人気ブログランキング |
ブログトップ

旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

ブックレビュー『荒野へ』ジョン・クラカワー 1996年

ブックレビュー『荒野へ』ジョン・クラカワー 1996年_b0177242_09460954.jpg

 GW前後に仕事がひとつ飛んだ。2-3週間準備していたが(毎日どっぷりではないが)、しょうがない。で、その間、仕事に関連して本を何冊も買って読んだ。これはそのうちのひとつ。

 1992年にアラスカの荒野で放浪の果てに餓死した若者クリス。なぜ彼はそこで死んだのかを追うノンフィクションで、作者のジョン・クラカワーは、本作執筆後、1996年のエベレストでの大量遭難事故の当事者になり、生還した彼は『空へ』を書く(のちに映画化された)。
 クリスは物質文明を嫌い、社会のしがらみも嫌い、大人の偽善を嫌い、荒野へ向かった。たいていの若者は、そんな気持ちを理解できるだろう。そしてたいていの大人は、彼のことを独りよがりと思うだろう。

 クリスは死んでしまったので、本書は生前のクリスが旅先で関わった多くの人々のインタビューからなっている。また、彼のメモ書きや手紙から、クリスの死ぬまでの行動を追っている。面白かったのが、途中で章を割いて、クラカワー自身の過去の登山での失敗談を書いていることだ。若さゆえの自分への過信からの失敗を、クラカワーは振り返り、クリスと自分を重ね合わせる。
 クラカワーがこの本を出版した時は42歳。20代前半の自分の冒険と失敗を冷静に見るにはいい歳だった。なので本書でも、クリスの行動を賞賛も批判もせず、ただ、自分の失敗した登山体験を並べている。

 若い頃に本作を読んだら、そしてその映画化である『イントゥ・ザ・ワイルド』を観たら、きっと感じ方は大きく違ったことだろう。
 しかし、すでに死んだクリスと同じ年頃の息子を持つ身としては、「未知のものへの冒険心」だけでなく、愛するものを失った周囲の「喪失感」もわかるので、当時と同じ気持ちにはなれない。そこになんだか「出遅れ感」を感じた。

 僕はこの本が執筆されていた95年から96年にかけて、冒険というほどのことではないが、1年半にわたる旅を続けていた(自分にとっては冒険だったかもしれないが)。
 人は成功体験が続くと、次も成功するとつい思ってしまう。その旅では、僕は小さな成功と小さな失敗だけだったが、小さな成功が積み重なり、大きな失敗を生むことだってあったかもしれない。
 実際、僕と近いところにいた旅人が死んだことだってあった。彼らはなぜ死んでしまったのか。別に愚かだったわけではない。そこにあるのは、ほんのちょっとした偶然だけなのだ。今となってみれば、アフガニスタンに入れなくてよかったと思う(国境までは行った)。
 
 ショーン・ペン監督による映画『イントゥ・ザ・ワイルド』も良い出来なので、そちらもおすすめ。エディ・ベーダーの音楽もグッとくる。


タグ:
# by mahaera | 2020-06-04 09:46 | 読書の部屋 | Comments(0)

