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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

2019年 04月 14日 ( 1 )

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国とヒッタイト その7  ヒッタイトとエジプトの同盟

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(写真)ラムセス2世が建設した、アブシンベルにある大神殿(右)と小神殿(奥)


前1272年ごろ、ヒッタイトではムワタリ2世が亡くなり、庶子のムルシリ3世が跡を継ぐが、同盟国のミタンニからの援軍要請に応えず、ミタンニをアッシリアに奪われるなどの失政が相次ぎ、前1266年ごろ叔父のハットゥシリ3世が王位を奪う。
ハットゥシリ3世の当面の問題は、ミタンニの領土を奪って急速に拡大した北メソポタミアのアッシリアだった。
長年、ヒッタイトはシリアを舞台にしてエジプトと争ってきたが、これにより方針を転換し、エジプトと同盟を結ぶことにした。
前1259年、ヒッタイトのハットゥシリ3世と、エジプトのラムセス2世の間にシリアでの相互不可侵、共同防衛を取り決める文書が作成された。
「世界史上初の平和条約」と言われているこの文書は、粘土板がヒッタイトのハットゥシャ遺跡で発見され、エジプトでは神殿の浮き彫りに記されている。
この時代のものとしては、別な国で同じものが発見されて、内容が正しいと実証された貴重な遺物だ。


ラムセス2世の統治
前1240年ごろ、ヒッタイトではトゥドハリヤ4世が即位するが、その時代に次第にヒッタイトは弱体化していった。
ミタンニとの連合軍もアッシリアに敗れ、ついにミタンニ王国は滅亡した。
ヒッタイトの王がころころ変わるのに対し、エジプトではラムセス2世が90歳で没するまで、60年以上に渡る安定した統治を行っていた。
まさに大王と言われる所以だ。
一説には娘と息子を合わせると200人近かったという。
治世21年目には、前述した平和条約をヒッタイトと結んだ。
また、ラムセス2世はナイル上流のヌビアにも遠征を行った。
ラムセス2世の戦勝記念碑は国内各地に数多く建てられた
単に統治が長かったせいもあるが、ラムセス2世は自分を褒め称える碑文や浮き彫りを残すのが好きだった。
また、過去の王が残した浮き彫りにも手を加え、自分の業績のようにもした。

そんなラムセス2世の建築物で最も有名なのは、アスワンにあるアブシンベル神殿だろう。
神殿入り口にあるのは、ラムセス2世の4体の坐像
北の壁には、カデシュの戦いが描かれている。
ラムセス2世の統治時代のエジプトは、オリエント世界の最強国に相応しいものだった。
しかし、前1212年ごろにラムセス2世が亡くなった後の前1200年ごろ、ラムセスが想像もしなかった大変動(前1200年のカタストロフ)がオリエントに起きる。
ヒッタイトとミケーネの滅亡、そして「海の民」の侵入だ。それは次の章で述べることになる。


by mahaera | 2019-04-14 09:09 | Comments(0)