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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

2019年 03月 21日 ( 1 )

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国(前1400年ごろ〜前1200年ごろ)その2ハトシェプスト女王とトトメス3世の時代

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ハトシェプスト女王時代のエジプトは平和外交が主で、戦争も少なかった。
しかしその一方、先王であったトトメス1世が抑えたシリアでのミタンニ勢力が力を伸ばしていた。
あと記録では南方のソマリア付近にあったブント国との貿易が残っている。
ブントからは金や香料、象牙、奴隷、ヒヒなどが輸入された。

50歳でハトシェプストが亡くなり、トトメス3世(在前1490〜前1436年)の単独統治時代が来る。
彼はまず彼女の彫像や墓などを破壊し、記念建造物から名前が削り取られ、ハトシェプストの記録を抹消した
エジプトの王に女性がいた痕跡を消したかったか、単に彼女が嫌いだったか。
トトメス3世は単独統治に入ってすぐ、シリア遠征を行った。
これはミタンニ王国が、シリア北部のカデシュ王を盟主としてシリアの諸都市に「反エジプト同盟」を組ませて対抗したからだ。
トトメス3世はシリアの反エジプト同盟軍を撃破し、以降、監察官を置いて支配を固める。
しかしその後もシリアの反抗は続き、トトメス3世は都合17回のシリア遠征を行っている。
8度目にはアレッポ近郊でミタンニ軍と戦い、敗走するミタンニ軍を追いユーフラテス川にまで達した。
この勝利により、エジプトは国際的にもヒッタイトやカッシート、アッシリアといった国に、シリアでの主権がエジプトにあると認めさせた。
南では現在のスーダンにあったクシュ王国を屈服させた。
こうしてエジプト新王国の版図を過去最大にしたため、「エジプトのナポレオン」とのちに呼ばれるようになった。

国王と神官団
トトメス3世の死後も有能なアメンヘテプ2世、トトメス4世といった王が後を継ぎ、何度か起きたシリアの反乱を手早く鎮圧した。
しかし一方で、この時代にはテーベの神官たちが強力な力を持ち、王と緊張関係を持つようになって行った。
国家神であるアメン・ラーを祀るカルナック神殿には、エジプトが戦争で勝利するたびに膨大な戦利品が寄付され、経済的にも国家予算の半分を手にしていた。
記録によると、神殿領はエジプトの全耕地の1/3を所有し、その神殿領の全財産の3/4をテーベの神殿が保有していた。
そのため国王を誰にするかでも、神官たちの力が働いていた。
戦争に勝つたびに、神官たちの力は強くなっていったのだ。

トトメス4世はその力を削ごうと、他の神への寄進も行った。
次のアメンヘテプ3世(在位前1386年〜前1349年)は40年にわたる統治の間、アメン神官団をうまく抑え、多くの建造物が造られた。
今もルクソールに残る「メムノンの巨像」は、アメンヘテプ3世の座像で、彼の巨大な葬祭殿の一部だった。
ただし葬祭殿自体は現在ではほとんど残されていない。
また、ルクソール神殿もこの時代に建設された。(続く)
(写真)ルクソールにある「メムノンの巨像」は、アメンヘテプ3世葬祭殿の一部だった


by mahaera | 2019-03-21 11:04 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)