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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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2016年 10月 27日 ( 1 )

子供に教えている世界史・ 逆転する戦線/スターリングラードとガダルカナル(1941〜1943年)

1941年12月8日、日米開戦。太平洋戦争始まる。
もちろんアメリカ側は暗号解読によって日本側の奇襲は予測していたが、
アメリカが予想していた侵攻先はタイ南部やインドシナ半島で、
まさかのパールハーバーだった。
つまり日本の完全な不意打ちは成功したのだ。
ただし、戦闘には勝っても戦争に勝つには不利な場合もある。
米大統領は、もし東南アジアが日本に攻撃された場合、
議会が日本との開戦に同意するかが心配だったが、
それは日本のアメリカ領土への奇襲により杞憂に終わった。
アメリカ参戦の口実は、最高の条件で揃ったのだ。
もはや、アメリカ国民で開戦に反対するものは一夜にしていなくなった。

日本では、日米開戦に国民が熱狂した。
「この戦争は明るい」と述べるものもいた。
一向に解決しない“支那事変”に重くなっていた空気を、
初戦の勝利や以降の南方への進出が吹き飛ばした。
蘭領インドシナを制圧し、鉱物資源や石油は確保した。
支那事変には反対していた知識人も、
南方への進出には拍手喝采を送った。
何しろ「アジア人を欧米支配から解放する」という、
「正義」を本気で信じていたからだ。
しかし日本の進撃も大して長くは続かなかった。
いや、たったの半年だけだった。
パールハーパーで目標の空母を逃したことが仇となり、翌1942年の6月のミッドウェー沖海戦では、海軍は早くも主力空母を失う。
そして9月には南方のガダルカナルで、
米軍の反攻の前に釘付けになる。

日本の生産力は限界に達していた。
1941年には徴兵数が240万人で男性人口の6/9%だったが、
終戦の45年にはそれが20.5%にまでなった。
ちなみに国民経済負担を考えると、
兵員は成人男性人口の1割が限界だという。
成人男性を兵士に取られた分、工場は生産が追いつかなくなり、
農村は疲弊、教育水準は低下、家庭は崩壊していく。
人手が足りない分を朝鮮から150万人という強制連行で賄った。

国力のあるドイツは1943年まではまだ生産力があったが、
敗戦色が濃い1944年になると、西部戦線のドイツ兵は
ドイツ人以外の割合が非常に高かったことで知られている。
つまり東部からきた、ドイツ語を話せないドイツ兵たちだ。

一方、アメリカは開戦時の総兵力は60〜70万人だったが、
もともとの人口が違うため、すぐに増員し、
終戦時には1200万人にまで兵力を増強できた。
同時に軍需産業も成長し、1500万人の雇用が生まれたため、
大恐慌以来の失業者は一気にいなくなり、
むしろ深刻な人手不足になった。
10年間続いたアメリカの不況は、
皮肉なことに戦争によって完全に回復したのだ。
女性が社会進出し、多くの黒人が南部の農村地帯から北部の工業地帯へと流れていった。
とはいえこの時代、黒人差別は軍隊でもあり、
黒人は黒人だけの部隊に入るしかなかった。
アメリカは連合国全体にも軍需物資を供給したので、
ピーク時には生産量は大恐慌前の2倍以上にも達し、
戦争によって生産力が落ちていった日本とは対照的だった。
一方、アメリカ政府は税収を増やすため
1943年から「源泉徴収税」を導入。
日本も同じ理由で、1940年に源泉徴収制を導入している。

独ソ戦では、ドイツ軍は石油を求めて目標をモスクワから
南に変え、カフカスを占領。バクーの油田を狙う。
1942年9月、ドイツ軍がスターリングラードを包囲する。
11月、連合軍が北アフリカに上陸開始。
12月、ソ連軍スターリングラードで反撃開始。
このスターリングラードの戦いが、
第二次世界大戦最大の戦いだった。
ヒトラーもスターリンもどちらも引けぬ戦いで
ドイツら枢軸国軍120万人、ソ連軍170万人が対峙し、
枢軸国軍の死傷者85万人、ソ連軍の死傷者120万人、
民間人20万人が死んだといわれる。
ヒトラーは玉砕を命じたが、
1943年2月2日、生き残っていたドイツ軍9万人は降伏した。
うち5万人は数週間のうちに死亡し、
生き残って故国に帰れたのはわずか6000人だったという。
この失敗により、ドイツは全兵力の1/4の150万人を失い、
様子見していたスペインとトルコも
ドイツ側に立って参戦するのを諦めた。

ドイツ軍がスターリングラードで降伏する前日の2月1日、
半年間の攻防戦の結果、日本軍は2万5000人もの
戦士・餓死者を出して、ガダルカナル島で撤退を始めた。
以降、日本は連合国軍に追い込まれていくが、
逆に国内では軍事独裁を強めていった。
この年、中学生以上の学徒動員、学生の徴兵制猶予停止と、
日本が占領した国々を後に独立させる方針を打ち出す。

日本の占領や戦争は東南アジアの経済を破壊した。
というのも戦前の東南アジア植民地は、
宗主国への輸出品のモノカルチャーに頼っているところも多く、
その輸出がストップしてしまったわけだ。
また、欧米からの機械の部品や工作機械に変わり、
日本製のものに変えようとするうちに、日本は制海権を失ってしまった。

1943年7月、イタリアではクーデターによりムッソリーニが失脚。
9月に戦線離脱するが、すぐにドイツに占領される。
このあと、イタリアはドイツに宣戦布告して連合国側につくことになる。
ドイツでは、将軍たちがヒトラー暗殺を計画したり、
ヒトラーに反対する「白バラ」事件があったりしたが、
日本ではまだ神風を信じていた。
ちなみにヒトラーは、スターリングラードの敗北以降、
軍部と対立して、うつ気味になっていく。。

1944年3月、ビルマで日本は無謀なインパール作戦を開始。
日本戦史史上、最もずさんな作戦と言われるこの作戦で、
戦死を上回る戦病死者を出し、7月作戦は中止。

一方、6月に連合軍がフランス西部のノルマンディーに上陸し、
西部戦線が開かれた。

終戦まで、あと1年あまり
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by mahaera | 2016-10-27 15:30 | 世界史 | Comments(0)