旧作レビュー『続・男はつらいよ』第2作 1969年 キネ旬9位

旧作レビュー『続・男はつらいよ』第2作 1969年 キネ旬9位_b0177242_11072397.jpg
 およそ月いちで観始めた、寅さんシリーズ。今回は2作目。
1作目が8月25日公開でこの2作目が11月15日公開というから、およそ2ヶ月半という短いインターバルで製作された。
 一作目でシリーズのフォーマットはほぼできていたが、ここではアバンタイトルが寅の夢(瞼の母に会う)という、のちによく使われるパターンが登場。また、1作目では登(秋野大作)が寅の舎弟だったが、ここでは源公(佐藤蛾次郎)がその役を担うように。
 今回、寅さんが惚れるのは、柴又の学校時代の恩師の散歩先生(東野英治郎)の娘・夏子(佐藤オリエ)。その夏子の恋人となるのが寅さんが入院した病院の医者(山崎努)。結果的に寅さんが、二人を結びつけることに。
 その失恋話(と言っても勝手に思って勝手に諦める)と並行して、ここでは寅が瞼の母に会いに行く話が。京都の連れ込み旅館のやり手ババア風のミヤコ蝶々が母親だと知って、寅は大ショック。常に勘違いしてしまう寅は笑いを誘うも、それは悲しみと表裏一体。
 しかしパターン化されているとはいえ、役者同士の間合が名人芸で、本作もハイクオリティ。知らぬは寅ばかりと、オロオロするおいちゃんと観客は一体化し、寅さんが傷つくことを予想しながらも、笑い、共感する。
 出てくる日本の風景は、まるで80年代の中国か東南アジア。カラーも昔の絵はがきのような色合いで、不思議な感覚になる。


# by mahaera | 2020-06-03 11:08 | 映画のはなし | Comments(0)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその33●『メイド・イン・イングランド』Made In England(1995年)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその33●『メイド・イン・イングランド』Made In England(1995年)_b0177242_10541939.jpg
95年3月発売。元気そうなエルトンがにっこり笑う3年ぶりのソロアルバムで、プロデュースはエルトン自身とグレッグ・ペニー。全英3位、全米13位。
 タイトルトラック以外はすべて曲のタイトルが一語のように、シンプルなサウンドになっている。参加ミュージシャンもいつものツアーメンバーが中心。
 オーケストラが使われており、4曲でポール・バックマスター、1曲のみジョージ・マーティンが編曲を行っている。

  聴いて明らかに分かるのは、しばらく続いていた打ち込みサウンドを排し、バンドによるシンプルなサウンドを目指していること。
 80年代後半から、アレンジがすでに出来上がったところでエルトンは音を入れだけになりつつあったようだが、このアルバムでは再びバンドサウンドに戻っている。電子音も最小にとどめ、代わりに初期のようにストリングスを使っている。
 リハビリから5年、『ザ・ワン』以来、エルトンの調子は完全に戻り、アーティストとして70年代、80年代前半に続く、3度目のピークを迎えつつあった。
 このアルバムのためエルトンは20曲あまりを作曲したという。おそらく90年代のベストで、僕の好きなアルバムだ。

1stシングルはアルバムに先行して95年2月に発売された「ビリーヴ」(カップリングは「悲しみのバラード」と「ザ・ワン」のライブ)。アルバムの1曲目を飾るバラードで、全米13位、全英15位のヒットになった。

2ndシングルは5月発売の「メイド・イン・イングランド 」(カップリングは「真夜中を突っ走れ」と「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」のライブ)で、全米52位、全英18位。本作の中では明るく軽快なロックナンバーで、英国で生まれ育った自分を歌っている。歌詞の中にリトル・リチャードやエルヴィス(テュペロで暗喩)が登場。かなりいい曲だと思う。

「まだ見ぬ我が子へ~ 」はアメリカのみ12月にシングル発売で最高34位、イギリスでは代わりに「プリーズ 」がシングルになり、こちらは33位。ちなみにカナダでは「ビリーヴ」は1位、「メイド・イン・イングランド」は5位、「まだ見ぬ我が子へ~ 」は3位だ。

1.「ビリーヴ - Believe」前述
2.「メイド・イン・イングランド - Made in England」前述
3.「ハウス - House」ゆったりとした三拍子の曲。エルトンにはよくある曲だが、無理せず作った感じがして耳になじむ。
4.「コールド - Cold」これもバラードだが、いいメロと展開があり、なかなかの佳曲。
5.「 ペイン - Pain」ストーンズ風のsus4を使ったギターリフから始まるロックナンバーでこれも佳曲。
6.「ベルファスト - Belfast」2分に及ぶポール・パックマスターのオーケストレーションから始まるバラード。
7.「ラティテュード - Latitude」この曲だけ編曲をジョージ・マーティンがしている。三連のワルツだが、そのせいかちょっとビートルズ、というかアイリッシュ」風のノスタルジックな優雅な曲に。
8.「プリーズ - Please」イントロの12弦ギターがザ・バーズの「いつまでも若く」ぽい。地味だが心地よいサウンド。
9.「マン - Man」ゆったりとしたバラード
10.「ライズ - Lies」マイナーのミドルテンポ曲。
11.「まだ見ぬ我が子へ~ - Blessed」前述

