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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史 [古代編] 前1200年のカタストロフとオリエントの混乱/その7 ヒッタイトとウガリットの滅亡

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(写真)ミケーネの獅子門。ミノア文明やトロイアを滅ぼしたミケーネも、前1200年のカタストロフであっさり滅亡している

前1200年を過ぎると、ヒッタイト王国各地では、反乱や軍事行動が相次ぐ。前1195年前後、ヒッタイトの同盟国で、地中海東岸で当時一番繁栄していた都市国家ウガリットが滅亡する。
ヒッタイト王は「敵が来る」とウガリットに警告していたが、肝心のウガリットの軍隊はヒッタイトの要請でアナトリアへ、艦隊はキプロスに出かけていた。
ウガリットの滅亡は短い間に起きたものだったらしい。

それからまもなくヒッタイトの首都ハットゥシャが炎上する。一体、誰によって攻撃されたのかは、王国滅亡の頃の文書が残ってないのでわからない。
ともかく王都ハッシゥシャは炎上し、ヒッタイトは滅亡した。
ヒッタイトの滅亡は、従来はエジプトに襲来した「海の民」と同じグループによるものと言われていたが、最近は反乱か起きたか、それとも住民が蜂起して自主的に放棄したという説にも変わってきている。

ギリシアに「暗黒時代」が到来
ギリシア本土でもその頃、ミケーネ文明が滅亡した。
ミケーネ、ティリンスといった都市が破壊され、文明そのものが消滅したのだ。
彼らが使っていた線文字Bも、以降は誰も使うことがなく、歴史から忘れ去られた。
以降のギリシアは都市が衰退し、文字資料がない「暗黒時代」が約400年続く
ただし、その間に口承文学が発達しており、暗黒時代末期にホメロスによってまとめられていくことになる。

ミケーネ文明滅亡の理由だが、2003年ごろまでの世界史の教科書には「ギリシア北部から南下してきたドーリア人によるもの」と記述されていた。
しかし現在はその説は否定され、ドーリア人ではなくエジプトを攻撃した「海の民」ではないかと言われている。
ミケーネ人は何かを書き残す余裕もなく、滅亡してしまったからだ。

ちなみに「ドーリア人侵入説」はギリシアの歴史家トゥキジデスの「戦史」に、「トロイア陥落の80年後にドーリア人が南下してスパルタに定着」という記述があることから生まれた。
実際は、ドーリア人はすでにミケーネ文明が破壊された後にやってきたようだ。
ドーリア人はスパルタの支配層になり、先住の人々を奴隷、あるいは非自由民として軍国国家を築いていく。

イオニア人の都市アテネはかろうじて滅亡は免れたようだが、その後、停滞期に入る。
ギリシア本土にいた多くのイオニア人やアイオリス人はドーリア人に押されて、エーゲ海の対岸のイオニア地方へと次第に移住していったようだ。

エジプトでは、前1186年ごろラムセス3世が即位していた。
彼の即位8年めには「海の民」が二度目の大規模なエジプト侵入を試みた。
これはパレスチナ方面からの地上軍と海からの攻撃の二面作戦だったが、エジプトは両方とも撃退。
この時の海の民の構成は、トロイア、シチリア、ペリシテ人たちなどと記録されている。
東地中海北岸に住んでいた人々が何らかの理由で故郷を失い、大きな集団となって押し寄せたのだろう。
負けた「海の民」の一部は傭兵になったり、ペリシテ人のようにカナン(パレスチナ周辺)に定住したりした。
またラムセス3世はこの頃、リビア人の侵入も二度撃退しており
おそらくリビアでも深刻な食糧難があったのだろう。 (続く)


by mahaera | 2019-05-04 10:42 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)
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