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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

2019年 03月 17日 ( 1 )

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国(前1570〜前1200年)その1 エジプト新王国の誕生

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(写真)現在もハトシェプスト女王の葬祭殿は、ルクソールの人気観光地だ。

久しぶりに舞台はエジプトへ。
前2000年から前1500年にかけておきたインド=ヨーロッパ語族の民族移動は、馬と戦車という最新兵器と共にオリエント、イラン、インドに大きな変動をもたらした。
しかし当初はやられっぱなしだった国や地域の中には、その最新軍事技術を取り入れて再興した国がある。
それがエジプトだ。

インド=ヨーロッパ語族の移動に押し出されるように、「ヒクソス」と呼ばれるレバント(地中海東岸)地方のさまざまな民族の混成軍がエジプトを征服したが、彼らが軍事的に優位だったのは、その「馬と戦車による戦術」を取り入れていたからだった。
当時のエジプトはロバに戦車を引かせていたから機動力では太刀打ちできなかった。
しかし、そんなヒクソスの王による統治も100年も続けば、エジプト人も技術を学び馬と戦車を利用するようになる。
こうしてヒクソスを追い出してエジプト人による王国を再び興す。これが「新王国」時代だ。

新王国は古代エジプトの中でももっとも繁栄した時代で、傑出したファラオが次々に現れた。

教科書に名が載るだけでも、エジプト史上初の女性ファラオのハトシェプスト女王、遠征を繰り返し「エジプトのナポレオン」と呼ばれたトトメス3世、世界初の一神教を生んだアメンホテプ4世、黄金のマスクで知られるトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)の4人がいる。
この時代、対外的にはシリアなどのレバント地方に進出し、またオリエントの国際政治に深く関わっていた。

ヒクソスの駆逐とエジプト再統一
ナイル下流域の下エジプトに都を置いたヒクソスの王朝に反旗を翻したのは、ナイル中流域のテーベ(現ルクソール)拠点としていた第17王朝だった。
3代の王による対ヒクソス戦争が行われ、前1570年ごろ下エジプトのヒクソス勢力をエジプトから駆逐。
イアフメス1世はさらにヒクソスの残存勢力をパレスチナに追い詰めて滅亡させる。
以降シリア南部にエジプトの統治が及ぶことになる。
また彼は南のヌビア(現スーダン)にも遠征し、それを支配下に置いた。実際はその前のヒクソスと並立していた17王朝と連続しているが、古代エジプトの歴史区分的には、この功績からイアフメス1世を第18王朝の創始者とし、「新王国時代」となっている。
続くアメンテヘプ1世は内政に力を、次のトトメス1世は外征に力を注ぎ、当時力延ばし始めていたミタンニ王国に圧力を加えた。
その後を継いだトトメス2世は病弱ということもあり、姉のハトシェプストと結婚して王位継承の正当性を強化。
側室との間の子トトメス3世を後継者に指名して死去する。
しかしトトメス3世はまだ幼かったので、ハトシェプストが共同統治者として摂政となり、エジプトでは女性として初めて女性が最高権力を持った(前1493年〜前1483年)。
ハトシェプストは公式な場では男装し、あごひげをつけていたという。


by mahaera | 2019-03-17 11:27 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)