 95年は前年のレイ・クーパーを伴ったソロツアーの続きから始まり、単独では74年以来3度目の来日公演が2月に行われた。東京の武道館4日公演を含む大阪、福岡、名古屋の8回公演だった。多分、ドラッグ中毒の間は来日できなかったのだろう。
 このころはエルトン、それほど興味なかったので行かなかったが、今から思えば貴重なソロツアーで、まだ声が出ていた頃なので惜しい。セトリの曲目は初期曲中心だが、普段は演奏しない曲も多くありの25曲。

 翌3月は、前年に引き続きビリー・ジョエルとの「フェイス・トゥ・フェイス1995ツアー」でこれは北米のみ11公演で4月まで。その間にこの『メイド・イン・イングランド』のアルバムが発売。
 すぐさま5月からの「メイド・イン・イングランド・ツアー」がヨーロッパから始まる。これは77回。資料によればこの年、TV出演など入れれば、106回のライブをしたことになる。パリではディズニーランドでも公演があり、25曲演奏。うち5曲が新作からの曲だった。8月からは北米ツアーになり、久々にハリウッドボウルでライブ。これにはジョージ・マイケルもゲストで参加した。11月からはツアーは南米に移り、ブラジルでこの年の長いツアーは終了した。


# by mahaera | 2020-06-02 10:56 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

自分の音楽の嗜好に影響を与えたレコード10選

自分の音楽の嗜好に影響を与えたレコード10選_b0177242_11043249.jpg
以下はFBに掲載したものの転載です。


イギリス発のタイムラインリレー。自分の音楽の嗜好に影響を与えたレコード10選。10日連続で1日1枚投稿。説明、評価不要。ジャケットだけでOK。というタスクが、バンド仲間の西岡真哉くんからきた。
 とはいえ、現在、僕の知り合いでも何人もこのレコード選びが進行中なので、僕が書くのもなんだかなあと、勝手ながらルール破りで10枚一度に紹介して終わらさせていただきます。
 だってふだんから勝手に、何かしら日常的に紹介しているので、皆さんももういい加減にしろって感じかなと(笑)。

「影響を与えた」というお題なので、愛聴盤とか好きなレコードではなく、自分の音楽活動とか、曲作りに影響したものを選びました。10枚選んだけど、スペースが余ったので2枚追加して12枚です。

1. よしだたくろう「旅の宿」シングル。
 小6の時に買い、ギターも弾けないのにA面とB面「おやじの唄」を家で歌っていた。「旅の宿」が婚前旅行の唄とは知らない子供が歌うので、母親は困っていた。「おやじの唄」を目の前で歌われた父親も困っていた。中学に入り、たくろうにどっぷりはまった。自作曲がその影響から脱するのに苦労した。

2.サウンドトラック『アラビアのロレンス』
 中学に入ると、どっぷりと映画にはまり、ビデオなどないのでサントラ盤を聴いて、映画の名場面をひたすら脳内リピートした。様々なテーマメロが入りみだれる「序曲」に慣れたので、複雑な構成の曲にも慣れた。この曲は、20年後に初めて中国の砂漠に行った時に、ヘビロテで脳内リピート。

3.ボブ・ディラン『欲望』
 みうらじゅんと同じく、吉田拓郎経由でディランへ。しかし初めて買った『フリーホイーリン』は中3にはしょっぱかった。ようやくカッコイイと素直に聴けたのは「ハリケーン」が入っているこのアルバム。このサウンドは今も、自分がやりたい音のひとつ。それでバイオリン入れたバンドも作ったっけ。

