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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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2016年 07月 31日 ( 1 )

子供に教えている世界史・総力戦の始まり/第一次世界大戦

第一次世界大戦はそれまでの古い時代の終わりでもあった。
戦争の始まりは、旧来のシステムの延長だった。
まず、それまでは国際間の紛争を戦争によって解決するのは、よくあることだった。
そして、このころの国家は一部の国を除けば「国民のもの」という意識が薄く、戦争開始は国民の審議を問わなくても可能だった。
特に皇帝や国王が納める国では。
しかし4年にわたる戦争の最中に、世界のシステムは変わっていく。

さて、人類史上初めての「総力戦」が始まると、
戦争の当事者双方が「これは今までの戦争とは違う」と気づいた。
まず、あっという間に、大量の武器を消費してしまい、
生産が追いつかなくなった
フランスの野砲の砲弾は、当初の生産量では1日3発しか撃てないことがわかったし、ドイツでは戦争開始時に月産15万発だった砲弾を、1年後には100万発まで増産体制を作ったが、それでも足りなかった
総力戦になると、工業生産は全て兵器優先になる。
兵器を作る大企業は繁栄し、中小企業は閉鎖されていった。

映画『戦火の馬』でも描かれていたが、
当初はお互いの軍の司令官が近代戦を理解していなかった。
ナポレオン時代のように騎兵隊が突撃し、兵士は馬ごとバリバリと機関銃になぎ倒された
歩兵も機関銃の前に1、2分で数百人が命を落としていった。
しかし上官たちは、それ以外に戦法を知らなかった。
1914年が終わるまでに、早くもドイツ軍が68万人、フランス軍は85万人が死傷していた。
1916年に行われたヴェルダン戦では、両軍で2000万発以上の砲弾を使い、合わせて70万人に及ぶ死傷者を出した。
その南のソンムの戦闘では、イギリス軍は突撃により、
1日で死傷者6万人と、参加兵士の半数と将校の3/4を失った。

第一次世界大戦というと思い浮かぶのは、「塹壕戦」だろう。
西部戦線に築かれたこの長い塹壕を挟んで、
両軍はたちまちこう着状態に入った。
「鉄条網」が行く手を阻む中、無意味な突撃が繰り返され
たちまち死体の山が築かれ、死臭が立ち込め、
ネズミが病気を媒介した。
戦死でなく、病死者の数も同じくらいいたという。
戦争のこう着状態を打開するために、毒ガス、飛行機、戦車、潜水艦といった近代兵器が次々と実戦に使われ出した。

各国は挙国一致体制になり、軍需優先の戦時経済は、
たちまち労働者不足を呼んだ。
イギリス国内では女性が男性の仕事を担うようになった。
これはのちの女性参政権につながる。
軍事物資以外の生産に関しては、海外植民地を持っているイギリス、フランスが有利だった。
直接戦争に巻き込まれなかったアジアの国々や植民地は、
戦時景気の恩恵を受けた。
特に工業化の進んでいた日本は、大いに儲かった
インドや中国では民族資本が伸び、やがてそれらの資本家の援助が独立に欠かせなくなっていく。

世界最大の経済大国アメリカは、当初、中立を維持することで同盟国、連合国双方と貿易を行い、貸付も行い莫大な利益を得た。
しかし、戦争も中盤になると、大西洋の制海権を握っているイギリスとの貿易が大半を占めるようになる。
ドイツは、アメリカからイギリスへ送られてくる物資を阻むため、
民間船への潜水艦攻撃を始めた。
戦争開始より、ドイツ自慢の海軍はイギリス海軍によってほぼ港に封じ込められ、たいして活躍をしていなかった。
そこでなんとか存在感をアピールする必要があったのだ。
ただし、これは逆効果になり、アメリカ参戦の口実になる。

一方、1916年には農民が主で工業化が遅れているロシアは、
近代的な総力戦にはもう耐えられなくなっていた

開戦時に530万人、16年末には1400万人が動員され、うち戦死53万人、負傷230万人、捕虜や行方不明者が250万に達していた。
この負担は国民に重くのしかかった。
革命は目前に迫っていた
by mahaera | 2016-07-31 11:05 | 世界史 | Comments(0)