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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]前1200年のカタストロフとオリエントの混乱/その3 出エジプト記

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(写真)シナイ山の日の出。今ではユダヤ、キリスト教徒にとって有名な巡礼地だが、そもそもこのモーセが登ったシナイ山は旧約聖書の記述からするとこの場所ではなかったという説も数多くある。が信じる者からすれば、どこでもいいのである。

モーゼに率いられた「出エジプト」は本当にあったのか。
そもそも旧約聖書を、歴史書としてみていいかという問題もある。
旧約聖書の通りなら、エジプトから壮年男子だけでも60万人、家族を入れたら200万人という規模のヘブライ人の移動があったことになるが、それは有り得ない。
このころのエジプトの都テーベ(ルクソール)でさえ人口は7万人程度だったのだから、本当は数百人だったのではないか。
ともあれ、世界史の中では「出エジプト」はあったのか、あったとしてもどの程度の規模だったのかは、今もよくわかっていないのだ。
ただ、あったとしたら、ラムセス2世の長い在位時代の前1250年ごろだったという。

また、ヘブライ人が一神教になったのもエジプトにいる間という説もある。
「世界初の一神教」と言われているのが、前14世紀にエジプトのアメンホテプ4世が始めたアトン信仰だ。
他の神を崇めることを禁止したこのアマルナ革命はアメンホテプ4世の死後に頓挫したが、当時エジプトに移り住んでいたヘブライ人の間で広がったというのである。

「出エジプト記」の中で示される「十戒」の最初は「汝は私の他に何者も神としてはならない」だが、これは深読みすれば「十戒」以前のヘブライ人は多神教だった、あるいは多神教の人々もいたことを示している。
また次に「汝は自分のために刻んだ像を造ってはならない。」と偶像を禁止しているが、これもそれまで偶像を拝むものがいたということだ。

「出エジプト記」でモーゼがシナイ山に登っている40日の間、脱出したヘブライ人たちは待ちくたびれてモーゼの兄アロンに別の神を頼み、偶像として造られた“金の牡牛”を拝む。
当時、牡牛は偶像としては珍しいものではなかった。
エジプトだけでなく、ミノア文明でもインダス文明でも牛は神聖なものだった。
が、モーゼの怒りは凄まじく(まあ自分の仕事ぶりを皆が裏切ったのだから)、十戒の石板を割り、金の牡牛を燃やし、扇動した3000人を殺害する(こわ)。

旧約聖書の「モーゼ五書」のうち、ストーリー的に「出エジプト記」に続くのは「申命記」だ。
これは出エジプトの2年2か月後から始まり、ヨルダン川にたどり着く40年後までを記したもの。
モーゼはそんなシナイ半島からそう遠くないカナン(パレスチナ)に入るまで本当に40年かかったのかだが、当然ながら先住民がおり、聖書の記述を信じるならばそれを滅ぼしながらなので、まあ時間がかかったに違いない。
またこの時代も、ヘブライ人は王に率いられるのではなく、多くの族長に率いられた部族の連合体だった。
それが統一されるまでには、あと100〜200年はかかったのだ。(続く)


by mahaera | 2019-04-20 12:00 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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