸出されていた。
バールバール文化は前1600年ごろから衰退に向かう。
はっきりとした理由はわからないが、おそらくインダス文明の滅亡、バビロン第一王朝の衰退により、交易が停滞したことが大きいのだろう。

まあ、世界史の教科書だと「メソポミア文明とインダス文明が交流があった」ぐらいの記述しかなく、この湾岸文明についてはほぼ触れていない。同時期の陸路の道を支配していた「トランス・エラム文明」は、10年ぐらい前の教科書には一瞬掲載されたが、その後、消えたみたいだ。まあ、そこまでは覚えなくてもいいってことだと思う。しかし知っておいても面白いと思って、ここでは紹介した。


ヒクソスによるエジプト中王国の終焉

前2000年ごろからアーリア人をはじめとする民族大移動が
西アジア全域で起きていた。
もっともそれは、何百年をかけてのゆったりしたものだった。異民族のあるグループは、地中海東岸からエジプトとフェニキアの交易路を通り、エジプトのデルタ地帯に侵入してきた。
エジプト人は彼らを「ヒクソス」と呼んだ。
彼らが何系の民族だったのかははっきりとわかっていない。
諸説あるが、現在では「シリア・パレスチナ系」という説が有力だ。
エジプト側からの資料しかないので、
長らくヒクソスは「蛮族」としてのイメージが強かったが、
エジプトを何世紀にもわたって支配して王朝を打ち立てていたほどなので、統率の取れた集団であったことはまちがいない。

とにかくヒクソスが軍事力でエジプトを圧倒したことは間違いない。
まずはウマの使用だ。エジプト人が移動に使う家畜は、
それまでロバを荷運び用に使うぐらいだった。
また車輪の使用も知らなかった。
歩兵中心だったエジプト軍を、ヒクソスはウマに引かせた戦車という機動力、複合弓、青銅の刀や鎧といった当時最新の技術や装備で打ち負かした。
こうして前1700年ごろヒクソスは下エジプトに政権を打ち立てる。
ヒクソスの侵入は、よく世界史の試験には出る。
というか、高校の世界史では、中王国時代はヒクソスの侵入しか教えていない。

次回からは、紀元前2000年ごろからの民族大移動とその影響、エーゲ海文明などについての話になると思う。



by mahaera | 2018-12-31 11:12 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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