4.甲斐バンド『サーカス&サーカス』
 ラジオから流れてきた「吟遊詩人の唄」に魅せられて買った甲斐バンド最初のアルバム。当時は「日本の最高のロックバンド」と思っていた。今じゃ自作曲でも歌詞を覚えるのに苦労するが、このアルバムの曲の歌詞は全部覚えていた。おかげで、今でも曲を作ると、甲斐のコブシが入ってしまいがちだ。

5.ディープ・パープル『ライブ・イン・ジャパン』
 中学高校の時は、学内のほぼすべてのバンドがパープルをしていたので、大人になるまでパープルはツェッペリンより上、ビートルズの次ぐらいだと信じていた。このアルバムを聴いた時は、正直、ギターソロとオルガンソロの楽器の差もわからなかったけど、早弾きが正義だった。なんでチャイルド・イン・タイムは飛ばしてた。

6.ビートルズ『ホワイト・アルバム』
 ビートルズは曲作りを始めた僕にとっては、コード進行のバイブルみたいなもので、それを真似て転調を覚えた。吉田拓郎のコード進行から脱却するためにも必要で(笑)。どのアルバムもすごく聴いているのだが、あらゆる曲作りの見本市みたいなこのアルバムを。

7.フリートウッド・マック『噂』
 さて自分がバンドを作るとなり、どんなモデルを浮かべたかというと、男女混合でリードボーカルが複数というこのバンドだ。イーグルスやドゥービーのように、ボーカルが何人もいた方がライブは見ていて楽しい。今のバンドスタイルの原型はここ。

8.佐野元春『VISTORS』1984
 正直、初期の元春は「アンジェリーナ」以外はちゃんと聴いてなかった。でもNY録音のこのアルバムが出た時は、ガツンと来た。日本にいる場合じゃないよと。カセットブックの「 ELECTRIC GARDEN」も買った。現代アートやポエトリーリーデンィグもやらなきゃと、この頃真剣に考えた。

9.ユニコーン『ケダモノの嵐』1990
 80年代末には聴きたいロックがなくなって、ワールドミュージックを聴いていた。そんな中、社会人となったかつてのバンドメンバーで新バンドを作る。リードボーカルの脱退後、バンド内バランスが崩れて民主化し、誰でも作って歌っていいことに。そこで参考にしたのがこのアルバム。「カッコいいロックて何?」と自分で吹っ切れて、好きな曲を作って自分で歌うことにした。

10.マイルス・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』
 マイルスもディランと同じで、最初の数年は「すごい」と自分に言い聞かせて、修行のように聴いていた。でも、正直、よくわからない。でもこのアルバムは非常にわかりやすく、マイルス好きになる突破口になった。30代半ばにして、マイルスを知る90年代。ゼロ年代になり、40代になって管楽器を入れて初めた大所帯バンドのインスト作りのイメージは、このあたり。今でもインスト曲はやりたいんだが。

おまけ

ミカバンドのこのアルバム『黒船』は、男女混声、メンバーのキャラ立ち必須、インストも入れましょうという、今の僕のバンド作りの教科書。曲もいいしね。

J.ガイルズ・バンドや大学時代の友人の奥村くんみたいなキーボードが弾きたかった。プログレやハードロックのキーボードじゃなくて。このライブアルバム『狼からの一撃』は、そんな意味で、理想のカッコイイロックバンドのライブ。


# by mahaera | 2020-06-01 11:06 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

Netflixドキュメンタリー『トロフィー』本日5/31配信終了予定

Netflixドキュメンタリー『トロフィー』本日5/31配信終了予定_b0177242_11330992.jpg
いつも終了ギリギリで紹介で申し訳ない。昨日はサーカスゾウの最期を描いたドキュメンタリーがショッキングだったが、こちも観てかなりショッキングなドキュメンタリーだった。しかしこれが現実なのだ。おすすめ。

