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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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2018年 11月 27日 ( 1 )

子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2300年ごろ)2・エジプト古王国時代(その9)

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古代エジプトの社会構造

古代の他の王国の王が神職と統治が分離していったのに対し、古代エジプト王朝では2500年に渡り最後まで王を頂点とする神権政治が行われた
王は地上の統治者であり、唯一、神と同等な“生ける神”だった。
とはいえ、人間ではあるので、生まれて老いて死ぬことには変わりなく、また裏切られて殺されたり、廃位させられたりすることもあった。
ざっくり言うと、昔の日本の“天皇”に近いイメージだろうか。
違うのは重要視されるのが、“血統”ではないことだろう。
古代エジプトには30の王朝あり、血筋に関係なく続いている。
そのあたりは王朝が変われば人々は気にしなかったのだろう。
基本的な統治システムは、王を頂点に宗教的な祭儀を行う神官たち、実際の統治を行う宰相と高官、その配下の官僚機構に分かれていた。
成文法はまだないが官僚社会であり、官僚の主な仕事は王国の財政を維持する「徴税」だった。
そのためには、帳簿をつける多くの「書記」が必要で、
それには文字の学習が必要だった。


古王国時代の都市と人口

官僚組織が整い始めたのは第3王朝以降のピラミッド時代だ。
官僚機構が整ったからこうした事業が達成できたのか、

それとも事業を通して官僚機構が整ったのかは両方だろう。
とにかく巨大ピラミッドを造るには国家システムが整っていなければ無理で、穀物の徴税と分配がすみやかに行われるようになった。
古代エジプトは「都市なき文明」と呼ばれるほど、都市人口が少ない古代文明だったと言われている。
古王国時代の人口は資料によれば120万人程度で、そのうちの95%は農村に住んでいた。
農村の人口は平均して450人ほどという。前3000年ごろの古王国時代には、都市と呼べるのは首都となったメンフィスと宗教的な都市アビドスぐらいしかなかった。
人口はメンフィスが2〜3万人、アビドスが2万人ぐらいと推定されている(ただし同時期、人口で対抗できる都市は世界でもウルクとスーサぐらいしかなかった)。
前2300〜前2000年ごろもメンフィスの人口は3万人程度、
その代わり宗教都市ヘリオポリス(カイロ近郊)と
上エジプトの中心テーベ(ルクソール)がそれぞれ人口2万人ずつになっていた。


古王国時代の対外交易
古王国時代の外国は、ナイル上流のヌビア、シナイ半島から先のパレスチナ、そして西の砂漠の向こうのリビアだった。
ヌビアからは金や水晶などの鉱物資源、象牙、香料、傭兵がもたらされていて、たまに遠征も行った。
パレスチナヘ向かう途中のシナイ半島には銅鉱山があり、またエジプトにはないレバノン杉や香木、オリーブやワインなどがもたらされ、さらに先の西アジアの国々との交易も行っていた。
もっとも遠くのものは、アフガニスタン産のラピスラズリが出土している。
ただし対外交易はほぼ王家によって行われ、一般の人々が交易をし、商人が生まれるのはエジプトではもっと後の時代になってからだ。(続く)


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by mahaera | 2018-11-27 10:18 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)