人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

子供に教える世界史[古代編] インド=ヨーロッパ語族の民族移動の時代(前2000〜前1500年)その3 インド=ヨーロッパ語族

子供に教える世界史[古代編] インド=ヨーロッパ語族の民族移動の時代(前2000〜前1500年)その3 インド=ヨーロッパ語族_b0177242_00053001.jpg

(写真)パキスタン北部山岳地帯、フンザ地方グルミット村の少女たち。

このあたりは、パキスタンでもインド系ではなく、イラン系の顔立ちの人が多い。


人種とは別に「インド=ヨーロッパ語族」が広く拡散したことは学説的にはほぼ定説となっている。
これは話者人口では現在世界最大の語族で、
大半のヨーロッパ言語とイランのペルシャ語、
インドのヒンディー語
などが含まれている。

ヨーロッパ系の言語とヒンディー語は今ではかなり異なるが、18世紀末に古代語であるサンスクリット語と古代ギリシャ語が同じような構造であることに気づいた学者がおり、以降、研究が進んだ。
そこでそれらの諸言語の大もとになる「印欧祖語」があると推測され、その起源を探すようになる。

印欧祖語がどこで生まれたかについては諸説あるが、現在では紀元前5000年ぐらいにウクライナ南部からアナトリア半島北岸にかけての地域、つまり黒海の北岸から東岸、そして南岸の一部、カフカス山脈にかけてその話者が住んでいたと推測されている。
そして言葉に含まれる単語と考古学の研究が進み、
その社会もだんだんとわかるようになってきた。
生活では牧畜と農耕が主で、一部では遊牧という社会形態も始まっていた。
ともあれ、一番の財産は家畜で、牛、馬、豚を飼っていた。
車も導入され、家畜に引かせており、銅器や青銅器は使われていた。
宗教は多神教で、神は天に住み、天空神が重要視された。のちの話だが、世界最初期の騎馬文化が生まれたのもこの語族だ。

従来はインド=ヨーロッパ語族とは見られていなかった「古アナトリア諸語(ヒッタイト人)」なども前5000年ぐらいの早い段階で枝分かれした言葉とみられている。
同時期に分かれた言葉としては、紀元後8世紀まで現在の新疆で使われていたトカラ語もあるが、共に死語になっている。
その次に分かれたのが古代ギリシャ語やアルメニア語だ。
当然ながら古くに分かれた言葉ほど、他の言語との隔たりが大きい。

そしてインド・イラン諸語と、
ヨーロッパ系の言語に分かれたのがだいたい前4000年ごろ。
インド・イラン語派のもとは中央アジア付近で形成されていったと考えられ、前2500〜2000年ぐらいの間にそれぞれ別の言語へと分かれて行った。
インド・イラン語派の話者は現在、バングラデシュのベンガル語からトルコ東南部のクルド語までの範囲にわたって広範囲に広がっている。
ちなみにヨーロッパのロマ(ジプシー)語も、このインド・イラン語派に入る。

最初に東へ移動したグループは、ヒッタイト人やギリシャ人となった。
エーゲ海周辺ではイリオス(トロイ)などで前2200年ごろ一度文化が断絶しているが、インド・ヨーロッパ語族の最初のギリシャ人がこのころに移住してきたとみられている。
しかしギリシャやヨーロッパ方面への民族移動は、
この後、何回も続く。

インド・ヨーロッパ語族の民族は、前1900年ごろからオリエントの地へも少しずつ侵入しだした。
最初に彼らが国を作ったのは小アジアのヒッタイトだが、メソポタミア北部に建国したフルリ人の国ミタンニも、フルリ語は膠着語だが、単語に多くのサンスクリット語系の言葉を含んでいる事から、支配階級はインド・アーリア語族の可能性が高いという。フルリ人は馬を用いた戦車を使っていた。(続く)
by mahaera | 2019-01-24 00:07 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
<< 名盤レビュー『ザ・ビートルズ/... 2018年映画マイベストテンを... >>