 冒頭、観察小屋に入るハンターとまだ小学生ぐらいの子。子供に狙いをつけさせてシカを撃たせる。「よくやった」と誉めたたえる父と得意げな子供。
 場面が変わり、サイを女性が撃つ。ハンティングかと思うと麻酔で、集まってきた人たちがサイの角を切り落とす。密猟者ではない。角があると密猟者に狙われるために、あらかじめ除去している保護者だ。

 タイトルの「トロフィー」とは、「トロフィーハンティング」と呼ばれる、娯楽のための狩猟から。つまり「トロフィー」は獲物を仕留めた証拠となる戦利品のようなもので、ハンター達は部屋にライオンやヒョウの剥製を飾るのだ。

 映画は南アフリカやナミビアのトロフィーハンティングの実態を描く。ほとんどのハンターはアメリとカナダからやってくる。野生動物達には値段がつけられ、ビッグ5と呼ばれるゾウやライオン、ヒョウは高い。この産業は数百億円になり、ライオンを扱う業者だけでも100を超える。

 このドキュメンタリーが秀逸なのは、単に「動物を殺してかわいそう」という動物愛護団体の視点ではなく、ハンティング業界に関わる人と、それと紙一重のところで保護をせざるを得ない最前線の人々両方に密着していることだ。
 もともと、南アフリカでも人口が増えて野生動物のエリアを人が侵食し、密猟が増えていた。その中でトロフィーハンティングは、どの個体をハントしていいか厳格に分け流ことで野生動物の狩猟を合法化し、それで得たお金で野生動物の繁殖を行っている。ライオンやキリンを増やして、狩猟のためだが野生に返しているのだ。

 密猟者を取り締まる保護区のレンジャーも登場する。牙や角を取るために、見境なく野生動物を殺す密猟者たち。
 しかし犯人達の多くは近隣の村のものだ。家畜を殺し、畑を荒らす野生動物たちを許可なく殺せば罪になる。
 保護区に接するエリアに住む村人たちにとって、野生動物は守るべきものというより敵だ。
 普段は動物を保護しているレンジャー他が、時には間引きや保護区を抜け出した動物を自らが撃たなくてはならなくなる。また、種によって年に何頭かは殺していいことになっている。そのターゲットのゾウが撃たれて倒れると、村人達が集まり、あっという間に解体して肉を持って行ってしまう。

 サイを愛し、千頭ほど増やしている冒頭の保護区の実業家は、切り取った角を倉庫に保管している。
 彼は保護の資金を得るために、角の売買を合法化して欲しいと政府に訴える。
 そもそも角を狙ってサイが殺されており、角の売買を非合法化しているのに。
 しかし非合法化すれば密猟が増え、角を取るためにサイを殺す。合法化すれば、サイを殺さなくても角は取れる。
 実業家は密猟者に対抗するために、大勢のセキュリティーを雇うが、維持費に年間数億がかかる。資金は底をつき、彼が死んだら、サイを守るものはいない。
 矛盾は承知の上だが、角を売って保護の資金にするしかないのだ。
 
 密着しているトロフィーハンティング業者は、多くの野生動物を繁殖させ、今日もハンター達を受け入れている。
 インタビュアーが、「中には可愛がってしまい、ハンターの標的にさせるために野生に返したくない個体もいるのでは」と質問すると、「それは仕事だし、それをしなければ、大勢の動物を養得ない」と答える。しかし、その直後、彼は「カメラを止めてくれ」といい、フレームアウトして嗚咽する。
「図星だよ。育てているうちに愛して、野生に放せなくなってしまうものもいる」。

 遠い国で動物愛護を唱えることが悪いことではない。しかし、最前線では、そんな善悪では物事は片付けられない。すべての野生動物を保護することなんてできないのは、誰もが分かっている。その線引きをするのは難しい。
 
