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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

2019年 05月 02日 ( 1 )

子供に教える世界史 [古代編] 前1200年のカタストロフとオリエントの混乱/その6「海の民」の移動

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(写真)「海の民」と戦うラムセス3世の浮き彫り。これはエジプトへの二度目の侵入のもの

前1200年ごろ、東地中海沿岸で大規模な社会変動が起きた。その原因は諸説あり、未だに決着を見ていないが、はっきりしているのは
1.ヒッタイトの滅亡
2.ウガリットの滅亡
3.エジプトへの「海の民」の侵入

4.ミケーネ文明の滅亡

だ。これらのことが、世界史の中ではごく短い20年ほどの間に起きている。
影響は特にギリシアで大きく、ギリシア文明の「暗黒時代」が訪れる。
教科書では、オリエント、ギリシア、エジプトなどのページに分かれて何度も書かれている歴史的事件だが、トロイア戦争やモーゼの出エジプトに比べれば、今日、一般にそれほど知られているわけではない。

滅亡前のヒッタイト
さて、わかっている時系列順にことの経過を書いていこう。
まず前1250年ごろにトロイア戦争があったとしたら、その前後ぐらいからミケーネ文明の諸都市が高い城壁を張りめぐらしたり、深い井戸を掘ったりして、外敵の侵入への防備を固め出していることが遺跡の発掘からわかっている。
ヒッタイトは前1250年ごろから、東方で勢力を伸ばし始めたアッシリアにミタンニを征服され、東方の国境が後退。
西方ではアヒヤ(アカイア人)に中継貿易地であるキプロスを奪われていた。
前1240年に即位したトゥドハリヤ4世は、自らを神格化する建造物を多く作ったが内乱が続き、前1214年ごろに後を継いだアルヌワンダ3世はわずか1年で殺され、弟のシュッピリウルマ2世がヒッタイト最後の王として即位していた。
ハットゥシャ遺跡のそばにある神殿遺跡ヤズルカヤは彼の時代に建てられたものだ。しかし国内では深刻な飢饉が頻発しており、エジプトに食糧援助を申し込んだ記録が残っている。

エジプトへの異民族の侵入
エジプトでは、長期政権を築いていたラムセス2世の後を継いだメルエンプタハが第19王朝の王についていた。
父王が長生きだったのでメルエンプタハが王になったのは60歳の時だったと言われている。
彼の時代は、西方からの度重なるリビア人の侵入に悩まされていた。
ナイルのデルタ地帯へのリビア人の侵入は、家族や家畜を連れた数万人規模の武装移民といった方が正しいかもしれない。
「旧約聖書」ではアブラハムがカナンで飢饉があり、エジプトへ移住している記述があるが、当時のエジプトは食料の蓄えもある豊かな国だった。
そのため気候の変動などで周辺地域に飢饉があれば、移民が押し寄せた。

「海の民」が最初に言及されるのは、前1208年のメルエンプタハ治世5年に起きた「ペルイレルの戦い」だ。
エジプトの勝利を讃える石碑には、リビア人が「海の民」と連合してエジプトに侵入したが、それに打ち勝ったと刻まれている。
この時の海の民の5民族の内訳は、アカイア(ギリシア)人、サルディーニャ人、エトルリア人、シチリア人、リキア(アナトリア西南部)人となっている。すべて地中海北エリアからだ。
エジプトはこの武装移民の波を撃退したが、エジプトに入れなかった移民の波は他の場所へ向かったに違いない。(続く)


by mahaera | 2019-05-02 10:29 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)