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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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名盤レヴュー/エルトン・ジョンその24●『アイス・オン・ファイヤー』Ice on Fire(1985年)

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 1985年11月発売。ライブエイドの好演、シングル『悲しみのニキタ』の大ヒットもあり、イギリスでは3位とヒットし、80年代のエルトン全盛期の中の一作だが、アメリカでは前作の20位に比べ48位と伸び悩んだ。時代はもはやマドンナやプリンス、マイケル・ジャクソンのようなPV受けのいいスターが活躍するようになっていたのだ。

 録音は1985年1月から6月まで断続的に行われた。プロデューサーは今までのクリス・トーマスに代わり、70年代のエルトンを支えたガス・ダッジョンで、彼が建てたイングランドのソルスタジオで録音が行われた。これはダッジョンの経済的な窮状を救うためとも言われている。

 1曲を除き、すべてエルトンとパーニーのコンビによる作品。
録音メンバーは前作までのエルトン・ジョンバンドからまたしてもドラムのナイジェルとベースのディーが抜ける。ギターのデイヴィーとツアーメンバーだったフレッド・マンデルは残留。それ以外は曲によって異なるセッションメンバーが加わった。また、ジョージ・マイケル、ブライアン・メイらのゲスト参加も話題になった。

 そんな諸々の事情により、バンドサウンドだった前作までの勢いはなくなり、再びスタジオミュージシャンの匿名的なサウンドに。また全体のサウンドも、80年代のキラキラサウンドで、今聴くと辛いかも。
 曲自体はあらためて聴くとそんなに悪くはないのだが、どうしてもそれほど聴き返すという感じにはならない。
エルトンはこの辺りから再び低迷期に入りつつあった。

 アルバムからの1stシングルは『悲しみのニキタ』(B面はアルバム未収録の「The Man Who Never Died」)』で、イギリスでは1985年10月にリリースされ全英3位のヒット。
アメリカでは翌1986年2月にリリースされ7位のヒットになり、80年代エルトンの代表曲のひとつになった。
バックコーラスにはジョージ・マイケルとニック・カーショウが参加。映画『Tommy』のケン・ラッセル監督によるPVも作られた。
ベルリンの壁(この頃はまだあった)の警備に配属されているロシアの女性将校ニキタに恋をするエルトンという設定で、壁や検問所が出てくる。ニキタの役をしているモデル・女優のアンナ・メジャーは、前年にアップル・マッキントッシュの「1984」のCMにでて、名が知られるようになった女優だ。
ちなみに「ニキタ」はロシアでは男の名前だということには、誰も突っ込まなかったのか。

 2ndシングルはワム!のジョージ・マイケルをフューチャーした『ラップ・ハー・アップ』で全英12位、全米20位のスマッシュヒット。PVはいつものラッセル・マルケイ監督で、過去の映画スターなどの女性たちの資料映像を絡めたもの。
ライブシーンではジョージ・マイケルも登場するが、エルトンの髪型がヘン。当時の流行のドラムサウンドで、どちらかといえばワム!にありそうな曲。
 曲の良し悪しはともかく、歌としてはあまりエルトンの良さは引き出されていない。全編ジョージ・マイケルが合いの手でファルセットボイスを聞かせる。

アルバムからの3枚目のシングルは『浄罪の叫び - Cry To Heaven』で、こちらは全英47位、アメリカではチャート入りせずとヒットはしなかった。普通の出来のバラード曲かなあ。

以下全曲をさらり。そろそろ全曲説明するのがきつくなってきたなあ。
A-1『ジス・タウン - This Town』この時流行っていた打ち込みダンスビートの曲だが、今聴くと、、、。
A-2『浄罪の叫び - Cry To Heaven』前述
A-3『ソウル・グローブ - Soul Glove』古きソウル曲のようで曲は悪くはないのだが、ドラムを始めサウンドがそれを殺しているような。
A-4『悲しみのニキタ - Nikita』前述
A-5『トゥー・ヤング - Too Young』ゆったりとしたバラード

B-1『ラップ・ハー・アップ - Wrap Her Up』前述
B-2『サテライト - Satellite』派手80sサウンドのリズムが前面に出すぎで、エルトンの歌が引っ込んでしまったのが残念。
B-3『非情の通知 - Tell Me What the Papers Say』B-4『キャンディ・バイ・ザ・パウンド - Candy by the Pound』モータウン風のソウル曲。このころはこうしたタイプの曲が多かった。
B-5『シュート・ダウン・ザ・ムーン - Shoot Down the Moon』いつものバラード。

その他に、アルバムには収録されていないシングルのみのミリー・ジャクソンとのデュエット『エルトンのケンカ大作戦 - Act of War』が発売され、こちらはイギリスで32位、アメリカではチャートインせずと不発だった。日本語タイトルがひどい。


 前年のほぼ一年を使ったツアーを終えたエルトンは、1985年の前半はほぼ何も活動しなかった。女性とは結婚はしたが、当然ながらうまくいっていなかった。
再びエルトンは、ドラッグやアルコールに溺れるようになっていく。このアルバムの録音も集中してではなく、断続的というところにそれが現れている。

 散発的にテレビ番組に出演した後、エルトンが人々の前に姿を現したのは7月13日のロンドンのウェンブリーアリーナで開かれた「ライブ・エイド」だった。他の人よりも多い持ち時間(フィナーレを除けば実質トリだった)で、演奏したのは6曲。「アイム・スティル・スタンディング」「ベニーとジェッツ」「ロケットマン」「恋のデュエット」(withキキ・ディー)「僕の瞳に小さな太陽」(with ワム!)「キャン・アイ・ゲット・ア・ウィットネス(マーヴィン・ゲイのカバー)」
演奏は素晴らしく、少なくともライブではエルトンの健在ぶりを見せつけた。そしてジョージ・マイケルの名唱も忘れられない。

 11月からはアイルランドのダブリンを皮切りに新作だった『アイス・オン・ファイヤー』ツアーが始まる。「トゥナイト」で始まり、「キャン・アイ・ゲット・ア・ウィットネス(マーヴィン・ゲイのカバー)」で終わる25曲のセットリストのうち、『アイス・オン・ファイヤー』からは4曲(A-1,4、B-1,5)。他も『プレイキングハーツ』と『トゥー・ロウ・フォー・ゼロ』から3曲ずつなど、セットリストの半数は80年代の曲だった。またレオン・ラッセルの「ソング・フォー・ユー」のカバーも披露された。
ロンドンのウェンブリー・アリーナをピークに、年内のツアーは12月31日のボーンマスまで続けられた。このイギリス・アイルランドツアーは、年をまたいで翌年の1月末まで続けられる。
 しかしエルトンの精神は、非常に不安定なものになりつつあった。




by mahaera | 2021-05-24 13:54 | 名盤レビュー | Comments(0)
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