 ただ、撃たれて倒れる動物たちを見るのは辛い。アクション映画の銃声は全く気にしない自分だが、このドキュメンタリーで銃が撃たれると、見ていて体がビクッとしてしまったよ。向こうで倒れる動物。死んで見開いたゾウの黒い目を、カメラがとらえる。
 見ていて辛い。が、非常に勉強になったドキュメンタリーだ。ただかわいそうだけでは、何も前進しない。★★★☆


# by mahaera | 2020-05-31 11:33 | 映画のはなし | Comments(0)

Netflixドキュメンタリー『サーカス象タイクの悲劇』 華やかなショーの裏側の過酷な環境

Netflixドキュメンタリー『サーカス象タイクの悲劇』 華やかなショーの裏側の過酷な環境_b0177242_10395628.jpg
 78分と短めなドキュメンタリーなので、寝る前にちょこっと思ったら、眠れなくなった。Netflix配信は明日いっぱい(5/31まで)なので、興味のある方は急いでどうぞ。

 1994年、ハワイのホノルルで、サーカスのゾウがショーの最中に調教師を踏み殺して町へ脱走。人々の見守る中、87発の弾丸を浴びて死ぬという事件が起きた。ゾウの名はタイク。長年、ショーで活躍してきたアフリカゾウだ。なぜそんな悲劇が起きたのか、そしてそれは防げなかったかとを関係者へのインタビューと、残された映像で描く。

 冒頭、サーカスの最中、登場したタイクが足で調教師助手を転がしながら観客の前に現れるというショッキングな映像が。そしてタイクは止めようとした調教師を観客の前で殺害、逃げ惑う観客。興奮したタイクは通路から町中へ逃亡。裏道でタイクを囲んだ警官たちは、一斉射撃をする。

 話は事件の前に遡る。アフリカで捕獲され、アメリカのサーカスに売られたタイクは、もともと従順なゾウではなかったと前の調教師は語る。それでも長年にわたり、サーカスで芸をしていた。
 ホノルルの事件の前、タイクは脱走騒ぎを起こした。調教師は興業主に、タイクは引退させるべきだと進言するが、利益優先のサーカスはそれを許さない。
 
 私たちは人の前に出て、芸をするところしかサーカスのゾウを知らない。しかし興業がないときは1日22時間鎖に繋がれる環境で育てられ、またマッチョな業界のサーカスでは虐待は日常的だったという。
 強い野生動物を従わせるには、それ以上の力が必要だ。
なので常に、人間の方が上位であることを示さなくてはならないが、それは暴力によるものになる。

 ゾウにはそれぞれ気質があるという。タイクは他のゾウと異なり、真っ先に従うタイプではなかった。
そして芸に失敗した時の罰(暴力)を常に怖れていたという。芸に失敗すると罰を怖れて逃げようとするのだ。
前の調教師は、信頼関係を保てないと危険だと語る。そしてタイクを力だけで抑えようとした助手を、投げ飛ばした前科があることも語る。
 
 そして物語は冒頭の運命の日へとまた戻る。映画が始まったときは“知らないゾウ”だったタイクも、このときは“知っているゾウ”だ。
 同じ映像でも、見ていて辛くなってくる。
確かにタイクは人を殺した危険なゾウだ。
だがそれは人間の論理だ。もし虐待されている人間が、逃げようとして人を殺してしまったら正当防衛だろう。
 タイクにすれば、人間に反抗するのは、本来あるべき姿に戻ることだったのかもしれない。彼女は野生のものなのだから。

 滑稽な衣装を着せられたタイクが、街中を必死に逃げる。人々にとっては危険だが、タイクはタイクで怖がっているのだ。警官隊が取り囲む。一発、二発。だがタイクは死なない。血を流しながらも逃げようとする。十発、二十発。それを見つめる町の人々。血を流し、ついにタイクは倒れる。死んだ目からは涙が流れているように見える。衣装が悲しい。自由になるには死しかなかったのか。

