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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

2019年 04月 10日 ( 1 )

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国とヒッタイト/その5 前14世紀のヒッタイト王国

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(写真)トルコにあるヒッタイトの都ハットゥシャの遺跡。現在は石の土台部分しか残っていない。


ヒッタイト王国が生まれたのは前17世紀だが、その政治基盤は脆弱で、強い王が出ると国土が拡張するが、王はたいてい暗殺や反乱で殺され、再び国土が縮小する繰り返しだった。
前14世紀にはヒッタイト王国は弱体化しており、前1375年頃に即位したトゥドハリヤ2世の時代には、首都ハットゥシャさえも外敵に奪われていた。
しかし彼の治世の後半には国土回復の兆しが見え、エジプトのアメンホテプ3世に娘を差し出して、国同士の結びつきを強めている。

ヒッタイトの栄光を取り戻したシュッピルリウマ1世
その息子シュッピルリウマ1世は、将軍時代に首都ハットゥシャを回復した功績を残し、父トゥドハリヤ2世の後を継いで王になった兄のトゥドハリヤ3世を殺して、前1355年ごろ王についた。
彼は有能な国王で、国内の混乱を収めて、再び対外遠征を行うようになった。
シュッピルリウマ1世は軍事力だけでなく、たくみな外交交渉も得意とし、アナトリアの多くを支配。
この時代にヒッタイトの国土は3倍になり、久しぶりにオリエントの強国に返り咲く。
次に彼は北メソポタミアの強国ミタンニを抑えるため、南メソポタミアのカッシート(バビロン第3王朝)など周辺諸国と同盟。
ミタンニを攻略して属国にし、シリア北部までを影響下に置いた。

シリア南部は当時エジプト新王国に従属していたが、エジプトがアメンホテプ4世の宗教改革などで内政が混乱すると、その機を利用して南シリアにも親ヒッタイト勢力を増やす。
それでもエジプトと戦争までは至らず、アメンホテプ4世が移した都アマルナから発見されたアマルナ文書の中には、シュッピルリウマ1世が送った粘土板が発見されている(当時の国際語であったアッカド語の楔形文字)。
しかしエジプトでファラオ(アメンホテプ4世またはツタンカーメン)が死に、その未亡人がヒッタイトの王子を婿に欲しいと要請。
王子ザンナンザを送るが、エジプトの反対派に途中で暗殺されてしまうという事件が起きた。
激怒したシュッピルリウマ1世は南シリアへの侵攻を決意。現在のイスラエルやヨルダン付近まで攻略した。
しかし戦いには勝利したが、エジプト人捕虜から持ち込まれたという疫病(天然痘)がヒッタイト国中に広まり、シュッピルリウマ1世は前1320年ごろ病死する。
その後を継いだ国王アルヌワンダ2世も前1318年ごろ病死し、王位継承権のランクとしては低かったムルシリ2世がヒッタイト王に即位する。
彼が篠原千絵のヒット漫画『天は赤い河のほとり』の王子、カイル・ムルシリであることは、知っている人は知っている。(続く)


by mahaera | 2019-04-10 09:57 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)