 タイクの死後、動物愛護団体とサーカスで、動物のショーを禁じるかについて裁判が開かれる。
 サーカスの動物ショーを今まで、何の疑問もなく見てきた。ゾウのショーは生で見たことはないが、トラは見たかな。確かにその時、トラはショーを全く楽しんでいないように見えた。
 考えれぱ、ゾウやトラ、ライオンは家畜でもペットでもないのだ。人に芸をさせられて幸せなはずはない。

 本作を見たあと、ネットでサーカスや動物園の野生動物の事件を読むと、こうした事件は時々起きていることがわかる。その時代ではよかったことも、いつまでも良いとは限らない。今の時代に、剣闘士を殺し合わせることはできないだろう。サーカスの野生動物もそれと同じかもしれない。

 ※事件のショッキングな映像を含むので、多少閲覧注意です。


# by mahaera | 2020-05-30 10:40 | 映画のはなし | Comments(0)

名盤レヴュー●ジョニ・ミッチェルその9『ワイルド・シングス・ラン・ファスト』 - Wild Things Run Fast

名盤レヴュー●ジョニ・ミッチェルその9『ワイルド・シングス・ラン・ファスト』 - Wild Things Run Fast_b0177242_11451064.jpg
1982年10月発売。全米25位。
 旧邦題は『恋を駆ける女』。前作のライブ「シャドウズ・アンド・ライト」で、それまでのジャズ路線を集大成して、久しぶりにポップフィールドに戻ってきたジョニ。
 レコード会社もゲフィンに移籍し、以降はこのアルバムに参加したベーシストのラリー・クラインと4枚のアルバムを作ることになる。このアルバムが発売された年にジョニはその13歳年下のラリー・クラインと結婚する(結婚生活は12年続く)。

 録音メンバーは、ベースにラリー・クライン。ギターはスティーブ・ルカサーマイケル・ランドー、ラリ・カールトン。ドラムはジョン・ゲリンかヴィニー・カリウタ
 他にウェイン・ショーターがサックスでゲスト参加している曲もある。

 このアルバムについてジョニ自身は、スティーリー・ダン、トーキング・ヘッズ、ポリスの影響があると言っている。確かにそれらのアーティストが名盤を出していた頃で、リズムアレンジなどはその影響を受けたという。

 アルバムからは「チャイニーズ・カフェ/アンチェインド・メロディ」と「ベイビー・アイ・ドント・ケア」がシングルカットされ、プレスリーのカバーで映画『監獄ロック』の挿入歌でもある後者は47位まで上昇した。
 ジョニのアルバムの中では、もっともポップに触れた一枚で、聴きやすい方だ。

1. Chinese Cafe/Unchained Melody
2. Wild Things Run Fast
3. Ladies' Man
4. Moon at the Window
5. Solid Love
6. Be Cool
7. (You're So Square) Baby I Don't Care
8. You Dream Flat Tires
9. Man to Man
10. Underneath the Streetlight
11. Love

 1983年には、このアルバムに合わせたワールドツアーを行う。ツアーのスタートは日本からで、2月末に来日をするが、これは今に至るまでジョニ唯一の単独日本公演だ。公演は全7回で演奏曲はアンコールを含めて20曲、うち7曲が新作である本作から。あとは過去の代表曲を散りばめたもの。このころはジョニ・ミッチェルにほとんど興味がなかったころなので、来日したのもよく覚えていない。武道館2日間公演をしたようだが、今となってはもったいないことをしたものだ。このライブは当時、FMでオンエアされたので、いい音のブートも出回っている。バックバンドはラリー・クライン(b)、マイケル・ランドー(g)、ヴィニー・カリウタ(ds)、ラッセル・フェランテ(Key)という、録音にも参加したNYの一流セッションマンたちだ。

 この年はジョニにしては精力的に70回のライブを行う(前年は1回)。日本の後はオセアニア、4月からはヨーロッパ、6月からは北米を回り7月まで続いた。以降、ジョニはツアーは1998年のボブ・ディランとのジョイントツアーまで15年間行っていない。


# by mahaera | 2020-05-29 11:46 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)